第10話 いつものピザ
金曜日の午後、四人家族がチェックインした。
父親と母親、小学生くらいの兄と、その妹。二人ともリュックを背負っていた。兄のリュックには、富士山の形をしたキーホルダーがついている。
「今日、富士山見えますか」
妹が玄関に入るなり聞いた。
「今は見えてるよ。部屋からも見える」
直人が一号室の鍵を渡すと、妹は兄より先に階段を上がっていった。
一号室に荷物を置き、四人はしばらくして食堂へ下りてきた。兄は窓際の席に座り、スマートフォンで何かを見ている。妹は母親の横に立っていた。
「この辺で夕飯を食べられるところ、ありますか」
母親が聞いた。
直人はカウンターの下から周辺の地図を出した。
「何が食べたいですか」
「ほうとう」
父親が言った。
「ピザ」
兄が、画面から目を上げずに言った。
「旅行に来てまでピザ?」
「金曜日だもん」
父親は母親を見た。
「家にいても金曜はピザだからね」
母親が言った。
「せっかく山梨に来たのに」
直人は地図を広げた。
「ほうとうの店なら、この辺に何軒かあります」
直人が地図の一帯を指で囲むと、父親が身を乗り出した。
「歩いて行けますか」
「三十分くらいですね」
「三十分か」
父親は地図を見た。
「ピザは?」
兄が聞いた。
「イタリアンなら二軒あります。こっちの小さな店は歩いて五分くらい。その先にファミレスがあって、そちらは十五分くらいです。どちらもピザがありますよ」
直人は地図に二つ丸をつけた。父親は、さらに先のほうとうの店が並ぶあたりを見た。
「私は、どっちでもいい」
妹が言った。
「さっき、ほうとうって言ってなかった?」
母親が聞くと、妹はうなずいた。
「でも、ピザも好き」
直人は地図を四人の方へ回した。
少しして、四人は出かけていった。
*
八時を過ぎてから帰ってきた。
妹が玄関に入るなり、直人に言った。
「ピザだった」
「近い方の店?」
「うん。おいしかった」
母親はコンビニの袋を持っていた。中にカップのアイスが四つ見える。
「デザートまで店で頼むと、四人分ですからね」
父親が笑った。
「お父さん、ほうとう食べられなかった」
妹が言う。
「いいんだよ。明日食べるから」
父親はそう言ったが、直人には少し残念そうに見えた。
兄は先に階段を上がった。直人はその背中を見送った。
直人にも、金曜日のピザがあった。
独身のころは、仕事帰りの遅い時間に、最寄り駅の構内で買っていた。
東京で家族と暮らしていたころは、マンションの隣の店で買った。子どもたちはいつも炭火焼きビーフにパイナップルをのせた。
セルビアでは、スーパーの冷凍ピザが案外おいしくて、家のオーブンで焼いていた。子どもたちはそのままのマルゲリータが好きだった。直人は具を足して食べていたが、そのうち子どもたちも「それ、のせて」と言うようになった。
そのころは、どれもただの夕飯だった。今は、一枚一枚に、それぞれの暮らしが重なる。
二階で、部屋のドアが閉まる音がした。
*
翌朝、父親だけが七時に食堂へ下りてきた。
「皆さんは?」
「まだ寝てます。昨日、部屋で遅くまでしゃべってて」
直人はコーヒーを淹れた。
「ほうとうの話ですか」
「いや、全然」
父親は笑った。
「上の子が、学校で友達と喧嘩したらしくて。その話を、昨日初めて聞きました」
直人はコーヒーを置いた。
「そうでしたか」
「夕飯のときは何も言わなかったんですけどね。部屋でアイスを食べてたら、急に話し始めて」
父親はカップを持った。
「家ではあんまり、そういう話しないんですよ」
直人は何と言えばいいか分からず、フライパンを火にかけた。
「今日は、ほうとう食べられそうですか」
「どうでしょうね」
父親が笑った。
八時近くなって、母親と子どもたちが下りてきた。
兄は眠そうな顔をしていたが、トーストを二枚と、オムレツを残さず食べた。妹はオムレツを食べ終えると、満足そうに窓の外の富士山を眺めていた。
直人は二人の皿を下げた。
チェックアウトのとき、父親が地図を返しに来た。ほうとうの店を囲み、イタリアンの二軒に丸をつけたままになっている。
「今日こそ、ほうとうを食べて帰ります」
「店、十一時からです」
「それまで湖に行ってきます」
父親は地図を畳もうとしたが、直人は首を振った。
「持っていってください」
「いいんですか」
「また印刷できるので」
父親は地図を受け取った。
湖へ向かう坂道を、兄が先に下っていく。妹がそのあとを追った。母親は二人を呼び止め、車が来ていないか確かめた。
父親も階段を下りていった。
直人は四人を見送ってから、一号室の掃除を始めた。
窓を開ける。小学校の屋根の向こうに、富士山が見えた。
今日は十一時に、次の客が来る。




