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第二話 毒薔薇の由縁



翌朝。


王立英雄学園の職員室には、いつも通りの喧騒が広がっていた。


「おはようございます」


爽やかな挨拶とともに、銀髪の新人教師が姿を現す。


リンネ・ユーファラテス。


その姿を見つけた瞬間、職員室の一角が妙にざわついた。


「あら、リンネ。おはよう」


真っ先に声をかけたのは、金髪の美しい女性教師だった。


エルネア・カイザー。


【天雷】の異名を持つ、王立英雄学園最強の魔術講師。


そして、学園中から【毒薔薇】と恐れられる人物である。


「おはようございます、エルネア先生」


「今日も早いわね」


「エルネア先生こそ。いつもこの時間にいらっしゃるのですか?」


「ええ。朝は比較的静かだから好きなの。……それに」


「それに?」


「あなたにも会えるでしょう?」


「……?」


リンネは一瞬だけ首を傾げた。


「そうですか。それは何よりです」


「ふふっ」


エルネアは満足そうに微笑む。


その様子を、少し離れたデスクから複数の教師が眺めていた。


「……なあ」


「何よ」


「エルネア先生、今日もあんな感じなのか?」


「ええ。昨日からずっとよ」


「……信じられるか? あのエルネア先生だぞ?」


「私だって信じたくないわよ」


彼らの視線の先では、エルネアがリンネの隣に立ち、楽しそうに話しかけている。


普段ならば、挨拶を交わすことすら珍しい相手だ。


それが今ではどうだ。


「リンネ、今日の予定は?」


「午前中はSSクラスの精霊術の基礎講義ですね。午後は実技を担当する予定です」


「そう。なら、午前中は私の魔術実技を見学するといいわ」


「よろしいのですか?」


「もちろん。あなたにもSSクラスの雰囲気を知ってもらいたいし、私の授業を見ておくのも悪くないでしょう?」


「ありがとうございます。ぜひ勉強させていただきます」


「ええ。楽しみにしていてね」


そこでエルネアは、ふとリンネの銀髪に目を留めた。


「……ねえ、リンネ」


「はい?」


「あなたの髪、本当に綺麗ね」


「そうでしょうか?」


「ええ。絹糸みたい。……触ってもいいかしら?」


「構いませんが」


許可を得ると、エルネアはそっと銀髪に指を通した。


さらり。


指先から零れる、滑らかな髪。


「……ふふ」


「どうかしましたか?」


「いいえ。思っていた以上に綺麗だったから」


「ありがとうございます」


エルネアは名残惜しそうに手を離した。


その一連の光景を見ていた教師たちは、もはや言葉を失っていた。


「……誰だ、あの甘々なお姉さんは」


剣術科教師のガルドが呟く。


「知らないわよ。私たちだって困惑しているんだから」


「毒薔薇はどこへ行った……」


誰も答えられなかった。


◇


午前十時。


王立英雄学園、SSクラス専用魔術演習場。


広大な石造りの空間には、二十名ほどの生徒が集まっていた。


「今日の授業は魔術の実技よ」


教壇に立つエルネアの声が響く。


その声音には、先ほどまでの甘さなど微塵もなかった。


「各自、得意属性の魔術を展開しなさい。威力、精度、制御能力。その三点を中心に評価するわ」


「「「はい!」」」


「それと、先に言っておくわ」


エルネアの赤い瞳が、教室全体を見渡す。


「SSクラスに所属しているからといって、自分が優秀だと勘違いしないことね。あなたたちは、ようやく才能の入口に立っただけよ」


「……っ」


「才能があることと、実力があることは別物。履き違えないように」


冷徹な声に、生徒たちの背筋が伸びる。


その少し後ろでは、リンネが静かに授業を見学していた。


「――始めなさい」


エルネアの合図とともに、演習場に魔術が展開される。


炎。

水。

風。

土。

雷。


色とりどりの魔力が空間を満たし、各々の得意属性による魔術が次々と形作られていく。


「……なるほど」


リンネは興味深そうに眺めていた。


流石はSSクラス。


同年代の生徒としては、かなり高い水準にある。


魔力量も十分。

魔術構成も悪くない。

制御技術も優秀だ。


ただし。


「そこまで。全員、魔術を解除しなさい」


