絶対に負けられない戦い(前編)
この日、エルゾラン公爵家に現れたハンクス侯爵家の当主であるウィロウは、一人の少年を連れていた。
くっきりとした二重に光りの加減で緑や青に見える不思議な瞳を持つ彼は、綺麗に手入れがされた光り輝く金髪を瞳の色に似たリボンで一つに纏めている。
祝いの席であるのに、華美ではなく落ち着いた服装。
ウィロウの後ろに、ただ静かに控えていること。
以上のことから、彼は招待客ではなくハンクス侯爵家の従僕と思われた。
しかし、今日この場に集っているどの男性客にも引けを取らない見目麗しい彼の姿に、女性たちの目は釘付けだ。
ウィロウが彼へ用事を申し付ける際に「アンリ」と呼びかけていることで彼の名は判明したが、年齢などは一切不明。
ウィロウへ直に、もしくは自身の侍女や従僕をつかってアンリへ接触を試みる猛者もいたが、すべて主であるウィロウにはぐらかされ何の収穫もないまま終わる。
招待客であれば直接声をかけて交流を深めることもできるが、他家の従僕であるため遠くから眺めることしかできない。
年頃の女性たちは歯痒い思いだった。
周囲の注目を一身に集めているウィロウとアンリをじっと見つめる、薄緑色の瞳があった。
デルボーラ伯爵家の一人娘であり、ビリーの元婚約者であったアビゲイルだ。
彼女は今日も人形のように顔立ちの整った従僕を連れていたが、いつもなら彼を愛でるために集まってくる者たちが見向きもしない。
彼女たちの視線は、すべてアンリに注がれていた。
(フン、年増女が……)
心の中でウィロウへ罵声を浴びせ、本来であればあそこで注目を浴びていたのは自分だったはずだとアビゲイルは憤る。
馬車の窓から見かけたアンリに目を付け、従僕に命令して彼の情報を聞き出し、店の前で待ち伏せをしたまではよかった。
しかし……
ふと、アビゲイルの計画を二度も阻止した元婚約者の顔が浮かぶ。
苦々しさで思わず下唇を強く噛むと血が滲んだが、口紅のおかげで目立つことはない。
ビリーに牽制されしばらくはおとなしくしていたアビゲイルだったが、アンリについての調査はさせていた。
師であるビリーと共に王都へ出てきたあとは、ずっとハンクス侯爵家に滞在している。
アンリは時折外出するが、移動はすべて馬車のみ。
常にビリーが目を光らせていて、アビゲイルが再び彼と接触できる機会は皆無だった。
そんなアンリは、ここひと月ほどはまったく姿を見せず屋敷内に引きこもっているようだったが、久しぶりに姿を現したと思っていたらハンクス家の従僕となっていたのだ。
ハンクス侯爵家の当主ウィロウは元婚約者ビリーの師であり、アビゲイルのことを快く思っていないのは社交界での態度で気付いていた。
婚約解消となったアビゲイルに周囲は同情したが、その後、なかなか新しい婚約者は決まらない。
それというのも、『侯爵家の三男は、伯爵家の娘に嵌められた』という噂がまことしやかに流れているからだ。
アビゲイルは、噂を流しているのはバルドー侯爵家、もしくはウィロウではないかと睨んでいるが証拠はない。
(とにかく、これ以上の手出しは危険だわ……)
逃した獲物は大きかったが、アビゲイルは気持ちを切り替え社交に精を出すことにした。
デルボーラ伯爵家の一人娘である彼女は、結婚をし跡取りをつくるという使命がある。
それを果たすためにも誰かに婿入りをしてもらわなければならないのだが、持ち込まれる見合い相手は格下の子爵家令息ばかり。
しかも、アビゲイル好みの見目の良い人物は誰一人いないという有り様。
侯爵家の出で、宮廷薬師という職に就き、涼やかな目元と薄い唇の整った顔立ちをしていたビリーのような好条件の人物は皆、他の女性のところへ行ってしまい自分のもとへは来ない。
