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メッセージ・オン・ザ・ティー~二度見するほど不器用な恋~  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️


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第二章:レジ横の勇気と「ありがとうございます」


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## 我慢の限界は、スーパーのカレーコーナーで来た


 人間には、限界というものがある。


 仕事の限界、自炊の限界、「明日こそキャベツを使う」という自分への嘘の限界——そういう話ではなく、今日はもっとシンプルな限界の話だ。


 四月も後半に差し掛かった、水曜日の夜。


 残業が伸びて、帰宅したのは九時を過ぎていた。コンビニは通り道にあるけれど、なんとなく足が向かなかった。一週間、毎日コンビニ飯だった。さすがに、もうちょっとちゃんとしたものが食べたい。そういう、か細いプライドが残っていた。


 だから駅前のスーパーに寄った。


 夜の九時を過ぎたスーパーは、照明が少し暗くなって、お惣菜コーナーに値引きシールが並びはじめる時間帯だ。疲れたサラリーマンと、買い忘れを思い出した主婦と、僕みたいな新社会人が、互いに目を合わせずカゴを持って歩いている。


 今日は何にしよう。


 カレーのルーを買って、ちゃんと作るか——いや、玉ねぎを炒める元気がない。じゃあレトルトでいいか。でも米を炊くのも面倒だ。


 そうやってぐるぐると考えながら、加工食品の棚の前を歩いていたとき。


 視界の端に、見慣れた筆文字が飛び込んできた。


 **「今日のご飯はカレー」**


「……っ」


 笑いが、口から出そうになった。


 いや待て。待ってくれ。カレーコーナーの前で「今日のご飯はカレー」って、それはもうTシャツじゃなくて予告状じゃないか。しかも筆文字で。誰に報告してるんだ。


 こらえようとして——こらえきれなかった。


「ふっ」


 声が、漏れた。


 完全に、漏れた。


---


## 人生で一番短い、自己紹介みたいな会話


 彼女が、こちらを見た。


 透明感のある顔が、少し驚いたように目を丸くしていた。当然だ。突然隣のサラリーマンが笑い出したのだから。


 まずい、と思った。


 でも、もっとまずいことが起きていた。


 僕の口が、勝手に動いていた。


「あの——そのTシャツ、どこで買ってるんですか」


 言ってから、頭が真っ白になった。


 何を言っているんだ、僕は。初対面の女性に、スーパーの加工食品コーナーで、いきなりTシャツの購入先を聞くやつがどこにいる。完全に不審者の入口だ。撤回したい。でも言葉は空気になってしまったし、彼女はもう僕の顔を見ている。


 逃げ場がなかった。


 彼女は一瞬、何かを考えるように視線を落とした。それから——少しだけ、笑った。


「……ありがとうございます」


 それだけ言って、棚からカレーのルーを一箱取り、カゴに入れて歩いていった。


 足音が遠くなる。


 僕はしばらく、加工食品の棚の前で立ち尽くしていた。


---


## 帰り道、頭の中はフル回転だった


 レジを通って、袋を持って、スーパーを出た。


 夜風が少し冷たかった。


 ……今のは何だったんだ。


 頭の中で、さっきの十秒間をリプレイした。Tシャツに笑って、声をかけて、「ありがとうございます」と言われた。それだけだ。名前も聞いていない。何者かもわからない。会話と呼ぶには短すぎる、ただの十秒。


 なのに。


「……なんで、嬉しそうだったんだろ」


 独り言が、夜の商店街に溶けた。


 怪訝そうな顔をされると思っていた。無視されるか、会釈だけで終わるか。それが普通だと思っていた。


 でも彼女は驚かなかった。


 まるで——声をかけられることを、どこかで待っていたみたいに。


 そんな気がして、それが妙に頭から離れなかった。


---


## 翌日、仕事中も頭を離れなかった話


 木曜日の午前中、僕はエクセルのシートを前にしながら、まったく別のことを考えていた。


 あの「ありがとうございます」は、お世辞だったのか。それとも本当に嬉しかったのか。声のトーンはどっちだった。ちょっと嬉しそうだったと思う。でも、Tシャツを褒められ慣れていて、社交辞令で言い慣れているだけかもしれない。


「神代くん、その集計、終わった?」


「あ——はい、今やります」


 先輩の声に、我に返った。


 画面には、一行も入力されていなかった。


 まずい。本当にまずい。新社会人が、仕事初月から謎の女性のことを考えて手が止まるとか、笑えない話だ。


 でも夕方、帰り支度をしながらまた考えていた。


 明日、また会えるだろうか。


 次は何の文字を着ているだろうか。


 今度は——もう少しだけ、ちゃんと話せるだろうか。


---


## 金曜日の踏切待ち、三十秒の答え合わせ


 金曜日の夕方、踏切の前で彼女を見つけた。


 遮断機が降りていて、電車が来るまでまだ少しある。彼女は列の少し前に立っていた。後ろ姿。ポニーテール。そして今日のTシャツ——


 **「週末、待ってました」**


「……それは全員の気持ちだろ」


 思わずまた、口の端が上がった。


 共感性が高すぎる。筆文字にする必要はないが、気持ちはよくわかる。四月の終わりの金曜日、週末を待っていない社会人はいない。


 遮断機が上がった。


 人の流れに乗って歩き出す。彼女との距離は、三メートルほど。声をかけるには、少し遠い。


 今日はいいか——そう思いかけたとき、彼女が振り返った。


 目が、合った。


 一秒。


 彼女は何も言わなかった。でも、口元が——ほんの少しだけ、動いた。


 笑ったのか、それとも気のせいか。判断する前に、彼女は前を向いて歩いていった。


 僕はしばらく、踏切の跡地に立ち尽くしていた。


---


 名前は、まだ知らない。


 でも確かなことがひとつあった。


 次に会ったとき——今度こそ、もう少しだけ話したい。


 そう思っている僕は、たぶん、もうだいぶやばかった。

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