37話 妥協
お母さんは腕を組んで少し唇を尖らせるような表情をした。あまり慣れていないから多分怒りを表す為にその表情をしているのだろうが、完全に可愛らしい顔をしているだけみたいになっている。
「はじめ……ちょっと説教しなきゃいけない事があります!」
「……は、はい」
説教……? 別に俺は悪い事はしていないはずだが?
思い当たる節が無く、頭にクエスチョンマークを浮かべていると、お母さんは俺をとりあえず床に座らせ、自分も同じように座りながら話し始めた。
「はじめ、私が気付いていないとでも思ったの?」
「なんの事? 僕悪いことなんて……」
「夜……布団の中で何やってるの?」
「…………」
心当たりがない訳では無い。
夜、布団の中で俺は毎日本を読んでいる。
俺はスキル《夜目》と《視力》をある程度のレベルまであげている為、ほぼ真っ暗な場所であっても完全にクリアとまではいかなくとも、目を凝らせば本の文字を何となく読む事はできる。
その為、夜になったらお母さんにバレないようにこっそりと本を布団に運び込み、読書の時間に当てているのだ。
だが、それがバレているとは思えない。
とんでもないレベルのスキルを俺が持っていると言うことはまだバレていないはずだし、もし布団に本をもっていっているのがバレたとしても、中で本を読んでいるという事がバレるはずがない。
こうなったら……とりあえずしらばっくれよう。
「……何のこと?」
とりあえず、俺は首を傾げてみせた。
自分でも少し白々しいとは思うが、ここであっさり認める訳にはいかない。
「本当に分からない?」
「うん」
「じゃあ、昨日の夜、私がはじめの布団をめくった時にあった本は何かな?」
「ね、寝る前に読んでて……そのまま忘れちゃったのかも」
「ふーん……」
疑いの目で見つめてくるお母さんに罪悪感を感じながらも、深夜の読書タイムを確保する為に誤魔化し通さなくてはいけないため、俺は嘘に嘘を重ねる。
「あ、それに、本を持ちながら寝た方が寝やすいんだ! ほら、ひんやりしてて気持ちいいし!」
「…………はぁ、はじめ、私悲しい、はじめが嘘つきになっちゃうなんて」
「ほ、ほんとだよ!」
お母さんは溜息をつきながら瞳に涙を貯める。
くっ、俺はどうすればいいんだ……!
お母さんを悲しませたくなんかない。そんな事をするくらいなら深夜の読書タイムが無くなっても構わないという気持ちは大きい。
しかし、それ以上に時間が足りなく、少しの時間も削りたくないという気持ちも大きい。
俺が葛藤しているうちにお母さんは瞳に溜まった涙を拭き、真剣な表情で俺に語りかけた。
「はじめ、私知ってるんだからね……はじめが布団の中で夜遅くまで本読んでるって」
な、なんでバレてるんだ!?
確かにお母さんは親バカな部分はあるが、それでも一般常識が無い人ではない。
少し考えれば普通の人は布団の中で本が読めないってこと分かるだろ!?
何故バレているのか分からないが、とりあえず弁明続ける。
「っ!? そ、そんなこと出来るわけないじゃん、布団の中は真っ暗だし!」
俺は必死の弁明を続けた。
だが、お母さんから帰ってきたのは衝撃の返答だった。
「はじめだったらそのくらいできる!」
「……え?」
「だって、はじめは天才だし、視力だってすんごく高いんだから……そのくらい出来ておかしくないの!」
あー、そっか、完全に理解した。
俺は今、一般常識が息子愛に完全敗北している様を観測しているのか。
その事を理解してからは早かった。
こうなったお母さんを止められるわけもないので、すぐさま謝罪の体制に入る。
「うぅ……ごめんなさい、もっと勉強して、お母さんに褒めてもらいたくて……」
こうなれば情に訴えるしかない。
多少卑怯な気もするが、別に全部が嘘という訳でもない。
実際、お母さんに褒められるのは嬉しいし、将来の為に少しでも多く勉強しておきたいと思っているのも本当だ。
「……私に?」
「うん……」
俺は出来る限りしょんぼりとした表情を作りながら、小さく頷いた。
すると、お母さんは先ほどまでの怒った表情を一瞬で崩した。
「は、はじめぇ……!」
そして次の瞬間には、勢いよく抱きしめられる。
「うわっ」
「ほんとに……本当に可愛い子なんだから……!」
「く、苦しいよ」
頬擦りを繰り返すお母さんに俺は思わず笑みを零した。
ふっ、ちょれぇぜ。
何年一緒におると思ってるんだ、お母さんの攻略法はもう分かってるのさ。
デメリットとして非常に大きな罪悪感というものがあるため何度も使うことは無いが、この方法を使えばある程度の事なら聞き入れてもらえるって分かってるからな。
「…………でも、夜遅くまで本を読むのはダメよ?」
「やったぁ、ありが…………え?」
な、なんだと!? この技が効かないだと……!?
そ、そんなの僕のデータには無いぞ!
「ふぅ、それで、さっきの条件なんだけど、夜10時には必ず寝る事! それが守れるなら買ってあげる」
「…………」
夜10時、俺が今まで寝てたのはだいたい深夜の2時以降だから、単純計算で4時間程時間が減ってしまうわけだ。
この体だと1度寝てしまえば起きるのは難しく、いつ寝てもお母さんが起こしてくれるまで寝てしまうため、朝に読む時間を回すというのも難しい。
だが、本を買って貰えないのであれば、そもそも読むものが無くなってしまう。
……これは、難しい選択だ。
「……分かった、10時には寝る」
結局、俺は条件を飲むことにした。
4時間を失うのはかなり痛いが、それ以上に新しい本が手に入る方が大きい。
「ほんと?」
「うん、約束する」
「よしっ、じゃあ今度のお休みに買いに行こっか!」
嬉しそうに笑うお母さんを見て、俺も少しだけ笑う。
まあ、これでいいか。
時間が減ったなら、その分もっと効率良く使えばいい。
そう考えながら、俺は次に読む本のことを考え始めた。