エルネアの声が響いた。


そして、容赦のない講評が始まる。


「そこのあなた。出力不足よ。実戦なら相手の防御を突破できずに終わるわ」


「は、はい……!」


「あなたは逆に出力過剰。魔力を無駄遣いしすぎね。魔術師としての基礎からやり直したら?」


「すみません!」


「謝罪は求めていないわ。改善しなさい」


さらに別の生徒へ視線を向ける。


「あなた。論外ね」


「えっ!?」


「魔術構成が途中で崩れているわ。昨日も同じ指摘をしたはずだけれど?」


「そ、それは……!」


「言い訳は結構。できない理由を並べる暇があるなら、できるようになる方法を考えなさい」


「……っ」


生徒が悔しそうに唇を噛む。


容赦のない指摘。


一切の妥協を許さない態度。


それこそが、【毒薔薇】と呼ばれる所以だった。


「次」


エルネアは淡々と告げる。


そのときだった。


「――っ!」


演習場の一角で、膨大な魔力が膨れ上がった。


赤髪の男子生徒が展開していた炎の魔術。


その構成が突然乱れ、制御を失い始めたのだ。


「うわっ!?」


「魔術が暴走してるぞ!」


「下がれ!」


炎が膨れ上がり、周囲を飲み込もうとする。


しかし。


「――静まりなさい」


パチン。


エルネアが指を鳴らした。


次の瞬間、暴走しかけていた炎が跡形もなく消滅する。


魔術打ち消し。


膨大な魔力を正確に見極め、対象の魔術構成だけを破壊する高度な技術だ。


しかも、暴走した魔術を一瞬で消し去った。


流石は学園最強。


その技量に疑いの余地はない。


「あなた」


「は、はい……!」


エルネアの視線が赤髪の生徒を射抜く。


「今の制御は何?」


「す、すみません……!」


「謝罪はいらないと言ったでしょう」


「……っ」


「自分が何をしたのか分かっているの? 一歩間違えれば、周囲の生徒を巻き込んでいたのよ」


「はい……」


「その程度の自己制御もできないのなら、SSクラスにいる意味がないわね」


赤髪の生徒は俯いた。


「……申し訳ありません」


その声には、明らかな落胆が滲んでいた。


リンネは静かに一歩前へ出る。


「エルネア先生」


「何かしら?」


「少し、よろしいでしょうか?」


「ええ。どうぞ」


リンネは赤髪の生徒へ向き直った。


「お名前を伺っても?」


「……カイルです」


「カイル君ですね」


リンネは穏やかに微笑んだ。


「先ほどの魔術、見事でしたよ」


「……え?」


「魔力の総量も、炎の密度も素晴らしかったです。魔術構成も綺麗でした。少なくとも、僕にはそう見えました」


「で、でも……暴走してしまいました」


「ええ。そこは改善する必要がありますね」


リンネは否定しなかった。


ただ、優しく続ける。


「ですが、失敗したからといって、それまでの努力や才能がなくなるわけではありません。今回の失敗をきちんと分析できれば、次はもっと良い魔術が使えるはずです」


「……!」


「まずは出力を少し抑えて、魔力の流れを確認してみましょう。焦らなくて大丈夫ですよ」


カイルの表情が、わずかに明るくなる。


「ありがとうございます、リンネ先生!」


その様子を見て、エルネアが口を開いた。


「……リンネ。あなた、少し甘いわね」


「そうでしょうか?」


「ええ。彼はSSクラスの生徒よ。将来、英雄と呼ばれる立場になる可能性だってある。なら、今のうちに厳しく鍛え上げるべきだわ」


「おっしゃる通りかもしれません」


リンネは頷く。


「ですが、厳しく育てることと、相手を追い詰めることは違います」


「……」


「失敗を指摘するだけではなく、次にどうすればいいのかを示す。それも教師の役目ではないでしょうか」


静かな声だった。


しかし、その言葉には確かな芯があった。


「もちろん、甘やかすつもりはありません。できていないことは、できていないと伝えるべきです。ただ、努力している生徒が前を向けなくなるような指導は、避けたいと思っています」


エルネアは黙ってリンネを見つめた。


そして。


「……そうね」


小さく頷く。


「あなたの言う通りだわ。私も少し熱くなりすぎていたかもしれない」


「「「「「…………は?」」」」」


演習場にいた生徒たちが、一斉に固まった。


今、何と言った?


