表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メッセージ・オン・ザ・ティー~二度見するほど不器用な恋~  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/5

第三章:定食屋のカウンターと、縮まる距離


---


## 定食屋「まるき」との出会い(または、自炊の完全敗北宣言)


 五月になった。


 キャベツは、ついに限界を迎えた。


 冷蔵庫を開けるたびに主張してくる存在感に耐えきれず、僕はようやくキャベツを処分した。合掌。四月中旬から約三週間、一度も包丁を入れてもらえなかった彼の冥福を祈る。


 そして僕は決意した。


 自炊という幻想を、いったん手放そう。


 コンビニ飯でも、スーパーの弁当でもなく——もう少しだけ、ちゃんとしたものが食べたい。でも作る体力はない。その二つの要求を同時に満たせる場所を探して、僕は商店街をぶらついた。


 見つけたのが、定食屋「まるき」だった。


 昭和から時間が止まったような外観。引き戸を開けると出汁の匂いがする。カウンター席が六つ、小上がりにテーブルが二つ。壁に手書きのメニューが貼ってあって、日替わり定食が七百五十円。


 完璧だった。


「いらっしゃい」


 奥から顔を出したのは、六十代くらいのおじさんだった。エプロンをして、愛想はないが声は温かい。


 僕はカウンターの端に座って、日替わり定食を頼んだ。


 それが、まるきに通うようになったきっかけだった。


---


## 五月の第二週、木曜日


 その日も、仕事終わりにまるきへ寄った。


 暖簾をくぐって、引き戸を開ける。カウンター席を見渡して——


 固まった。


 カウンターのちょうど真ん中に、彼女が座っていた。


 ポニーテール。透明感のある横顔。そして今日のTシャツは——


 **「栄養バランス重視」**


 定食屋で「栄養バランス重視」。それは正しい。正しいんだけど、筆文字でわざわざ胸に書いてくる必要はどこにもない。


「いらっしゃい、兄ちゃん。どこでも座って」


 おじさんの声で、我に返った。


 空いているのは、彼女の隣だけだった。


 一瞬だけ迷って——迷ったふりをして、僕はその席に座った。


---


## 隣の席は、思ったより近かった


 注文を済ませて、水を飲んだ。


 彼女はすでに食事が来ていて、黙々と焼き魚を食べていた。横顔は穏やかで、表情はよく読めない。気づいているのかいないのか。


 声をかけるか、かけないか。


 スーパーのときは勢いで声が出た。でも今は隣に座っていて、距離が近すぎて、逆に言葉が出てこない。完全に矛盾している。


 なんか言えよ、と自分に思う。


 でも何を言う。「また会いましたね」か。それは普通すぎる。「Tシャツ、今日も面白いですね」か。それはたぶん正解に近いけど、なんか軽い。


 そうやって葛藤していたら、彼女の方から口を開いた。


「……スーパーの人、ですよね」


 声は低めで、少し落ち着いた感じがした。


「あ——はい、そうです」


「Tシャツ、覚えてくれてたんですね」


 それだけ言って、また焼き魚に視線を戻した。


 別に責めているわけじゃなくて、ただ確認しているだけみたいな、そういうトーンだった。


「覚えてた、というか……毎回違うじゃないですか。気になって」


「そうですか」


 短い返事。でも否定もしない。


 僕の定食が来て、しばらく二人で黙って食べた。


 沈黙が、そんなに嫌じゃなかった。


---


## 話してみたら、波長が合った


 最初に話題を作ったのは、Tシャツだった。


「今日の『栄養バランス重視』って、意識してるんですか」


「……一応」


「定食、正解ですよね。完璧に栄養バランス重視な選択だ」


「そうなんです」


 彼女が、ちょっとだけ笑った。


 それが嬉しくて、僕は調子に乗って続けた。


「でも以前の『お酒がガソリン』は、栄養バランス的にどうなんですか」


「……あれは、そういう時期だったので」


「どういう時期なんですか、それ」


「色々あって」


 また短い。でも今度は、口元が少し緩んでいた。


 それから、なんとなく話が続いた。


 彼女——ナミさん、と名乗った——は、この町の出身ではなく、去年の秋ごろに越してきたらしい。今はいくつかの個人商店でアルバイトをしながら、在宅の仕事もしているという。


「この町、住みやすいですよね」と僕が言うと、「静かで、好きです」と返ってきた。


「仕事は、どうですか」とナミさんが聞いてきた。


 思ってもみない質問で、一瞬詰まった。


「……正直、まだよくわからないです。忙しいのか忙しくないのかも、自分がちゃんとやれてるのかも」


「そういうもんじゃないですか、最初は」


「ナミさんは、仕事慣れてる感じがしますよね」


「慣れてるというか……人に合わせるのは、得意なので」


 さらっと言ったけど、どこか含みがあるような気がした。


 人に合わせるのが得意、か。


 Tシャツで自己主張しまくってる人が言う言葉にしては、なんか不思議だと思った。


---


## 聞き上手すぎる人の、少し不思議なところ


 気づいたら、一時間近く話していた。


 ナミさんは聞き上手だった。相槌が絶妙で、質問のタイミングが自然で、話しているうちに気持ちがほぐれていく感じがした。仕事の愚痴も、アパートの壁の薄さも、キャベツの話も——気がついたら全部しゃべっていた。


「キャベツ、三週間ですか」


「はい」


「……がんばりましたね、キャベツ」


「そうなんですよ。がんばったのはキャベツなんですよ」


 ナミさんがまた笑った。さっきより少し大きく。


 その笑顔を見て、僕は思った。この人と話しているの、楽しいな、と。


 でも同時に、ひとつ引っかかることがあった。


 仕事の話をしていたとき——僕が「エクセルの集計が苦手で」と言ったら、ナミさんが「ショートカットキー、使ってますか」と聞いてきた。それ自体は普通の会話だ。でも次の瞬間、こう言った。


「……ハルキさんって、効率より、手順を確認したいタイプですよね」


 名前は、さっき名乗った。でも——


 なんで、それがわかるんだろう。


 会って話したのは、今日が初めてのはずなのに。


 その違和感を言葉にする前に、おじさんが「お会計どうぞ」と伝票を置いていった。


---


## 帰り道、商店街の出口で


 二人でまるきを出た。


 夜の商店街はひとが少なくて、街灯がぽつぽつとオレンジ色に光っていた。


「今日、話せてよかったです」


 僕がそう言うと、ナミさんは少し間を置いてから「……わたしも」と言った。


「また来ますよ、まるき」


「そうですか」


「ナミさんも、よく来るんですか」


「……たまに」


 目が合った。


 彼女は視線をすっと外して、「じゃあ」と言って逆方向に歩いていった。


 その後ろ姿を見送りながら、僕はさっきの違和感をもう一度思い出した。


 効率より手順を確認したいタイプ。


 なんで知ってたんだろう。


 まあ、なんとなく当たってただけか——そう結論づけて、僕はアパートへの道を歩き出した。


---


 夜風が、少し温かくなっていた。


 五月だな、と思った。


 次にまるきに行くのは、いつにしようか。そんなことを考えながら、足取りはどこか軽かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