そのことが、アビゲイルの自尊心をいたく傷つけていた。
(ウィリアムが、おとなしくわたくしの言いなりになっていれば……)
半ば自棄気味にカクテルを飲み干していたアビゲイルの耳に届いたのは、ある話し声だった。
「……あの方? 王都の街中でしつこく彼に声をかけていたのは」
「それが……彼は使いでクグロフ菓子店で買い物をしていたから『急いでおります』と丁寧に断りを入れたのに、『貴族のわたくしに逆らったら、どうなるかわかっているの?』と彼を恫喝したんですって」
「まあ、怖い方ね……」
「そんな必死にならなければいけないほど、彼が気にいったのかしらね。まあ、彼女の気持ちがわからないではないけど。本当に可愛らしい方ですものね……ふふふ」
話をしているのは、二人の中年女性だった。
彼女たちは噂の人物の名は口にしていないが、視線はアビゲイルに固定されており、誰のことを指しているのか一目瞭然。
これが作り話であれば毅然とした態度で抗議をするところだが、紛れもない事実であり、アビゲイルは黙ってやり過ごすしかない。
しかも、彼女たちは社交界では噂好きと有名な二人組。
この会が終わるころには招待客全員に広まっていることは確実だった。
あの日、アビゲイルは周囲に貴族関係者がいないことを事前に確認をしていた。
馬車で店の前を通り過ぎた貴族の誰かに見られていたかもしれないが、よほど近くに居ない限り会話まで聞かれることはない。
あのときは、アンリを田舎から出てきたただの庶民だとアビゲイルは認識していたため衝動的に行動を起こしてしまったが、さすがに浅慮だったと反省をしている。
ただ、それだけアンリが彼女好みの人物だったのだ。
もしかしたら、通りかかった他家の侍女や従僕に目撃されていたのかもしれないが、おそらくこの話を彼女たちへ伝えたのは……
思い当たる人物へ視線を送ったアビゲイルは、思わず息を呑む。
歓談に忙しいウィロウの後ろで、冷淡な笑みを浮かべながら蔑みのまなざしでこちらを見るアンリの姿があった。
◇
(本当に、忌々しいことばかりね……)
アビゲイルは、険しい表情で公爵家の広い庭園を散策していた。
自分についてこようとした従僕に「ここに居なさい」と命じ、一人で庭園の奥へ奥へと歩いていく。
噂を耳にした母親からは「いい加減にしないと、婿候補がいなくなる」と行動を窘められたばかりか、父親からは「面食いも、ほどほどにしろ」と言われる始末。
「(母から)金遣いの荒さを日頃から注意されている上に、重要な社交場であった『エスプーモ』を同伴者の咎で退会させられた癖に!」と言い返したアビゲイルに、父親は顔を真っ赤にして怒り狂った。
その様子に、アビゲイルは少し溜飲が下がる。
ところが、そんな彼女へ父親は、その問題行動を起こした同伴者が見合い相手のセオドアだったと告げた。
彼は子爵家の令息で地方役人という肩書きではあったが、見目はそれほど悪くはない。
アビゲイルとしてはいろいろと不満はあるが、この辺りで手を打とうと思っていた。
それなのに、彼はあろうことか商売女性に惚れこみ薬を盛ったのだという。
その相手が綺麗な金髪女性だったと聞いたアビゲイルは、セオドアが自分へ投げつけてきた言葉を思い出す。
『あなたの心は、その髪のように汚れている』
先に自分が相手の髪色を否定したとはいえ、彼女にとってはこれ以上ない侮辱の言葉にアビゲイルは激怒する。
幼い頃から、母親のような綺麗な金髪ではなく、父親に似た赤みがかった髪色にアビゲイルは劣等感を抱いていた。
その反動なのか、彼女が身近に置く従僕はすべて容姿の整った金髪美少年のみ。
反対に、侍女は金髪の者は一人もいない。
