第一話 合法ショタ教師、王立英雄学園に赴任する
「――あの毒薔薇が、あんな顔をするなんてな」
後に、王立英雄学園の教師たちは口を揃えてそう語ることになる。
学園最強の魔術講師にして、【毒薔薇】の異名を持つ女教師。
エルネア・カイザー。
生徒には容赦なく毒を吐き、同僚には辛辣な評価を下し、気に入らない相手には容赦なく雷を落とす。
そんな彼女が、たった一人の新人教師を前にすると――。
「リンネ、今日も可愛いわね」
「ありがとうございます?」
「ふふ。今日も一日頑張れそうだわ」
まるで別人のように甘くなるのだから。
そして、そんな彼女に溺愛されることになる新人教師はというと。
「……毒薔薇?」
首を傾げていた。
どうやら、彼には彼女の恐ろしさがまったく伝わっていないらしい。
これは、そんな二人が出会った日の物語である。
◇
王立英雄学園。
世界中から優秀な才能が集う、探索者育成の最高峰。
剣術、魔術、錬金術、精霊術、治癒術。
あらゆる分野の専門家が教師として在籍し、将来の英雄を育成するための教育機関である。
そして、この学園の最大の特徴は、敷地内に巨大なダンジョンが存在することだった。
生徒たちは座学だけでなく、実際に迷宮へと潜り、魔物との戦闘や探索技術を学ぶ。
卒業する頃には、一人前の探索者として活動できるだけの実力を身につけているという。
そんな名門校へ、本日、一人の新人教師が赴任する。
「……ここが、王立英雄学園ですか」
門の前で立ち止まったのは、一人の少年だった。
いや、正確には少年にしか見えない青年である。
腰まで届く艶やかな銀髪。
雪のように白い肌。
少女と見紛うほど整った中性的な顔立ち。
華奢で小柄な身体。
そして、どこか達観したような穏やかな青い瞳。
どう見ても美少年。
どう見ても未成年。
しかし、彼はれっきとした成人男性だった。
名は、リンネ・ユーファラテス。
本日付で王立英雄学園に赴任する、精霊術科の新人教師である。
「思っていたよりも、ずっと立派な建物ですね」
城と見紛うほどの校舎を見上げ、リンネは感心したように呟いた。
広大な敷地には、訓練場や研究施設、錬金工房に魔術演習棟。
そして、校舎の奥には巨大な地下迷宮の入口が鎮座している。
「……教師として働く以上、僕も何度か潜ることになるのでしょうね」
迷宮。
それは、人類にとって未知の領域であると同時に、精霊術師にとっては非常に興味深い場所でもあった。
何しろ、ダンジョンには精霊が多い。
それも、地上では滅多に見られないような珍しい精霊が数多く存在している。
「皆さん、随分と楽しそうですね」
リンネが小さく笑う。
彼の周囲には、目に見えない小さな気配がいくつも漂っていた。
風の精霊。
水の精霊。
土の精霊。
火の精霊。
様々な精霊たちが、リンネの周囲を楽しそうに飛び回っている。
その中でも、とりわけ大きな存在感を放つものがあった。
――水の神霊。
精霊という存在の頂点に君臨する、神の領域に至った超越存在。
この世界に数えるほどしか存在しない、まさしく規格外の存在である。
そして、リンネはそんな神霊と契約を結んでいた。
もちろん、誰にも話すつもりはない。
神霊との契約など、公表すれば大騒ぎになるに決まっている。
「目立つのは面倒ですからね」
リンネの望みは、あくまで平穏な教師生活。
余計な騒動に巻き込まれず、適度に仕事をこなし、可愛い精霊たちと戯れながら暮らす。
それだけで十分だった。
「さて。それでは行きましょうか」
こうして、リンネ・ユーファラテスの教師生活が始まった。
このときの彼は、まだ知らない。
自分が赴任する学園に、世界でも指折りの問題教師がいることを。
しかも、その問題教師に目をつけられることになるとは。
◇
「――失礼いたします」
職員室の扉を開けた瞬間。
「おお! 君が今日から来る新人教師か!」
雷鳴のような大声が響いた。
出迎えたのは、筋骨隆々とした大柄な男性教師だった。
「はい。リンネ・ユーファラテスと申します。本日付で赴任いたしました。よろしくお願いいたします」
「私はガルド・ヴァレンタイン! 剣術科の教師だ! よろしく頼むぞ!」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
豪快に笑うガルド。
その声に反応するように、周囲の教師たちもリンネへと視線を向けた。
「……ん?」
「随分と小柄だな」
