昔々、ある所に……
マーシア・ハンクス。
前ハンクス侯爵だった彼女は、ウィロウの母の姉(ビリーの祖母の姉)である。
未亡人のマーシアは七十過ぎとのことだが、実際に会ってみると年齢よりかなり若く見えた。
そんなマーシアが、応接室で待っていた私の姿を見るなり大粒の涙を流し泣いている。
予想外の反応に焦った私が隣に座るビリーへ顔を向けたら、彼は小さく首を横に振った。
どうやら、『おとなしくしていろ』の意味らしい。
こうして、しばらくの間、私はただその様子を眺めていることしかできなかった。
◇
「マーシア伯母上、大丈夫ですか?」
「ええ、ウィロウ。取り乱してごめんなさい。思いの外、動揺してしまったようだわ」
微笑みながら横に付き添うウィロウの手を握りしめたマーシアは、再び私へ視線を戻した。
彼女の黒色の瞳が、光の加減で紺色へと変化する。
不思議な現象を目の当たりにし、せっかくエスプーモで学んだ礼儀作法も忘れ私はつい顔を凝視してしまった。
「ふふふ、この瞳がそんなに珍しいのかしら?」
「あっ、申し訳ございません……」
「いいのよ。自分の瞳の変化は、鏡で見てもわからないものよね」
マーシアに言われて、私も彼女と同じような瞳を持っているのだと気付く。
だから、周囲の人たちが私の瞳に注目するのだと、同時に納得もした。
「伯母上、まずは彼のペンダントをご覧ください」
ウィロウに促され、私のペンダントを手に取りじっくりと観察をしているマーシア。
私たちが王都に来た目的は、このペンダントの謂れを知ることだ。私は、ドキドキしながら彼女の言葉を待った。
「……これは、アイザックのペンダントで間違いありません」
「では、やはりアンリは……」
「ええ。まあ、これほど似ているのだから、最初から疑う余地など皆無でしたが」
「そうですね」
ようやく見つかったと、喜び合うマーシアとウィロウ。
二人が何をそんなに喜んでいるのかはわからないが、『アイザック』とはどうやら私の祖父の名のようだ。
それにしても、先日の前エルゾラン公爵のメイソンからも言われたが、アンリとアイザックは余程よく似ているらしい。
母が生まれる前に亡くなった祖父のことは、穏やかな優しい人だったということ以外、私は何も知らない。
それなのに、庶民である祖父を貴族のマーシアたちがどうして知っているのだろうか。
「ウィリアムが、アンリを王都まで連れてきてくれたと聞いております。あなたにも、世話をかけましたね」
「いえ、とんでもございません」
私と同じく、終始緊張した面持ちのビリーが、恐縮したように言葉を返した。
「ウィロウからの報告では、アンリのご両親はすでに亡くなられているそうですね。そして、兄弟姉妹もいないと……」
「はい」
「であれば、あなたを正式に我がハンクス家の一員に迎え入れたいと思います」
「……えっ!?」
「養子の手続きは終わっているようだから、ウィロウ、すぐに部屋の準備をなさい。それと、仕立屋に靴職人に……とにかく、いろいろな手配をしなければ」
驚いている私を差し置き、マーシアは次々とウィロウへ指示を出していく。
ペンダントはアイザックのもので、アンリは祖父の若かりし頃によく似ていることもわかった。
しかし、そこからどうして、私がハンクス家に迎え入れられるという話にまでなるのだろうか。
(養子の件は、ただのお守りのはずなのに……)
事情がわからず不安になった私は、隣にいるビリーの顔を見る。
私を見つめ返す緋色の瞳は変わらず穏やかなのに、いつもと何かが違う気がした。
「……これまでの現状を鑑みたとき、俺だけでは今後おまえを守りきれないことが出てくるかもしれない。だから、ハンクス侯爵家に庇護してもらうのが最善策だと考えた。おまえに黙って決めたことは、本当にすまないと思っている」
「ビリーさん……」
「フフッ、そんな顔をするな」
ビリーの手がいつものように伸びてきて、私は目を閉じそれを受け入れる。
不安な気持ちが、彼の手の温もりによってスーッと溶けていった。
「もし、おまえが望むのであれば、俺はこれからもずっと傍にいると約束する」
「あ、ありがとうございま……す?」
「ハハハ、どうして疑問形なんだ」
「だって、ビリーさんが……なぜ、急にそんなことを?」
「……すぐに、わかる」
目を開けてビリーへ尋ね返したが、彼は曖昧に微笑むだけで答えを返してくれない。
「マーシア伯母上、少々お待ちください! 実は、まだアンリには詳しい話をしておりません。それに、伯母上に報告していないことが一つございます!!」
私たちが無言で見つめ合うなか、慌てたようなウィロウの声だけが応接室に響いていた。
◇◇◇
――昔々、ある所に一人の若い女性がいました。
彼女はある男爵家の令嬢でしたが、父親が事業に失敗し家は没落。
