3「いいよね」
寝る前の支度を済ませた私は畳の間に向かった。襖を開けるなり、暗闇の中に置き行灯の薄明かりが見える。畳の間に布団が敷かれていて、その布団の上に美音が寝転がっている。
彼女は掛け布団に包まりながら、スマートフォンに夢中になっている。
隣の布団に腰を下ろして寝転がり、私は美音の横顔を窺う。相変わらず、頑是ない子供のような顔をしている。そんな彼女に見惚れる自分がいて、不意に目が合いそうになったから、私は逃げるように枕元へ顔を埋める。
「お姉ちゃん」
美音が私を呼ぶ。私はゆっくりと枕から顔を離して、彼女を見た。スマホを手に握ったまま、顔をこちらに向けるその姿。彼女の部屋着は白い無地のTシャツに、黒いドルフィンパンツだから、肌が多く見えて、私の心臓がどきりと高鳴る。
あどけない目、ぷるっとした艶やかな唇。
手を伸ばせば触れられる距離。それでいて、手を伸ばすわけにはいかない距離。
私はただ自分の気持ちを堪えるばかり。
「学校はもう行かないの?」
「行かない」
言下、間を置かずに私は否定した。
「そっか」
美音がスマホの方へ目を戻したので、私もまた枕の方へ目を戻す。その途端だった。不意に彼女の息遣いが鮮明に聞こえたのだ。
何事かと思って彼女の方へ振り向くと――。
互いの吐息がかかりそうなほど近い距離に、彼女の顔があったのだ。
「お姉ちゃんってさ」
美音が薄らと微笑む。
「ほんと、分かりやすいよね」
一瞬時が止まった気がした。彼女のその蠱惑的に潤んだ瞳が、私の心を掴んで離さない。
私の心の奥深くで渦を巻くどす黒い感情が蠢き始める。
彼女に触れたくて仕方がない。その唇を思い切り奪ってやりたい。彼女を押し倒して、その体に舌を這わせたい。
私の心臓がどんどんと激しく鼓動を打ち始める。
ただでさえ近しい距離だから、彼女の使ったシャンプーの甘い香りが鼻を擽ってくる。
「実は私知ってたんだ」
美音が私の背中へ触れる。虫のように指先を動かして、私の背中をなぞるように摩っていく。私の体は思わずぞくりとして、跳ねてしまった。
虫。そうだ。今の私はかつて彼女に投げられた芋虫なのだ。今ここで、私が生きるも死ぬも彼女の掌に握られている。
彼女の『実は私知ってたんだ』という発言が何を意味するか。
私の今までの行動を振り返る。私が皿洗いを担当する日は両親の目を盗んで、美音の食器に口付けていたし、下着を手に妄想に耽っていたこともあったし、私はただとにかく彼女の全てを陰から手に入れようと夢中だったのだ。
脱衣所で、私を捉えていたあのスマホのカメラのレンズを思い出す。あのカメラの位置からして、私がとる行動すべてを記録できそうだった。つまるところ、私が洗濯機の中に手を入れて彼女の下着を取ろうとしていたことが記録されているわけで・・・。
私の全身から生温い汗が噴き出る。
この感情は興奮なのか、はたまた緊張なのか。
「お姉ちゃん、いつも私の下着を使って何しているの」
「えっと、それは、その・・・」
「私のスプーンを手に、何していたの」
全部知られていた。見られていた。
私の頭は真っ白になった。言い訳を考える余地すらない。
「いつも怪しいと思ってこっそり見ていたの。下着については確信がなかったから、こうして――」
美音はスマホの画面を私に見せてきた。その画面には私が洗濯機の中に手を突っ込んでいる様子が映し出されている。
もう何も考えられなかった。
私はただその場で固まっていた。まるで蛇に睨まれた蛙のように。
「別に怒ってないの」
美音の深く澄んだ瞳が、瞬きを打つ。
それからまた、美音は薄らと笑みを浮かべた。
「むしろ嬉しいの。私もお姉ちゃんのこと、好きだったから」
その瞬間、真っ白だった私の脳内に色が付いた。
「本当・・・?」
私の喉から絞り出したかのような声が出る。
「だって私、いつだってお姉ちゃんのこと見てた。好きだったから、ずっと見ていた。私だって今日、皿洗いをしてスプーンを舐めたかった。私だって・・・」
私は今になって思い出す。何気なく放たれた彼女の言葉に、そんな意図があったとは。
「ずっと見てたから」
そう言って美音は私の唇を奪った。うつ伏せの状態から、仰向けに転がされて、私は執拗に唇を奪われる。
荒々しい口付けだったが、どこか温かい。それは体温のせいもあるが、彼女の思いの丈を知ったからかもしれない。
「お姉ちゃん、好き」
美音が熱い吐息を吐きながら、囁くように言う。
私の体はもうすっかり蕩け切ってしまっていた。だらしなく体を広げていくスライムのように、私はただ彼女に覆い被さられていて、受け入れる体勢を取っていた。
両手を繋いで指を絡め合う。
どこまでも深く沈んでいきそうなほど、布団は柔らかい。揺り籠で揺られる赤子のような心地よさを覚えながら、私はただ口付けに身を委ねた。
幾度となく口付けを交わして、満足したのか、やっと美音は唇を離した。
口付けの時、無意識に息を止めてしまっていたようで、私の息は荒々しくなっていた。いや、息を止めていたせいではない。これは――。
「お姉ちゃん・・・いいよね」
美音が私を見る。その瞳に、私は途轍もない欲望を垣間見た。