金髪男性への異常な執着と、美しい髪色を持つ女性への歪んだ感情を、アビゲイルは持っていたのだ。
◇
ここまで来れば誰もいないと思っていたアビゲイルだったが、残念ながら先客が二人いたようだ。しかも、彼らは木の陰で抱き合っている。
突然現れたアビゲイルに女性は慌てて逃げ出し、一人取り残された男性が「チッ」と舌打ちしたあと冷ややかな視線を送ってきた。
「こんな所まで追って来るとは、あなたは余程僕に興味があるようだ」
暗がりでもはっきりと認識できる、綺麗な金髪をなびかせた人物。
顔つきも雰囲気も言葉遣いも、すべてが以前とは別人のようなアンリの態度にアビゲイルは驚いたが、そんなことはおくびにも出さずにっこりと微笑む。
「……これが、あなたの本性というわけかしら?」
「ずっと従順でいると、肩が凝って仕方ないからな。僕だって、たまには羽を伸ばしたいのさ」
グッと手を上にあげ大きく伸びをしたアンリを、アビゲイルは見つめる。
「だから、手近なところに手を出したのね。あの制服は、公爵家の侍女よね?」
「そうみたいだね。声をかけられて美人のお姉さんだったから付き合ってあげたのに、誰かさんに邪魔をされてしまったな。まあ、そろそろ戻らないとウィロウ様に叱られてしまうから、丁度よかったかもしれないが」
じゃあ、僕はこれで……屋敷へ向かって歩き出したアンリの背中に、アビゲイルは声をかけた。
「ねえあなた、うちの従僕にならない? あんな年増女よりわたくしのほうが若くて綺麗だし、もっと自由にさせてあげるわよ」
「アハハ! あなたは何か勘違いをしているようだが、まあいい」
高笑いをしたアンリは、おもむろに向き直る。
「……それで、今の提案だが、答えは『ノー』だ。僕は沈みゆく船に乗るつもりは毛頭ないからな」
「デルボーラ伯爵家が『沈みゆく船』ですって! たかが従僕の分際で、無礼な!!」
烈火のごとく怒りを露わにしたアビゲイルに対し、アンリは不敵な笑みを浮かべる。
「言っておくが、これは僕の意見ではなく周囲から聞こえてくる噂だ。父親の浪費癖のせいで家の財政はかなり厳しく、遠戚のエルゾラン公爵家から多額の支援を受けているそうだね? だから、格下の子爵家令息の中でも売れ残りくらいしかあなたの婿になりたがらないと……」
「お黙りなさい!!」
まざまざと現実を突きつけられ、アビゲイルは声の限り叫ぶ。
貴族令嬢の嗜みなど、遥かかなたに吹き飛んでいた。
「魔物のような恐ろしい形相……やはり、それがあなたの本性なのだな」
「黙れ! 黙れと言っている!!」
怒りに我を失ったアビゲイルがアンリに躍りかかるが、彼はひょいと横に躱す。
「公爵家の威でも借りて、僕に仕返しをするのかな? まあ、今のデルボーラ伯爵家では、それくらいしか成す術がないか……」
これでもかと煽ってくるアンリを前にして、アビゲイルの中で『自重』の文字が消え去る。
アンリの腕を掴み爪の長い人差し指を肌に突き立てた瞬間、「確保だ!!」の声と同時にアビゲイルは拘束されていた。
「な、何をするの! わたくしを離しなさい!!」
数人に取り押さえられているアビゲイルは、なぜ自分がこのような目に遭っているのか状況が理解できず暴れる。
「誰が離すか、この恥さらしめ……」
苦々しい表情で、木の陰からクリスが登場した。
その彼を追い越す形でアンリへ急いで駆け寄るビリーの姿を見て、アビゲイルはようやく自分が罠に嵌められたのだと気付く。
「クリス様、彼へ聴取した結果『魅了魔法』に掛けられていると確認できました。すぐに解除いたしますか?」
「ああ、よろしく頼む」
大仰に従者へ手を上げたクリスは、夜空を見上げると「やれやれ……」と長い前髪を掻き上げながら呟いたのだった。