親戚の伝を頼り住み込みで働き始めたのは、ある高位貴族の別荘でした。
そこで彼女が出会ったのは、この家の跡取りである若い男性。
彼は病気療養のため、王都を離れ領地へ戻ってきていたのでした。
女性の献身的な看護で男性は元気になり、王都へ戻ることになります。
このとき、すでに彼女を愛していた男性は求婚しますが、身分をわきまえていた女性は申し出を断り、彼の前から姿を消してしまいました。
しかし、諦めきれなかった男性は女性を捜しだし、二人はついに結ばれます。
もちろん身分差があるため、正式な結婚は両親からは認められません。
王都内に用意した家に女性を住まわせ周囲には秘匿した関係でも、娘が生まれ二人は幸せでした。
ところが、そんな二人の幸せを脅かす者が現れたのです。
それは、男性の婚約者に決まった女性でした。
婚約者は自分の結婚の妨げとなる母娘を亡き者にしようと暗躍しますが、男性に計画を阻止され失敗。
彼の逆鱗に触れ、最後は家ごと破滅させられたのでした。
大切な妻子を守るため、男性は決意します。
貴族の面倒事に巻き込まれないよう、二人を危険な王都から遠ざけ、一年の内ひと月だけ会いに行くことにしたのです。
そしてそれは、彼が亡くなるまで続きました――
◇◇◇
「わたくしの弟アイザックは、生涯あなたのお祖母様だけを愛したの。だから、両親からどんなに言われようとも、決して他の人と結婚はしなかったわ」
「…………」
マーシアが聞かせてくれた昔話に、私は言葉が出てこなかった。
庶民だと思っていた祖父は侯爵家の跡取りで、祖母は元男爵家の令嬢だったなんて、ただのびっくりを通り越して驚愕するしかない。
「お祖母様には大変申し訳ないことをしたと、わたくしは思っています。弟の我が儘のせいで、幼い子を抱えて相当なご苦労があったでしょう」
「祖母は僕が二歳の頃に亡くなりましたので、ほとんど記憶はありません。でも、いつも笑顔を絶さない人だったと母からは聞いています」
「そう……」
マーシアがアンリに向けるまなざしはとても温かくて優しい。
私の中に、今は亡き弟の面影を見ているのだろうか。
「ウィロウに村の食堂まで向かわせたときは、あなたは行方知れずになっておりとても心配したのよ」
「村の食堂ですか?」
「君には黙っていたが、私には目的が二つあったのだよ。一つ目は、姉上に頼まれた甥の様子を見に行くこと。そして二つ目が、アイザック叔父上の忘れ形見……つまり、君に会いに行くことだったのさ」
アイザック亡き後ハンクス侯爵家を継いだマーシアは、次代の跡継ぎとなる人物をひそかに捜していた。
そしてその候補者の中には、なんとビリーも入っていたのだという。
「ウィロウを後見人にして、バルドー家の三男であるウィリアムを養子にしようと考えていたのだけど、他家に先を越されてしまって……それで断念したのよ」
他家とは、もちろんデルボーラ家のことだろう。
ビリーもこの話は初耳だったのか、隣で苦笑いを浮かべている。
「そこで思い出したのが、アイザックの娘だったの。もし彼の孫が複数いれば一人を引き取りたいと、ウィロウを向かわせたのだけど……」
アイザックの娘である母は十年前に、父も半年前に亡くなっており、一人娘である孫の私は村を出たあとだった。
「消息不明の君の行方を捜していたところに、姉上から『ウィリアムが、アイザック叔父様の血縁者らしき人物を連れて王都にいるから、真偽を確かめてほしい』と手紙をもらった。それで、対面することにしたのだよ」
その後の出来事は、私も知っての通りだ。
「報告では『孫娘』と聞いていたし、わたくしが領地から戻るまで、あなたが見つかったことを黙っていた件に対してウィロウを叱責したけど、ともかく、アンリが無事であればすべて些末なことだわ」
ホホホ……と笑い「これから先のことを、考えていきましょう」と私に明るく告げるマーシアに、ウィロウが横から割り込んできた。
「実は、伯母上にすぐ報告しなかったのには理由があります」
「……何かしら?」
「今は男の姿でアンリと名乗っていますが、本来は女性でアンヌという名です。つまり、男女が入れ替わっております。こうなる原因は不明ですが、本人は『ペンダントに祈ったら、男性になった』と。なぜ、そのようなことを願ったのかについてですが、以前報告した通り───」
ウィロウの話は続いているが、こんな突飛な話を聞かされたら誰でも反応に困るだろう。
詳細な報告を受けたマーシアが、私とペンダントを交互に見つめたまま身動ぎ一つしない。
「あの、伯母上? お気を確かに───」
「まさか、言い伝えが本当だったとは……」
意外な言葉を口にしたマーシアが取り出したのは、私のとまったく同じ意匠のペンダントだった。