エルネア・カイザーが。


あの毒薔薇が。


自分の指導を反省した?


しかも、新人教師の意見を素直に受け入れた?


「……カイル」


「は、はいっ!」


エルネアは赤髪の生徒へ向き直る。


「もう一度やり直しなさい。ただし、今度は出力を抑えること。リンネ先生の言った通り、魔力の流れを意識しなさい」


「……!」


「失敗しても構わないわ。原因を分析して、次に活かしなさい。あなたには、それだけの才能があるのだから」


「は、はい! ありがとうございます!」


カイルは深く頭を下げた。


リンネは満足そうに微笑む。


「良かったですね」


「……ええ」


エルネアは、リンネにだけ見える角度で柔らかく微笑んだ。


(……やっぱり、好き)


その胸中を知る者は、まだ誰もいない。


◇


昼休み。


学園食堂の窓際。


リンネとエルネアは、向かい合って昼食を取っていた。


「リンネは何を食べるの?」


「今日は魚料理にしようかと」


「そう。なら、私も同じものにするわ」


「お好きなのですか?」


「ええ。……あなたと同じものを食べたいし」


「そうですか。では、一緒に楽しみましょう」


「ふふっ」


エルネアは嬉しそうに微笑んだ。


それからしばらく、二人は他愛のない会話を交わしていた。


学園のこと。

担当する授業のこと。

精霊術と魔術の違いについて。


そして、リンネはふと思い出したように口を開く。


「そういえば、エルネア先生」


「何かしら?」


「以前から気になっていたことがあるのですが」


「私に答えられることなら何でも聞いて」


「どうして【毒薔薇】と呼ばれているのですか?」


ピタリ。


エルネアの手が止まった。


「……誰から聞いたの?」


「赴任初日に、他の先生方から少し」


「そう」


エルネアはフォークを置いた。


「まあ、そう呼ばれているのは事実よ。口が悪いし、他人に厳しすぎる。そういうところから付けられたのでしょうね」


「なるほど」


「最初は【天雷】だけだったのだけれどね。いつの間にか、毒薔薇なんて不名誉な名前まで付いていたわ」


少しだけ苦笑する。


「私は、昔からこんな性格なの。間違っていることを間違っていると言うし、できていないことをできていないと言う。相手が誰であろうと、そこに遠慮はしないわ」


「そうなのですね」


「そのせいで、怖いとか、近寄りがたいとか、散々言われてきたわ」


エルネアは窓の外へ目を向けた。


「別に、好かれようと思って教師をしているわけではないもの。生徒たちが将来、迷宮で命を落とさないように。必要なことを教えているだけよ」


その横顔は、いつもの自信に満ちたものとは少し違っていた。


「……でも」


エルネアは、そっとリンネを見る。


「あなたも、本当は嫌でしょう?」


「何がですか?」


「私の性格よ。口が悪くて、すぐに怒って、他人に厳しい。普通なら、あまり近づきたくないと思うでしょう?」


その赤い瞳には、ほんの少しだけ不安が滲んでいた。


しかし、リンネは迷うことなく首を横に振った。


「いいえ」


「……え?」


「僕は、エルネア先生のことを素敵な方だと思っていますよ」


「……っ」


「確かに、少し言葉は厳しいかもしれません。ですが、先ほどの授業を見ていて分かりました。エルネア先生は、生徒たちのことを真剣に考えていらっしゃる」


「……」


「それに、厳しいことを言えるのは、それだけ自分にも厳しいからでしょう?」


リンネは柔らかく微笑んだ。


「僕は、そんなエルネア先生を尊敬しています」


「~~~~っ!」


エルネアの顔が、一瞬で赤く染まった。


「……あなた、本当にずるいわね」


「え?」


「そんなことを真顔で言われたら、何も言い返せないじゃない」


