第二の作戦
心身ともに元気になったアンヌ改めアンリは、朝食のあと庭師夫婦の手伝いで出かけている。
家に一人残ったビリーは、自身の下着の洗濯をしていた。
アンリは「わざわざ別で洗うのは手間ですから、私が一緒に洗いますよ」と何度も申し出てくれるが、ビリーは絶対に頷かない。
アンリが店に来た当初は、平気で洗ってもらっていたくせに……と自嘲してしまうが、この考えを変えるつもりはなかった。
ちょうど洗濯を終えたころ、家の呼び鈴がなる。
ウィロウの使いでも来たのかとビリーが扉を開けると、そこにいたのはハンクス家の従僕ではなくクリスだった。
彼はビリーへの面会に限っては、ハンクス家敷地内への自由な出入りをウィロウから許されているのだ。
「おまえ、朝っぱらから何しに来たんだ?」
「そんなの、アンヌさんのお見舞いに決まっているじゃないか。それに、他にも用件が二つあったし。それで、彼女の具合はどうなの?」
「ああ……もう、心配ないぞ」
「そうか、それは良かった」
水色の瞳を細め笑顔になったクリスは、持参した花束とお菓子をテーブルに置くとおもむろに席に着く。
公爵家令息らしい煌びやかな衣装を纏っているのに、使用人用の住居に躊躇なく出入りし、粗末な椅子に当たり前のように腰を下ろすクリスに、彼も自分と同様に相当な変わり者なのだろうとビリーは思った。
「アンヌさんはどこ? 挨拶をしたいのだけど」
「彼女は……」
アンヌはいるが、今はアンリになってしまっている。
入れ替わりの事情を知らないクリスを前に、ビリーは返答につまってしまった。
「君のその顔は、もしかして……心配だから、僕に会わせたくないとか思ってるのかな? ハハハ! 安心してくれ。『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて……』と言われるように、僕はそこまで野暮ではないよ」
「違う。俺はそんなことは思っていないぞ」
「はいはい。ウィリアム君は、もう少し素直になったほうが良いと思う。だいたい、君は昔から本当に───」
「だから、そうじゃないと言っているだろう!」
「はあ……いい加減に、自分の気持ちを認めたら? 君たちは、誰が見たって相思相───」
「ビリーさん、ただいま戻りました!」
言い合う二人の前に、空気を読まず勢いよく扉を開け帰ってきたのはアンリ。
あまりの時機の悪さに、ビリーは頭を抱えたくなった。
「あっ、クリス様おはようございます。 潜入調査の件では、大変お世話になりました。あと、レストランの食事はとても美味しかったです。さすが、クリス様が出資されているお店ですね!」
「…………」
「あれ? 私、何か変なことを言いました?」
自分がいまアンリであることを忘れ、アンヌとして挨拶をした彼を、クリスは無言で見つめる。
「……僕は人の顔を覚えるのは得意で、どこかであったような気もするのだが思い出せない。すまないが、君はどちら様かな?」
「あっ! そういえば、クリス様にはまだ話していなかった……」
「僕に話すって、何を?」
「えっと、それはその……」
何か口を開けばすぐにクリスから尋ね返されてしまうアンリの声がどんどん尻すぼみになっていき、最後はそのまま俯いてしまった。
喋れば喋るほど墓穴しか掘らない弟子に、ビリーは師として補助するしかない。
「彼の名は、アンリという。アンヌの兄だが、おまえは初対面だったな」
「そうか、アンヌさんのお兄さんね。どうりで、顔に見覚えがあるはずだよ。へえ~美男美女の兄妹か……」
まじまじと自分の顔を見つめ「見目麗しさでは、僕と良い勝負だね!」とライバル視してくるクリスを苦笑いで眺めていたアンリだったが、ビリーへ視線を移す。
「……ビリーさん、やっぱりクリス様へは本当のことを話そうと思います」
「おまえは、それでいいのか?」
「クリス様は信用できる方です。それに、今後の作戦にも協力していただくためには……」
アンリが決めたことに対して、ビリーに異論はない。
しかし、その後に続いた言葉を聞き流すことはできなかった。
「今後の作戦って……まさか、囮作戦のことか? もうこれ以上、危険なことはやめろ!」
「嫌です! せっかく、彼女が魔力持ちかもしれない情報を手に入れたのですから、何としても作戦は実行します!!」
「おまえは、エスプーモで死にかけたんだぞ!」
「あれは、彼とたまたま店で再会してしまった偶然の出来事です! 今回の件とは、一切関係がありません!!」
「関係があろうと、なかろうと、これ以上危険なことに首を突っ込むな!と俺は言っている」
「はいはい、二人ともそこまで!!」
お互いの主張を一歩も譲らないアンリとビリーを呆れ顔で眺めていたクリスが、間に割って入りパンパンと手を打つ。
