9:英雄の背中
街の門に陣取った冒険者たち244人は、一万を超える魔王国軍の物量に対し、ただの木の葉のように無力だった。
Bランクの猛者たちですら、圧倒的な質量攻撃の前では塵に等しい。
絶叫、肉の裂ける音、そして静寂。
その蹂躙の渦中に、俺はいた。
俺の剣が唸りを上げ、血飛沫が舞う。
倒した数だけで言えば百体は下らないだろう。
だが、奴らは俺を見ようともしない。俺がどれほど深々と切りつけても、その切っ先は、ただ無機質に「街」という目的のみを目指して通り過ぎていく。
すべてを破壊し、街の冒険者を倒し終えると、奴らは俺という例外だけをその場に残して、何事もなかったかのように去っていった。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
・・・・・
静寂に包まれたギルドの瓦礫の中で、俺は彼女の冷たくなった手を握っていた。
「受付嬢さん。
・・・あなたのオーダー。必ず俺が達成します。
ここで待っていてください。」
俺はセシリアに深々と頭を下げた。頬を伝う熱い雫を腕で乱暴に拭い、意を決したように立ち上がる。
背中を向けるのは怖かった。でも、この背中を彼女が見ていてくれると信じるしかなかった。
◇◇◇◇◇
両側は無残に破壊された建物。
道には至る所に冒険者と魔王軍兵士の死体。
動くモノはない。
その中には顔見知りの者。一緒にオーダーを受けた者。一緒に酒を飲んだ者がいた。
なぜ、俺だけが生きている?
死ぬなら、彼らと同じ場所で、同じ時に死にたかった。
俺の中に残ったのは、生き残ってしまったという罪悪感と、彼女から受けたオーダーという名の呪いだけだ。
俺は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、完全に破壊された門をくぐり街の外へ出た。
魔王軍の姿はない。ただ、吹き抜ける風が土埃を巻き上げ、死者たちの声なき言葉を運んでくるだけ。
俺は地平の先を見据え、ただ真っ直ぐに歩き出した。
まず目指すは、王国軍の壊滅した本陣。
そこには、魔王城の位置が記された地図があるはずだ。
俺は累々と死体が倒れる死の街道を突き進んだ。
◇◇◇◇◇
本陣の惨状は、言葉を失うほどに酷かった。
天幕は引き裂かれ、火の手が上がっている。
五体満足な死体は一つとしてない。
おそらく1対多でなぶり殺しにあったのであろう事が見て取れた。
軍隊として配置されていた者たちが、まるで遊戯のように蹂躙された爪痕が生々しく残っていた。
「酷い・・・。なぜ、ここまで・・・。」
戦争じゃない。これは殺戮だ。
死体の間を縫うように歩き、俺は燃え残ったひと際大きなテントを見つけた。
布をめくり、中へ入る。
テーブルの上には、軍の戦略が記された大きな地図が置かれていた。
青い駒が王国軍、赤い駒が魔王軍。
配置を見れば一目瞭然だった。北西に位置する、魔王軍の心臓部。
「これが、魔王城か」
俺はペンを取り、地図上の魔王城の場所を赤く塗りつぶした。
魔王城までは3日、いや、迂回ルートをとれば4日か。
地図を俯瞰し、俺は思案を巡らせる。
平原を突き抜ける最短距離は、魔王軍の主力が往来する補給路と重なっている。
そこを進めば、確実に敵兵の列に飲み込まれるだろう。
今の俺は、ただのソロ冒険者に過ぎない。
正面から敵の補給部隊と交戦すれば、たとえ一騎当千の剣技があろうとも、物量に押し潰されるのが目に見えている。
彼女から受けたオーダーは『討伐』だ。ここで無様に死ぬわけにはいかない。
俺は地図に視線を固定した。
魔王城の北側。そこには険しい山脈が連なっている。
……ここだ。
山間部を抜けるルートは、険しく、平原を行くよりも移動時間はかかる。
補給路とは外れているが、敵兵の斥候が配置されている可能性も皆無ではない。
だが、もし発見されたとしても平原での集団戦よりは遥かに分がある。
俺は山脈の等高線を指でなぞった。
これしかない。
補給路を避け、北側の山間部から迂回する。
それが今の俺にできる最善、かつ唯一のルートだ。
俺は地図を折りたたみバッグにねじ込むと食料を漁った。
テントの横で、首のない死体が銀色の胸当てを光らせている。
