絶対に負けられない戦い(後編)
私の挑発にアビゲイルが乗ってくるか正直不安だったが、クリス直伝の煽り技のおかげ(?)で激高した彼女が躊躇なく私へ術を行使してきた。
アビゲイルの警戒心を弱めるために一生懸命(クリスの真似をして)『女たらし』を演じていたら、侍女役のルナから「アンリくんは才能あるよ!」とあまり嬉しくないお褒めの言葉をいただいてしまったのは、おまけの話。
ルナも私と同じ庶民でただの薬師なのに、「ビリー先輩のために!」と侍女の真似事までして本当によく頑張ったと思う。
◇
アビゲイルから魔法を掛けられたとき、肌にチクッとした痛みが走ったあと頭にモヤがかかったような状態となり、これが『魅了魔法』なのだと冷静に受け止めた。
エスプーモで薬を盛られたときとは違い、術者への嫌悪感が一瞬でなくなったのがこの魔法の恐ろしいところなのだろう。
今は魔法が半分かかった状態で、相手の目を見ることで完全に『魅了』されるのだという。
事前にビリーからは「何があっても、絶対に術者の目を見るな」と言われていた私は周囲の状況が見えず怖かったが、ギュッと目を瞑りただじっとしていた。
「確保だ!!」の声で周りが慌ただしくなり、その後、目を閉じたまま聞かれたことに受け答えをしているうちに魔法が解除される。
頭がサーッと澄んだように晴れたあと恐る恐る目を開けると、心配そうに私を見つめる緋色の瞳が見え思わず涙がこぼれた。
◇
私たちは、エルゾラン公爵家の広い応接室に通されていた。
部屋の中にいるのは、私を守るように両脇に座るウィロウとビリー。
クリスと、彼の父親であり現エルゾラン公爵であるタイラー。
そして、祖父の前エルゾラン公爵メイソンと、彼の姪でありアビゲイルの母親でもあるフェリシティ。
父親のオリバーとアビゲイルの九名。
緊迫した空気の中、まずはタイラーが口を開いた。
「この度の件については、エルゾラン家の一族を代表し謝罪したいと思う。誠に申し訳なかった」
クリスと同じ水色の瞳を伏せウィロウへ頭を下げるタイラーへ、フェリシティは信じられないと言わんばかりの視線を送る。
「た、たしかに、アビゲイルが魅了魔法を行使したことは事実ですが、相手はただの従僕です。それなのに、なぜこのように大仰な場を設けているのでしょうか? しかも、娘は手枷まで嵌められて、まるで罪人扱い。いくらなんでも、おかしいではありませんか!」
「そうよ! 婚約解消された腹いせにわたくしに仕返しをしようと企んだのでしょうけど、残念だったわね。さあ、早くこれを外してくださらないかしら。手が痛いのよ!!」
自分の娘は何も悪いことはしていないと主張するフェリシティと、目を吊り上げ喚きたてるアビゲイル。
二人に、反省の様子は一切見られない。
故郷の村を出て行く私に近所のおばあちゃんがぽつりと漏らした「アンヌ、所詮世の中は『貴族にあらずんば、人にあらず』なんだよ。悲しいけれど……」の言葉が思い出され、私は奥歯をグッと噛みしめる。
エスプーモでの一件もそうだったが、庶民は貴族からは軽んじられる存在だ。
ここまで苦労したのに、結局またアビゲイルの罪は問えずに終わってしまうのかと思ったら、悔しくて悲しくて胸が張り裂けそうになる。
チラッと両隣に座るビリーとウィロウの顔を見たが、二人とも表情は変わらず無言のままだ。
「おまえたちは勘違いをしているようだが、アンリ殿は従僕ではない」
(ええ、私は従僕ではなく、ただの孫弟子です)
「彼は、ハンクス侯爵様の養子……つまり、ハンクス侯爵家の次期当主だ」
(……えっ!?)
私が驚いてウィロウへ顔を向けると、彼女がニヤリと笑った。
「嘘! そんなの嘘よー!!」
「ど、どこに、そんな証拠がありますの?」
アビゲイル母子が発狂するなか、ウィロウはおもむろに口を開く。
「わたくしが、いつアンリを従僕だと申しましたでしょうか? 今日は、彼を正式にお披露目する前に場に慣れさせようと連れてまいりました。もちろん、エルゾラン公爵様とご子息のクリス様には事情を説明し、事前に許可もいただいております」
「今日、実際にアンリ殿にお会いして、秘匿される理由に納得したところだ。もし彼が次期侯爵と知られれば、クリスのときのように女性たちが騒いで大変なことになっていただろうからな……」
遠い目をしている父親の隣で、クリスが私へウインクをする。
以前、彼から延々と聞かされた自慢話は、嘘でも誇張でもないただの事実だったようだ。
「こちらとしましても、アンリの正体を隠しておりました手前、事を大袈裟に公表するつもりはございません。……ですが、一つ間違えば大事になっておりました」
「もちろん、当方としては厳正に処分をくだす所存だ」
タイラーは、厳しい顔で三人を見やる。
「本日をもって、デルボーラ伯爵家を一族から追放する。今後、エルゾラン家から資金援助は一切なく、我が一族を名乗ることも許さぬ」
「そ、そんな……資金援助をいただかなければ、我が家は立ちゆきません!」
「そんなこと、私が知ったことか。そもそも、おまえの教育が悪いせいだろう? 夫と娘を甘やかし、一族がこれまでどれほど迷惑を被ってきたか……」
「メイソン伯父様、どうか寛大な処罰に改めていただきますよう、お口添えを! それに、彼が本当に養子であるか、確認をさせてください。でなければ、わたくしはこの処分に到底納得できません!!」
往生際が悪いとは、まさにこのことだろうか。
でも、アンリがウィロウの養子になった証拠の書類なんて存在…………した!!