「というか、女の子じゃないのか?」
「いえ、男性ですよ」
「……え?」
「これでも成人しています」
リンネが穏やかに答えると、教師たちは揃って目を丸くした。
「成人……?」
「ええ」
「本当に?」
「本当です」
「……そうか」
何やら納得のいかない顔をされたが、リンネは気にしないことにした。
自分の容姿については、今さら何か言われたところで慣れたものである。
「それにしても、精霊術科の新人とは珍しいな」
ガルドが感心したように言った。
「精霊術師自体が少ないからな。しかも教師となれば、なおさらだ」
「僕もまだまだ勉強中の身です。皆さんから色々と学ばせていただければと思います」
「はっはっは! 謙虚なことだ!」
そんなやり取りを交わしながら、リンネは渡された書類に目を通す。
「……僕の担当はSSクラスの副担任、ですか」
「そうだ。なかなか大変なクラスだぞ」
ガルドが苦笑する。
「SSクラスは学園の最上位クラスだからな。実力者揃いだが、気性の荒い生徒も多い」
「なるほど」
「そして、担任を務めているのが……」
「私よ」
横から声がした。
振り向くと、隣のデスクに座っていた女性教師が苦笑している。
「エルネア・カイザー先生。学園最強の魔術講師よ」
「学園最強……」
「ええ。雷魔術の扱いに関しては、右に出る者はいないわ」
女性教師は一度周囲を確認してから、声を潜めた。
「ただし、気をつけた方がいいわよ」
「何にですか?」
「彼女の性格」
「性格?」
「……【毒薔薇】って呼ばれているの」
その名前を聞いて、リンネは首を傾げた。
「毒薔薇、ですか?」
「そう。容姿は完璧。でも、中身は猛毒よ」
女性教師は遠い目をした。
「以前、実技試験で成績の悪かった生徒に何と言ったと思う?」
「さあ……」
「『その程度の魔力しかないのなら、魔術師なんて辞めたら? あなたが持っている杖の方が、打撃武器としてまだ役に立つわ』って」
「……なかなか辛辣ですね」
「授業中に居眠りしていた生徒には『永久に眠っていたいのなら棺桶を用意してあげるわ。ここは寝室じゃないの』って言いながら、机の横に雷を落としたこともあるわ」
「それは……」
「同僚にも容赦ないの。魔術の知識が不足している教師には『あなた、よくそれで教壇に立てるわね。恥ずかしくないの?』ですって」
「……」
「しかも、本人の実力が圧倒的だから誰も文句を言えないのよ」
なるほど。
どうやら相当な人物らしい。
「まあ、僕はそこまで気にしないと思いますが」
「……そういう問題じゃないのよ」
女性教師が頭を抱えた、そのときだった。
ガチャリ。
職員室の扉が開く。
「――失礼するわ」
たった一言。
それだけで、職員室の空気が変わった。
先ほどまで談笑していた教師たちが、一斉に口を閉ざす。
背筋を伸ばし、書類に目を落とし、何事もなかったかのように仕事を始める。
あまりにも露骨な反応だった。
入ってきたのは、一人の女性教師。
腰まで伸びる鮮やかな金髪。
宝石のように美しい赤い瞳。
すらりと伸びた手足。
そして、隙のない立ち振る舞い。
人形のように整った美貌は、見る者を惹きつけるだけの華やかさを備えていた。
彼女こそ、【天雷】エルネア・カイザー。
王立英雄学園が誇る、最強の魔術講師である。
「……」
エルネアは職員室を一瞥する。
その視線に教師たちは一斉に顔を背けた。
「……何かしら?」
「い、いえ! 何も!」
「そう。ならいいわ」
冷淡に言い放ち、エルネアは歩き出す。
その途中だった。
彼女の視線が、ふと一人の人物を捉える。
銀髪の、小柄な青年。
リンネ・ユーファラテス。
「……?」
エルネアの足が止まった。
じっと見る。
リンネもまた、不思議そうに彼女を見返した。
「……」
「……?」
数秒の沈黙。
やがてエルネアは、リンネの目の前まで歩み寄った。
「あなたが、新しく来た先生?」
「はい。リンネ・ユーファラテスです。本日からよろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げるリンネ。
そんな彼を、エルネアはじっと見つめていた。
頭の先から足の先まで。
そして。
「……可愛い」
「……はい?」
「とても可愛いわね」
「ありがとうございます?」
「こちらこそ、ありがとう」
「……?」
意味が分からなかった。
一方、周囲の教師たちはもっと意味が分からなかった。
(……は?)
