タイトル未定2026/06/03 18:41
土曜日の朝から、流花と渚と田中はファミレスの洗い場のバイトの仕事をしていた。
土曜日とあってか、次から次へと食器が運ばれる。
目の回る忙しさで、午前中はあっという間に過ぎていった。
既に、午後二時を回っていた。
少し遅い休憩を、流花と渚は取った。
一緒にバイトをしている田中は、時間差で先に休憩を取っていた。
ファミレスのバックヤードの個室で、流花と渚は遅い昼食をとった。
「流花ちゃんに聞きそびれていたけど、私が教えた店にマスターと行った?」
「言うのすっかり忘れていた!なぎちゃんが、教えてくれた店に行ったよ」
「行ったんだ!どうだった?」
「路地裏の奥まった場所にあって、外壁は白色で、店内はコンクリートで素っ気ない感じの建物だったけど、私は好きだな」
「料理は、どうだった?」
「ワンプレートに、少しずつあっていろんな物が食べれるけど、品数が多くて食べきれなかった。味は、普通に美味しいよ」
「行ってみたいな」
「佐野君と、行ったら?」
「うん。行ってみる」
「一階にあったブティックと雑貨屋には、行かなかったから行ってみたいな」
「マスターと、行くんでしょ」
「行く機会が、あったらね」
「もう、そんな素っ気ない言い方して。デート楽しかったんでしょ」
「楽しかったよ」
「流花ちゃんが言うと、楽しそうに感じないんだよなぁ」
「そうぉ?凄く、楽しかったよ。マスターとずっと一緒にいれたし」
……佐野君が、言っていたっけ。
「流花ちゃん、凄い笑顔だった。あの男……マスターに寄り添って、あんな流花ちゃん初めて見た」
渚は、佐野の言葉を思い出していた。
……流花ちゃん、態度には出さないけど、本当に楽しかったんだ。
そう思ったら、渚はなんとなく嬉しい気持ちになった。
ファミレスの洗い場のバイトが終わり、流花と渚と田中の三人は店を出た。
午後五時を回っていたのに、外はまだ明るかった。
「この後、何処かに行こうよ」
田中は明らかに、流花だけに言った。
「ごめん、ちょっと用事が。じゃあね」
そう言った流花は、走り出した。
走って行く流花を見つめる田中に、渚が言った。
「田中君。私で良ければ、付き合うよ」
田中は渚をしばらく見つめてから、ゆっくり歩きだした。
渚は、田中の隣を歩いた。
渚と田中は、繁華街にあるおしゃれなカフェに入って行った。
繁華街を歩く人々がよく見える、窓際の席に案内された。
渚がオーダーしたアイスカフェオレと田中がオーダーしたアイスコーヒーは、すぐ運ばれてきた。
アイスカフェオレを渚は、一気に半分ほど飲んだ。
「あぁ、美味しい!やっぱ、客の方が気楽ね」
田中は、アイスコーヒーを少し飲んだだけで、腕を組んで窓から見える人波を眺めていた。
「まだ流花ちゃんを、追いかけているんだ?」
田中は腕組みをして、窓の外を眺めたまま答えた。
「そうだよ」
「流花ちゃんには彼氏がいるって、知ってるでしょ」
「知ってるよ」
「しつこいと、流花ちゃんに嫌われるよ」
「男がいるから、諦めろって言いたいんだろ」
「そうだけど……流花ちゃんと田中君が気まずくなって、今の四人がバラバラになるのが私は怖い」
「じゃぁ、俺は自分の気持ちを押し殺さなきゃいけないのか」
「田中君の気持ちは、わかるけど……」
窓の外を眺めていた田中はアイスコーヒーを飲み、初めて渚の方を向いた。
「なぎちゃん、大学の入学式の後、マスターに会ったんだよな?マスターって、どんな男?」
「それは……会ったって言っても、チラッと見ただけだし」
「ちゃんと、教えてくれよ」
しばらく黙っていた渚は、真っ直ぐ田中を見つめた。
「背が高くて、凄く優しそうな人だった」
「背が高いって、俺より?」
「うん。私たちより年上で、大人だった」