◇
あれは、昨夜のこと。
私室に呼び出された私たちの前にウィロウが出したのは、一通の書類だった。
「作戦を決行するまえに、君に署名をしてもらいたい」
長々と文字が書かれているが、先日の魔法使いの本のように難しい単語と回りくどい文章に、やはり私には理解が難しい。
「これは、いざという時にアンリを守るための書類だ。ビリー、おまえが弟子に代わって内容を確認してやれ」
ウィロウに促され、ビリーがサッと目を通していく。
「叔母上、これは……マーシア大伯母様は、承知されているのですか?」
「現在のハンクス侯爵は私だ。それに、アンリなら伯母上も反対はしない。これ以上の『お守り』は、ないだろう?」
「たしかに、そうですね……」
納得したように頷いたビリーは、私へ顔を向けた。
「もし、おまえが囮作戦を中止するのであれば、この書類は必要ない。しかし、実行するのであれば……」
「……必要だと、ビリーさんは思われるのですね? でしたら、私はその判断に従います」
私はパパッと、書類に『アンリ』と書いた。
「コラ、おまえは内容の確認もせずに、簡単に署名をするんじゃない!」
「だって、私はお二人を信用していますから、問題ありません」
◇
昨夜のことを思い出しながらビリーへ顔を向けると、彼が微笑んでいる。
もしあの時、書類の内容を確認していたら、私は署名を躊躇ったと思う。
いくら私を守るためとはいえ、庶民が侯爵家の養子になるなんて有り得ない話だが、それを実行したウィロウはさすがと言うべきなのだろうか。
何にせよ、本当に私を守ってくれた。
「…………」
「伯父様、お願いいたします!」
「……書類を確認するまでもない。彼がハンクス侯爵家の正当な後継者であることは、瞳を見れば明らかだ」
姪へ淡々と答えを返したメイソンは、私へ顔を向ける。
「君は、アイザックの若かりし頃にそっくりだ。マーシア様も、さぞかし驚かれるであろうな……」
(『アイザック』って、誰のこと? それに、また瞳のことを言われたけど……)
頷くウィロウの横で首をかしげる私から再びフェリシティへ視線を戻したメイソンは、悲しげに顔を歪めた。
「妹が亡くなったのは、おまえがまだ七歳のときだったな。それからは、不憫な姪が苦労しないよう私は心を配ってきたのだが……こんなことになって、非常に残念だよ」
「そんな、伯父様!!」
メイソンは私たちへ頭を下げると、部屋を出て行った。
これは、デルボーラ伯爵家の後ろ盾であったメイソンが、彼らを見限った瞬間でもあった。
◇
あの騒動から数日後、私たちはウィロウと朝食を取っていた。
「ああ、今朝も寝覚めの良い日だった」
あの日以来、ウィロウの機嫌はすこぶる良い。
『クソ女』呼ばわりまでして嫌っていたアビゲイルの罪を、非公表ではあるがようやく裁くことができたのだ。
これまで溜まっていた鬱憤がすべて晴れたと、満面の笑みを浮かべている。
「彼女を断罪できたのは良かったですが、私はビリーさんの名誉回復が果たせなかったことが残念です……」
「おまえは、いつまでそれを言っている? 俺は十分に感謝しているぞ。あの女の使命を、打ち砕くことができたのだからな」
ビリーは、作戦中に私がまた危険な目に遭わないかそればかりを心配していて、無事だったことに安堵していた。だから、この結果にも満足しているようだが、私としては一番の目的としていたことが達成できず、悔しさがいつまでも残っている。
これだけが本当に心残りで、せっかくの美味しい食事なのに純粋に楽しむことができずにいた。
「ビリーの言う通り、公爵家の一族から追放されたデルボーラ家に婿入りする貴族は誰もいなくなるだろう。前公爵様の後ろ盾がないあの家には、何の魅力も旨みもないからな。まあ、アビゲイルが頑張って大商会の子息を射止めることができれば、資金援助くらいはしてもらえるかもしれないが、彼女の自尊心がそれを許さないだろう」
抑えきれなかったのか、ウィロウが「あの女、今ごろ吠え面をかいているだろうな」と楽しげに笑い始めた。
「デルボーラ家は没落が確定だ。でもな、アンリ……この私が、それだけで許すわけがないだろう?」
「……ウィロウ様?」
「エルゾラン公爵様へ、ビリーとアビゲイルの婚約解消の件を再調査するようそれとなく伝えておいたから、安心して吉報を待つがいい」
「あなたは、いつの間にそんなことまで……」
「向こうは、アンリの件でこちらに借りがあるのだから、返してもらうのは当然だろう? まあ、私が言わずとも、クリスがやってくれたとは思うがな」
ビリーは「少々、やり過ぎではないですか?」と呆れを含んだ驚きの表情をしているし、貴族間の駆け引きなんて何もわからない私は「ウィロウ様、ありがとうございます!」と感謝することしかできない。
普段はこんなでも、やはりウィロウは生粋の貴族なのだと感心した私だった。
「さて、おまえたちに大事な報告がある。来週、マーシア伯母上が領地から戻られることが決まったぞ」
「でも、まだ次の満月までは半月ありますが……」
「だから、君はアンリの姿で面会してもらうことになる。私が伯母上に事情を説明するから、そんな不安そうな顔をするな」
ウィロウは問題ないと微笑んでいるし、ビリーも「俺もいるから大丈夫だ」と言ってくれた。
この二人が一緒にいてくれるのなら安心だ。
私たちが王都へやって来てからいろいろなことがあったが、ついに当初の目的を果たす日が来た。
私は逸る気持ちを抑えようと、ペンダントをきつく握りしめたのだった。