「言い争う前に、まずは僕に事情を説明してくれないかな? 話を聞いた感じでは、こちらのアンリ君がアンヌさんになって?エスプーモに潜入していたようだけど……」
「クリス様の仰る通り、私が店に潜入していました」
「でも、今の君はどこからどう見ても男だ。それに、アンヌさんだって間違いなく女性だったよ」
クリスは、「僕が、男女を見分けられないはずがない!」と力強く断言したあと「もしかして、変身魔法を使った?」と問いかけたが、アンリは首を横に振った。
「これは、変身魔法ではありません。私は、満月の度に男女が入れ替わるのです」
「…………はい?」
突飛な話に頭の理解が追いつかず目を丸くして驚いているクリスへ、アンリは席に着くと詳細な説明を始める。
セオドアから逃れるために故郷を出て王都へ向かっている途中で、理由は不明だが男になってしまいビリーと知り合ったこと。
(入れ替わりに関係しているとアンヌは思っている)形見のペンダントの謂れを知るために王都へ来て、運悪くアビゲイルと遭遇したことなど。
これまでのことを包み隠さず、すべてクリスへ話をした。
「ウィリアム君もそう証言するのなら、事実なんだろうね……僕には信じ難いことだから、まだすべてを納得したわけではないけど」
手に取ったペンダントを興味津々で見つめていたクリスは、「見せてくれて、ありがとう」とアンリへ返却すると、向かい側に座る二人へ顔を向ける。
「それで、アンリ君の言う囮作戦だけど……僕は大賛成だ」
「クリス! おまえまで……」
「敵は、叩ける機会があるうちに叩き潰しておくに限る。今回も、僕は喜んで協力をさせてもらうよ」
「ありがとうございます!」
「今度こそ、僕はアビゲイルの悪事を暴いてやるのさ」
再びクリスという協力者を得て喜ぶアンリと、ウィロウに負けず劣らずのデルボーラ家への憎悪をむき出し黒い笑みを浮かべるクリス。
そんな二人とは対照的に、ビリーは一人浮かない顔をしていた。
アンヌにもアンリにも、もうこれ以上危ないことはしてもらいたくないのだが、自ら進んで危険に飛び込もうとする弟子を、彼は止めることができない。
「そうそう、アンヌ……アンリ君へ一つ報告がある。アンヌさんへ薬を盛ったセオドアだけど、彼は僻地への赴任が決まったそうだよ。いわゆる、左遷だね。だから、もう君の前に現れることはないと思う」
「そうですか……」
セオドアが処罰されなかったことに対しては淡々と受け止めていたアンヌだが、思わぬ形で彼は罰を受けた。
「なぜ急に……まさか、おまえが圧力をかけたのか?」
「ハハハ……残念ながら、僕にそこまでの力はないよ。圧力をかけたのは……まあ、『とある方』とだけ言っておこうか」
「その『とある方』が、どうしてそんなことをしたんだ?」
「フフフ、ガーベラさんはその方のお気に入りだったのさ。お披露目パーティーにお忍びで来店されていて、これから孫のように成長を見守っていくつもりだったらしい」
「『孫のように』ってことは、老齢の方か。あの店の会員で、そこまでの権力者…ん? 待てよ。それって、まさか……」
絶句しているビリーには心当たりがあるようだが、アンリはその人物が誰なのか二人に尋ねる気はない。
世の中には知らないほうが幸せなこともあると、彼らの様子から察知したのだ。
「ついでと言ってはなんだけど、これも一応報告しておこうかな。問題行動を起こしたセオドアを店に連れてきたオリバーは、エスプーモを退会させられたよ。これは会員規約に則った処分だから、この件に関してはあの方は関与されていないと思う……多分ね」
「…………」
クリスはサラッと報告を終えたが、アンリは内心冷や汗が止まらない。
自分はとんでもない店で、やんごとない客を相手に仕事をしていたのだと改めて実感したのだった。
「では、もう一つの用件がこれだよ」
クリスが取り出したのは、一通の封書。
「これは、我が家で開催される記念パーティーの招待状だよ。ぜひ、君たちにも僕の友人として参加してもらいたいと持ってきたんだ。もちろん、ウィロウ様へはエルゾラン公爵家から届けてある」
「記念パーティーね……」
「庶民の私が、そんな所へは……」
貴族が多数出席するパーティーへの参加を揃って渋る似た者同士の師弟に、クリスは苦笑いを浮かべる。
「このパーティーには、デルボーラ伯爵家の面々も来る。僕としてはかなり不本意ではあるけど、一応うちの遠戚ではあるから仕方ないよね」
テーブルに置いた招待状をトントンしながら、クリスはアンリへ挑戦的な視線を向けた。
「ここで、さっきの話に戻るけど……アンリ君、このパーティーで囮作戦を実行してみない?」