俺は震える手でそれを剥ぎ取り、自分の皮の胸当てと交換した。
「すみません。・・・使わせてもらいます。」
墓標も立ててやれない死体に一礼し、俺は再び荒野へと踏み出した。
◇◇◇◇◇
何もない平原。草も生えない不毛の地を、空に浮かぶ二つの太陽だけを目印にして歩く。
夜は岩陰でマントに身を包み、身を潜めた。
焚き火などできるはずもない。見つかれば、そこで俺のオーダーは終わるからだ。
山間部での行軍は、平原を歩くこととは比較にならないほど過酷だった。
急峻な崖を登り、獣道もない深い森を抜ける。
音を立てれば、どこから魔王軍の耳がこちらを探るかわからない。
夜の山は、凍えるような冷気が肌を刺す。
俺はマントに身を包み、岩陰で息を殺して夜明けを待った。
道中、一度だけ魔王軍の斥候隊と遭遇しかけた。
枯れ葉を踏む音を聞きつけ、俺は瞬時に藪の陰に隠れた。
目の前を通り過ぎる異形の兵士たち。心臓が口から飛び出しそうなほど高鳴る。
呼吸を止め、筋肉を硬直させ、俺はただ敵が通り過ぎるのを待った。
山を越え、魔王城の街が見えたときには、全身が泥と冷汗にまみれていた。
だが、その目は死んではいない。
俺はフードを目深に被り、下水道の汚水に浸かりながら侵入を開始した。
・・・・・
驚くほど、守備が手薄だった。
王国軍が全滅した今、もはやこの地に敵などいないと高を括っているのだろうか。
あまりの順調さに、逆に足が震える。
これが「罠」でないことを祈りつつ、俺は影を縫うように城壁へと近づいていった。
城壁の影、冷たい石造りの角で、俺は荒い息を殺した。
心臓の鼓動が、静寂を切り裂くほど大きく響く。
王国軍を殲滅した驕りか、それとも魔王自身の絶対的な自信の現れか。
あまりに無防備な要塞の姿は、逆に俺の背筋を凍らせた。
堀までたどり着き、身を隠す。
夜の帳が下りると、松明の明かりが城壁を巡回し始めた。
・・・馬鹿げている。松明の光が闇を照らすたび、衛兵たちの位置がはっきりと浮き彫りになる。
まるで自分の居場所を教えようとしているかのようだ。
俺は堀を泳ぎ、衛兵の死角を突いて階段を登った。
正面突破は自殺行為だ。
俺は裏手の搬入路へ回り込み、荷物の影で息を潜めた。
やがて扉が開き、松明を持った兵士が出てくる。
通り過ぎるその一瞬、俺は音もなく背後に忍び寄り、ナイフを喉元に突き立てた。
血の臭い。
それは、ギルドで過ごした数々の日常
―――古びた紙の匂いや、冒険者たちが飲んでいた安酒の香ばしさとは全く異なる、鉄錆のような生々しい死の臭いだった。
城の中に入り、徐々に増えていく衛兵を、ナイフと『忍び足』で「処理」していく。
目的地は近い。
広間へ出ると、彫像の裏に身を隠してホールを見渡した。
両側に配された大階段。その奥に、不気味なほど豪華な扉がある。
あそこだ。あそこに魔王がいる。
その時、不意に外から雷鳴のような音が響いた。
爆発音。花火? いや、これは―――軍の総動員だ。
広間にいた兵士たちが、追い立てられるように正面入り口から雪崩れ出ていく。
今だ。
俺は彫像から飛び出し、壁際を這うようにしてあの扉へと駆けた。
力を込めて扉を押し開け、人ひとり分の隙間に滑り込む。
部屋に入った瞬間、全身の毛穴が逆立つような悪寒が走った。
そこは、死の概念が形を成したような場所だった。
広大な空間は、外の世界から切り離された別次元のようだ。
赤い絨毯が入り口から玉座へとまっすぐ伸び、その先には無数の宝石が埋め込まれた金色の玉座がある。
ただの広さではない。魔力の奔流が、部屋を満たしている。
俺が歩くたびに、絨毯が血のように波打ち、玉座の主へと続いていた。
玉座の上で、退屈そうに足を組んで座るその男。
気配を完全に消し去り、ただそこに「居る」だけで、空間の理を歪めている。
魔王。
俺がこの世界で殺さなければならない、唯一の存在。
「・・・魔王・・・!」
俺は剣の柄を握りしめ、震える足を踏み出した。
この部屋の空気は、あまりにも冷たい。
だが、俺の胸の中には、受付嬢さんが渡してくれた規定集の温もりと、最期の言葉が焼き付いている。
「俺は、お前を討つために来た。」
その声が、自分のものではないほど低く、冷徹に響いた。