(今の、エルネアか?)
(毒薔薇は? 毒はどこに行った?)
普段なら新人教師など一瞥して終わり。
場合によっては、実力を見定めるために辛辣な言葉の一つでも浴びせるはずだ。
それがどうだ。
今のエルネアは、まるでお気に入りのぬいぐるみを見つけた子供のような顔をしている。
「あなた、精霊術科だったわね?」
「はい」
「得意属性は?」
「水です」
「そう。私は雷よ」
エルネアは嬉しそうに微笑んだ。
「属性の相性も悪くないわね」
「そうですね。水と雷は、使い方次第で面白い連携ができると思います」
「ええ。私もそう思うわ」
「それは楽しみです」
「ふふっ」
……何だ、この会話は。
周囲の教師たちは、もはや仕事どころではなかった。
「今日からSSクラスの副担任になるのよね?」
「はい。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、よろしくお願いいたします」
「迷惑なんて思わないわ。むしろ歓迎よ」
エルネアはリンネの顔を覗き込むようにして、柔らかく微笑んだ。
「これからよろしくね、リンネ」
「こちらこそ、エルネア先生」
そして、彼女は少しだけ首を傾げた。
「……ねえ」
「はい?」
「今日のお昼、一緒に食べない?」
「え?」
「二人で」
「……僕と、ですか?」
「他に誰がいるの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「駄目かしら?」
その声は、驚くほど甘かった。
赤い瞳が、期待するようにリンネを見つめている。
断る理由もない。
そもそも、同僚との交流は大切だ。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「本当?」
「はい」
「ふふっ。楽しみにしているわ」
そう言って、エルネアは上機嫌で自分のデスクへと戻っていった。
職員室に沈黙が落ちる。
そして。
「……おい」
ガルドが呟いた。
「今の、見たか?」
「見た」
「聞いたか?」
「聞いた」
「……あれ、本当にエルネアか?」
誰も答えなかった。
ただ一人、リンネだけが不思議そうに首を傾げていた。
◇
「――それでは、今日からよろしくお願いいたします」
王立英雄学園、SSクラス。
学園の中でも選りすぐりの才能を持つ生徒たちが集められた、最高峰のクラスである。
その教室の前方に立ち、リンネは丁寧に頭を下げた。
「本日から皆さんの副担任を務める、リンネ・ユーファラテスです。担当は精霊術になります。どうぞよろしくお願いいたします」
「…………」
沈黙。
そして、次の瞬間。
「え?」
「……先生?」
「いや、待て。生徒じゃないのか?」
教室がざわついた。
無理もない。
目の前に立っているのは、どう見ても十代前半にしか見えない美少年なのだから。
「先生って、本当に成人してるんですか?」
「はい。成人していますよ」
「……マジか」
「マジです」
リンネは苦笑した。
こうした反応には慣れている。
一方、隣に立つエルネアはというと、どこか満足そうにリンネを見つめていた。
「はいはい。静かにしなさい」
パン、と手を叩く。
それだけで、教室が静まり返った。
「今日からリンネ先生が副担任として加わるわ。精霊術を担当するから、何かあれば相談すること。分かった?」
「はーい」
「返事が軽いわね」
エルネアの赤い瞳が細められる。
「あなたたち、自分がSSクラスだからって調子に乗っているのなら、今すぐ考えを改めなさい。学園の外に出れば、あなたたちより強い人間なんていくらでもいるわ」
「……っ」
「それに、いくら才能があったところで、使いこなせなければただの飾りよ。宝石だって磨かなければ石ころと変わらないわ」
容赦のない言葉。
それを聞いた生徒たちは、一斉に姿勢を正した。
(なるほど。これが毒薔薇ですか)
リンネは内心で納得した。
先ほどまでの柔らかい表情が嘘のようだ。
なるほど、確かに厳しい。
しかし、言っていること自体は間違っていない。
むしろ、生徒たちのことを真剣に考えているからこその言葉なのだろう。
そう考えていると、一人の男子生徒が手を挙げた。
「先生、質問いいですか?」
「何かしら?」
「リンネ先生って、どれくらい強いんですか?」
教室の空気が少し変わる。
「俺たちSSクラスの副担任になるんですよね? 精霊術科の教師ってことは、戦闘もできるんですよね?」
「まあ、一応は」
「じゃあ、実力を見せてくださいよ」
挑発するような口調。
周囲の生徒たちも興味深そうにリンネを見つめている。
新人教師の実力を測りたいのだろう。
リンネは少し考えてから、穏やかに答えた。
「どうでしょうね。僕は自分を強いと思ったことがないので」
「……謙遜ですか?」
「いえ。本当にそう思っているだけですよ」
その言葉に、エルネアが小さく笑った。
「ふふっ」
「エルネア先生?」
「いいえ。何でもないわ」
彼女はリンネを見つめる。
その目には、周囲の人間には分からないほどの愛情が滲んでいた。
「そういうところも好きよ」
「……?」
「何でもないわ」
生徒たちの表情が固まる。
(好き?)
