4「『好き』でいよう」
溶けた飴のようにどろりと広がっていく薄暗い感情と、雷霆のごとく凄まじい速度で上り詰めて頭を支配する脆い快感に、私は『罪悪感』も忘れて浸ってしまった。
『姉妹』という関係の垣根を越えたその交わりに、私は、どこまでも溺れていきそうだった。
美音が私のことを『好き』だと発覚したその後、互いに布団へと埋もれながら、互いの息遣いに耳を澄ませていた。
どっと疲れが押し寄せてきていて、頭がぼんやりとする。私は天井を眺めながら、今か今かと睡魔の到来を待つ。
「お姉ちゃん」
美音が体をこちらへ向けていた。私は寝返りを打って彼女のいる方向へ体を向ける。
「どうしたの」
私が尋ねると、不意に彼女は嫣然と微笑んだ。
「好き」
心の奥深くで重たい何かが蠢く。その何かが心の中で理性と犇めき合っているのか、窮屈な感覚になって、私は胸に手を当て、しばらく黙り込んだ。
口を噤んでしまった私へ、美音はそれ以上何も言わずに目を瞑って眠り込んでしまった。彼女も相当疲れたのだろう。すぐに寝息を立て始めた。
私も目を瞑る。疲れている。疲れてはいるのだが、どうしても睡魔だけが押し寄せてこない。
眠気はあるのに寝られないという、カフェインを摂りすぎた日の深夜のような状況に、私は些か鬱陶しさを覚えたが、目を開いて美音の寝顔を見るなりそれは去っていった。
彼女の立てる寝息だけが響く部屋の静寂に、私が寝返りを打つことで生じた布団の衣擦れの音が加わる。
私は美音に背を向けるような体勢になると、もう一度目を瞑った。そして考える。
美音の感情を知って、前よりも深い関係になることができた。しかし、私の心はざわざわと騒ぎ続けていて、おそらく先ほどまで忘れていたはずの『罪悪感』が蘇っているのだろう。
血の繋がる『姉妹』であるが故、互いに『同性』であるが故、私の心は『罪悪感』を感じ静まってくれないのだ。
深夜の歓楽街にでも取り込まれたかのように、ふわふわとした現実味のなさを感じて、すっと目を開く。行灯の明かりが目に優しくて、ずっと見つめていたくなる。
今さら後悔しているというのか。
私は初めて美音の食器に口付けた瞬間を思い出す。あの時は箸だった。彼女の口付けていた箸を咥えて、舌先で味わう。私はその瞬間に『痺れ』を覚えた。
『痺れ』こそ、私が感じる『罪悪感』だったのだろう。
考えている内に段々と眠気が押し寄せてきた。私は眠気の波に身を任せるよう、目を瞑る。
次に目が覚めたら、美音はどんな顔をして私を見るのだろうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
目を開く。いつの間にか朝を迎えていたようで、私はゆっくりと体を起こした。そういえば、スマホでアラームの設定をしておくのを忘れていた。私は隣を見る。今日、美音は学校だ。きちんと起きることができたのだろうか。
隣には未だ眠っている美音の姿があった。
「起きて、美音」
私は彼女の体を揺する。すると「んぅ」と唸るような声を上げながら、美音は目を緩やかに開いた。
「ん・・・今、何時、お姉ちゃん・・・」
私はスマホを確認する。時刻はすでに――。
スマホの画面を彼女に見せた。するとその瞬間、彼女は溜め息を吐く。
「今日ぐらい、学校サボってもいいよね」
美音がそう言って微笑んだ。
彼女のいじらしい笑みを見たからか、私は否定することも肯定することもできなかった。
「学校に電話、お願い」
美音は私にそれだけ伝えて、もう一度目を瞑った。言われた通り私は学校に電話をかけ、彼女の姉として『妹は体調が悪いので休む』と連絡をした。
電話を終え、私も横になる。
両親が帰ってくるのはまだ先だ。それまで一体どのように美音と接すればいいのか分からない。
以前と同じようにある程度の距離感を保っていればいいのか、それとも――。
「お姉ちゃん」
ふと、目を開けた美音が私の名前を呼ぶ。
「私考えたんだけど、お母さんとお父さんが帰ってきたら、これまで通りの関係に戻ろう。それまではさ――」
美音が薄く微笑んで、
「お互い、『好き』でいよう」
と、ほんのりと頬を薄紅色に染めて言うのだ。
私はこくりと頷く。私も同じ考えだった。
「美音」
今度は私が彼女の名前を呼ぶ。
「好きだよ」
私もまた口元が綻んでいた。
「嬉しい、お姉ちゃん。私も好き」
美音が体を起こす。同時に私は彼女の元へ寄って、その唇を奪う。無理にではなく、そっとあてがうように唇を重ねたので、彼女の体温がやんわりと伝わってきた。
軽く口付けを交わしてから、私と美音は顔を見合わせる。
美音のまんまるな目が私を映している。
ああ、そのままずっと彼女の体温に浸っていることができれば、どれだけ幸せなことか。
私は立ち上がってカーテンを開ける。
縁側の方にまで行って空を見上げた。
今にも雨が降り出しそうなほど、空は曖っている。
後から美音も縁側の方へやってきた。
私は外壁のシミを見つめる。かつて美音が芋虫を投げ付けたその跡が、今はやけにはっきりと見えた気がする。
不意に、私の手を美音が握った。
指を絡める。
私はもう一度空を見上げる。
この曖る空もいつか、晴れてしまうのだろう。
同じく、私と美音の関係もいつかは終わってしまう。
それでいいのだ。お互いのためにも。
私は隣に立つ美音を見た。彼女もまた私を見ていた。