「失礼なことを言ってしまいましたか?」


「違うわ。むしろ逆よ」


エルネアは顔をそらした。


耳まで赤くなっている。


「……本当に、困った新人教師ね」


「?」


リンネは首を傾げる。


その反応を見て、エルネアは小さく笑った。


(……好き)


心の中で、もう一度そう呟く。


自分の言葉を恐れず、かといって無闇に反発するわけでもない。


ただ、真正面から自分を見てくれる。


そんな相手は、彼女にとって初めてだった。


そして何より。


(可愛い……)


目の前の銀髪の青年は、どうしようもなく可愛かった。


◇


放課後。


職員室へ戻る途中、リンネはふと足を止めた。


「……?」


何かが聞こえた気がした。


耳を澄ませる。


すると、周囲の空気に微かな水の気配が混じった。


『リンネ様』


水鈴のように澄んだ声。


リンネの契約相手である水の神霊、その眷属の一体だった。


「どうしました?」


周囲に人がいないことを確認し、リンネは小さく囁く。


『学園の地下より、奇妙な気配が漂っております』


「地下……迷宮ですか?」


『はい。かなり古いものです。通常の魔物とは異なる、異質な気配を感じます』


リンネの青い瞳が、わずかに細められた。


「どの程度の存在ですか?」


『現時点では判別できません。ただ、長い年月を経てなお、これほどの気配を保っているものは珍しいかと』


「そうですか」


リンネは窓の外へ目を向けた。


校舎の奥。


地下迷宮へと続く巨大な入口が見える。


『いかがなさいますか? 神霊様のお力を借り、調査いたしましょうか』


「いいえ。今はまだ静観しましょう」


『よろしいのですか?』


「ええ。僕の主な仕事は、ここで教師として過ごすことですから」


リンネは穏やかに微笑んだ。


「せっかく始まった学園生活です。余計な騒ぎには巻き込まれたくありません」


『承知いたしました』


「ただし、何かあればすぐに知らせてくださいね」


『かしこまりました』


気配が消える。


リンネは一度だけ迷宮の方角を見つめ、それから歩き出した。


「……平穏が一番ですね」


その背中を、遠くから見つめる人物がいた。


エルネアである。


「リンネ?」


彼女は声をかけようとして、ふと足を止めた。


リンネの周囲に、淡い水色の光が一瞬だけ漂ったように見えたのだ。


「……今のは?」


しかし、瞬きをした次の瞬間には、何も残っていなかった。


「気のせいかしら」


エルネアは首を傾げる。


そして、すぐに表情を柔らかくした。


「まあ、いいわ。リンネと一緒に帰りましょう」


◇


その頃。


王立英雄学園の地下迷宮。


人類が到達したことのない深淵。


そのさらに奥底で、何かが蠢いていた。


長い年月をかけて積み重なった魔力が、ゆっくりと脈動する。


まるで、心臓が鼓動を再開するかのように。


そして。


『――――』


何かが、目を覚まそうとしていた。


迷宮を統べる古き存在。


人類の歴史が始まるよりも前から、そこに在り続けた異形。


その目覚めは、いずれ王立英雄学園を大きく揺るがすことになる。


だが、彼らは知らない。


その頭上には、世界でも数えるほどしか存在しない神霊と契約した青年がいることを。


そして、その青年のすぐ隣には、学園最強の魔術師がいることを。


――何より。


その青年が、平穏を乱されることを何より嫌っていることを。


「リンネ、明日も一緒にお昼を食べましょうね」


「ええ、もちろんです」


「ふふっ。約束よ?」


「はい」


そんな二人の穏やかな会話が、明日も続く。


少なくとも、今のところは。





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