(今、好きって言った?)
(あの毒薔薇が?)
誰もが聞き間違いを疑った。
しかし、エルネアは気にする様子もなく教壇へ向き直る。
「さあ、授業を始めるわよ」
その日のSSクラスは、いつも以上に落ち着かなかったという。
◇
放課後。
「リンネ」
「エルネア先生。お疲れ様です」
廊下を歩いていたリンネは、後ろから呼び止められた。
振り返ると、エルネアがこちらへ歩いてくる。
「今日一日、どうだった?」
「とても充実していました。生徒の皆さんも優秀ですし」
「そう。変な生徒に絡まれたりしなかった?」
「特には」
「本当に?」
「はい」
「……そう」
エルネアは少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「もし何かあったら、すぐに私に言ってね」
「ありがとうございます」
「遠慮なんてしなくていいわ。あなたに迷惑をかけるような生徒がいたら、私が責任を持って教育してあげるから」
「教育、ですか?」
「ええ」
にこり。
その笑顔の奥に、何やら物騒なものが見えた気がした。
「……あまり厳しくしすぎないでくださいね」
「リンネがそう言うなら、考えてあげるわ」
「ありがとうございます」
「ふふっ」
エルネアは満足そうに笑った。
その表情は、学園で恐れられる【毒薔薇】とは到底思えないほど柔らかい。
「それじゃあ、リンネ」
「はい?」
「今日のお昼、約束したでしょう?」
「ええ。ご一緒しましたね」
「明日も一緒に食べましょう?」
「……明日もですか?」
「駄目?」
「いえ、構いませんよ」
「本当? 嬉しいわ」
エルネアは心底嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃあ、また明日ね。リンネ」
「はい。また明日」
手を振って去っていく彼女を見送り、リンネは小さく息を吐いた。
「……不思議な人ですね」
毒薔薇。
そう呼ばれるほど恐れられている女性。
しかし、今日一日を通してリンネが抱いた印象は、まったく違うものだった。
優しくて、親切で、気さくで。
少しだけ距離感が近いけれど、面倒見の良い女性教師。
「……毒の要素なんて、どこにも見当たりませんでしたが」
リンネは首を傾げながら、自室へと戻っていった。
――なお。
彼が去った後。
廊下の角から、二人の教師が顔を出した。
「……見た?」
「ええ。見たわ」
「明日も一緒に昼食を食べる約束をしていたわよね?」
「していたわね」
二人は顔を見合わせる。
そして、同時に呟いた。
「「あの毒薔薇が……」」
その頃、職員室では。
「ねえ、ガルド」
「何だ?」
「エルネア先生、今日ずっと機嫌が良かったわよね」
「ああ」
「しかも、リンネ先生が他の女性教師と話しているとき、すごく不機嫌そうだったのよ」
「……何?」
「でも、リンネ先生が話しかけた瞬間に元に戻ったわ」
「……」
ガルドは腕を組み、しばらく考え込んだ。
そして、真剣な顔で口を開く。
「分かったぞ」
「何が?」
「エルネアは、リンネ先生に惚れている」
「……でしょうね」
「いや、待て。問題はそこじゃない」
ガルドは額に手を当てた。
「もしあの毒薔薇が本気で惚れたとなると……」
「なると?」
「この学園、色々と大変なことになるぞ」
誰も否定できなかった。
こうして、王立英雄学園に新たな噂が生まれることになる。
学園最強の毒薔薇が、たった一人の新人教師に恋をした。
そして、その新人教師はというと。
「……明日は、どの精霊たちと遊びましょうか」
そんなことを考えながら、のんびりと教師生活を満喫していた。
なお、彼の契約相手である水の神霊は、そんな主人の様子を見て、どこか楽しそうに揺れていたという。
――平穏な教師生活。
その願いが叶う日は、どうやら遠そうだった。




