29・最後の宴2
『なんだ? 立場を理解して俺に媚びるか? いいぞ、俺のものになるのならお前は相応の待遇を与えてやろう』
下衆親父が耳元に囁いてくる。鳥肌を通りこして震えと冷や汗が出ていていたが、向こうにはこれも恥ずかしがっているように見えるのだろう。死ね死ね死ね――と心で呟くことでどうにか自分を落ち着かせ、エニは臭い親父の耳に囁き返した。
『でしたら、ここではなく、ラーダ様の部屋で。一人ではなくラーダ様も一緒の方が……その、ラーダ様もそうおっしゃっていましたし』
耐えまくっているからやはり声が震えてしまったが、それもスケベ親父には効果的だったのだろう。
「よし、ではいくか」
鼻息が荒くなるのも隠さず、グストはエニを抱き上げようとした。もう本当に殺したい。
『あ、あの……ですが、いきなりだとラーダ様が驚きますので、先にラーダ様にお話しして準備してからで良いでしょうか?』
やはり小声でそう告げれば、鼻の舌が伸びすぎた親父は頬をすり寄せながら囁いてきた。
『そうかそうか、確かにそうだな。よしでは先に部屋に戻ってラーダと準備をしていろ。少ししてから行ってやる』
『ありがとうございます』
礼ともにやっと終わりだとエニがグストから離れようとすれば、最後にクソ親父は独り言のように悦に入って呟いた。
「全てが終わったら、お前の兄の首の前でお前を抱いてやろう。死人となっても屈辱に震えさせてやる」
エニはそれに何も言わなかった。ただ下を向いて、そのまま礼をして立ち上がった。
「そいつはもう、巫女の部屋へ戻していいぞ」
グストがそう指示を出して、宴に参加していない警備の人間がエニの傍につく。グストはすぐに別の女を呼んで自分の元に座らせてまた飲みだしていた。いい気分になって騒ぐ連中の中、エニは下を向いたまま警備の男に大人しくついていく。祭壇を横切り、巫女の部屋へ続く道を歩いていく。
部屋の前にいた警備の男が、こちらに気づいて端へ寄った。
エニは扉をノックしてから引く。巫女の部屋は鍵に当たるものは掛けられていない。代わりに巫女を守るという建前の見張りが常にいるだけだ。
扉が開くと同時に部屋前警備の者と、エニを連れてきた方の警備の男が同時に声を出した。
「ラーダ様?」
扉のすぐ前に立っていたラーダはに男達に向けてこりと笑う。
それで警備の男二人は巫女の顔に注目してしまったが、前に立っているエニのせいで見えない彼女の手はナイフを差し出していた。エニはラーダに微笑んでみせるとその手からナイフを受け取る。それから、彼女に向けて殆ど音にならない小声で言った。
『少しだけ、目を閉じていて』
直後、急速に振り返ってその勢いのまま部屋前警備の男の喉を斬る。おびただしい量の血が噴き出す。ごぼ、という声にならない音は宴の喧騒の中では無音も同じだ。倒れ掛かってきたその男を片手で受け止めて地面に落とす。
続いて、あまりにも急な事過ぎて状況を理解できていない男、エニをここまで連れてきた警備の男に向かっていく。
「う、わ」
驚きすぎた男は、後ずさりながら持っていたランプをこちらに向けるのが精いっぱいだった。それでも途中で気づいて腰の武器に手を伸ばそうとしたが、その時にはもうエニの持つナイフが彼の喉を裂いていた。
男の体が力を失って倒れていく。それを支えて止めてから、落ちる前に男の手からランプを貰う。それからエニはそのまま死体を壁に後ろ向きになるよう立てかけた。勿論、倒れた音を出さないためだ。
そうして掛かった血を軽く拭うと、ランプの火を吹き消してから、目を閉じているラーダの方へ戻った。
「終りました、ラーダ様」
目を開けた瞬間は表情をひきつらせたものの、目の前のエニに向けて彼女はこくりと頷いてみせた。エニはナイフを持っていない方の、返り血がついていない左手を彼女に差し出した。
「さぁ、行きましょう。もうすぐ騒ぎが起こる筈です」
「はい」
ラーダの手を掴み、エニは祭壇方面に向かって歩いていく。前を向いたエニの顔には微笑みがなくなっていた。
――首だけになって死して屈辱にのたうち回るのはのはあんたの方よ、グスト。
あの驕り切った男には最悪の死を与えてやる。自分の事はともかく、兄に対する発言を許す気はなかった。
次から宴の方で異変が起こります。