黙ったまま渚の言葉に耳を傾ける田中に、渚は更に言った。
「流花ちゃん、自然にマスターに寄り添っていた。あの流花ちゃんが、寄り添っていたんだよ」
まるで流花を諦めさせるように、渚は言っていた。
「そうなんだ」
「わかってくれた?」
「いろいろ、ありがとう」
田中はテーブルの上の伝票を掴むと「お先」と言って立ち上がり、レジで二人分を精算してカフェを出て行った。
……田中君。全然、わかってくれていない。
一人取り残された渚は、大きくため息をついた。
バイトが終わり、渚と田中と別れた流花はその足でbar「ジェシカ」に行った。
私服から仕事着に着替えた流花は客の注文を取ったり、オーダーされた飲み物や食事を運び、店内を歩き回っていた。
少し落ち着き、カウンターの中に入りマスターの隣に立ち、グラスを吹きながら目の前に座っていた、自称流花のファン第一号の常連客の相手をしていた。
久しぶりに流花に会えた常連客は、とてもご機嫌だった。
そこへ、ドアが開いた合図の鐘が静かに鳴った。
店内に入ってきたのは、白色のブラウスと黒色の膝上スカートを履いた、ツインテールの若菜が来た。
若菜は、常連客の隣に座った。
常連客は、若菜を見るなり言った。
「君は、シロちゃんの親友の……」
「水田若菜です」
「若菜ちゃんかぁ」
流花がメニュー表を、若菜に渡しながら聞いてきた。
「スイ、注文は?」
「うんとぉ……カシスオレンジ」
流花は、マスターに若菜の注文を伝えた。
「マスター。カシスオレンジ、薄めでお願いします」
「ちょっとぉ〜薄目ってなによぉ!そんなこと、言ってないでしょ」
流花に抗議する若菜に、マスターが言った。
「カシスオレンジ、薄めですね。かしこまりました」
マスターと流花と若菜のやりとりに、常連客は笑った。
「君たち、最高!実に良い!」
カシスオレンジが、若菜の目の前に置かれた。
若菜はゆっくりカシスオレンジを飲むと、常連客に聞いた。
「あのぉ、お名前なんて言うんですか?」
ほろ酔い気分の常連客は、少し考えながら言った。
「若菜ちゃんシロちゃんに、スイって呼ばれていたよね」
「はい」
「シロちゃんに、スイちゃんかぁ。じゃあ、おじさんはシロちゃんのファン第一号のボス!」
水を打ったように、静まり返った。
「なにそれ〜ボスだって!もう、ボスって呼び名最高!」
涙ぐみながら、若菜は大きな声を上げて笑った。
流花はグラスを持ったまま、隣にいたマスターと顔を見合わせて静かに苦笑をした。
「おじさん……えっと、ボスは結婚されているんですか?」
「こう見えても、結婚したよ。バツイチだけどね」
「バツイチ……なんだ」
「だからさ、自由にシロちゃんを追いかけることができるんだよ」
マスターと流花はそっと顔を見合わせ、困り顔をしていた。
「お子さんは?」
「いないよ。子供ができる前に、別れて良かったよ。スイちゃんは、学生さん?」
「違います」
「じゃあ、仕事をしているんだ。どんな仕事?」
「保育士です」
「保育士!可愛い保育士さんだ!」
ほろ酔い気分で気持ちよくボスが帰った後、思いを打ち明けるように若菜は流花に言った。
「シロちゃん。私今度園で、読み聞かせデビューをするんだ」
「読み聞かせ?園児に、絵本を読んであげるの?」
「そう!緊張するけど、嬉しくて。シロちゃんに直ぐ言いたかったんだ」
「読む絵本は、もう決まったの?」
「うん!字を見なくても、読めるように、練習中」
「スイ、真っ先に話しくれてありがとう。私も、嬉しいよ」
若菜と流花の会話を側で聞いていたマスターは、二人の変わらない友情に嬉しくなっていた。
若菜は、マスターと流花が指につけているペアリングに気付き、ゆっくりながらも二人の仲が育っていることを感じ、若菜もまた嬉しくなっていた。
……マスターの癒しは、シロちゃんなんだよ。




