過去との対峙
本日より、投稿を再開します。
併せて、タイトルを変更いたしました。
目を開けたら、見慣れぬ天井と、黒髪にこげ茶色の瞳を持つ眼鏡をかけた若い男性の顔が見えた。
「……ビリーさん?」
「気分はどうだ? 頭痛がするとか、手足のしびれはないか?」
「特にありませんが……」
「意識もはっきりしているようだし、もう大丈夫だな」
良かったと優しい微笑を浮かべながら私の頭をポンポンとする彼の手を、久しぶりに握りしめる。
「ふふふ、ビリーさんの手はやっぱり大きいです」
「コラ!」
ビリーが急いで引っ込めようとするのを素早く両手で掴み、大きくて温かい手を私は心ゆくまで堪能していた。
「ハア……おまえの『女性の慎み』は、すぐにどこかへ行ってしまうようだな」
「今は二人だけですから、いいんです!」
「あ~言っておくが、部屋には俺たち以外にも───」
「……ごめんね、ガーベラちゃん。私もいるのよ」
「ハハハ……どうやら、僕もおじゃまのようだね」
突然、黄色髪の女性が視界に入ってきて、その後ろにキラキラ金髪も見え、私は慌ててビリーの手を離す。
誰もいないと思っていたのに、まさか他にも人がいたなんて気付きもしなかった。
(ど、どうしよう。ミモザさんに知り合いだとバレちゃった……)
「安心しろ。ミモザさんは、おまえが私の弟子の妹だと知っている」
「そ、そうでしたか……」
ビリーの言葉に、まずは一安心。
そして、彼が強調した『弟子の妹』発言に、そういう設定になっているのだと瞬時に理解した私はゆっくりと起き上がった。
「えっと……店の控え室のようですけど、どうして私はここに寝かされていて、ビリーさんたちがいらっしゃるのですか?」
「おまえはセオドアから薬を盛られて、意識を失ったんだ」
「薬? でも、私は店で提供されているものしか、口にしていませんが……」
万が一のことを考えて、客からの差し入れには絶対に口を付けてはダメ!とマーガレットからは言われていた。
「彼の供述によると、果物の断面に薬を振りかけたようだね。それを君が絞って、自分のお茶に入れてしまった。彼も同じものを飲んだのに、君だけが倒れてしまったんだ」
クリスの話になぜ私だけ?と疑問を持ったが、思い返してみればセオドアは果汁を数滴しか入れていなかったし、お茶も全部飲み切ってはいなかった。
それに引きかえ、私は……
「おまえが調子にのって果汁をたくさん絞るから、薬の過剰摂取になったんだろう」
「もしかして……ビリーさん、見ていました?」
「ああ、誰かさんが盛大に噎せたところもな」
「…………」
どうやら恥ずかしいところまで、しっかりとビリーに見られていたらしい。
呆れたまなざしを向けているであろう彼の顔を、私は絶対に見なかった。
「犯行の動機は、『ガーベラさんは運命の相手だから、どうしても自分のものにしたかった』そうだ。つまり、一目惚れの末の凶行ってことだね」
確信を持って断言するクリスは、私がセオドアから逃れるために故郷を飛び出してきたことを知らない。
「それでね、彼のことなんだけど……残念ながら、今回の件を罰することができないんだ」
「それは、私が庶民だからですよね?」
「うん、まあ……はっきり言ってしまえば、その通りなんだよ」
僕の力が及ばず、本当にごめんね!とクリスは謝ってくれたが、アンリがアビゲイルの従僕にされそうになった件でビリーから話を聞いていたこともあり、悲しいとか悔しいなどの感情は一切湧かなかった。
それだけ庶民の立場や命は弱くて軽いということは、これまでの出来事で嫌と言うほど理解している。
セオドアが私に飲ませた薬は異国の惚れ薬と呼ばれるもので、中身自体に違法性はなく、その件でも彼を罰することができないのだという。
「彼も同じ薬を飲んでいたことが確認されたから、君を害する気はまったくなく、本当に惚れさせようと企んでやったことらしい」
そんなことで女心が掴めるわけがないのに……クリスは心底呆れたように呟いたあと、私へ水色の瞳を向ける。
「セオドアは、君へどうしても直接謝罪したいと言っている。もちろん、これは強制ではないし拒否してくれて構わない」
どうする?と尋ねられた私は、考える間もなく決断する。
「……会います」
「はあ? おまえは何を考えているんだ。一歩間違えたら、死んでいたかもしれないんだぞ」
「私だって彼を許せない気持ちはありますし、正直会うのは怖いです。でも……今回は逃げ出さずに、過去ときちんと向き合いたいです」
「過去と向き合う?」
「セオドア様は『地方役人』で、『数か月前に、私と会ったことがある』そうです」
「『数か月前に会ったことがある地方役人』って、まさか……」
大きく頷いた私にビリーはそれ以上反対することはなかったが、自分も同席することを条件に出した。
◇
個室に入った私を待っていたのは、仮面を外し素顔をさらしたセオドアだった。
彼は椅子に座り憔悴した様子でうなだれていたが、私に気付くと顔を上げる。
「ガーベラさんの体は、もう大丈夫なのでしょうか?」
ビリーへ真っ先に問いかけた濃紺の瞳は私のことを本当に心配しているようで、あんな事件を引き起こした人物とはとても思えなかった。
ビリーに「問題ない」と返されホッとした表情を見せた彼は、向かい側に座った私へ真っすぐに向き直る。
「ガーベラさん、この度は誠に申し訳ありませんでした。今回の件を許してもらえるとは思っていませんが、あなたを害するつもりはなかったことだけは信じてほしい」
「…………」
「あなたにそんなつもりはなくとも、もしかしたら彼女は亡くなっていたかもしれないのです。薬は摂取量を誤れば毒にもなることを、覚えておいてください」
ビリーから私が死んでいたかもしれないとの話を聞き顔を青ざめさせるセオドアへ、私は意を決し口を開く。
「私は数か月前の会合のあと、身の回りのものだけを持って故郷を飛び出しました……あなたから逃れるために」
「私から逃れるため、ですか?」
「あなたが私を所望していると聞き、怖くなったのです」
「そ、それは誤解です! 私はただ、あなたを夕食に招いて話がしたかっただけで……」
「でも、人を雇ってまで私を捜索されたと」
「どうしても、もう一度あなたに会いたかったのです。しかし、そのような不埒な考えは一切持っていなかった。これは本当です! 神に誓ってもいい!!」
「…………」
濃紺の瞳を見開き、断言するセオドア。
これが果たして彼の本心なのかどうか、私にはわからない。
(でも、私たちの早とちりだったのなら……)
住み慣れた家にも故郷にも二度と戻れないかもしれないと決死の覚悟で出てきたのに、あまりにも残酷な事実に私は言葉も出ない。
「……そちらに、そのような意図はなかったかもしれないが、庶民の女性が貴族の屋敷…それも夕食に招かれることが何を意味するのか、どう捉えられるのか、よく考えてみればわかることだと思うが」
ビリーは、厳しい視線をセオドアへ投げつける。
「あなたの考えなしの行動が一人の女性の人生を狂わせ、二度も苦しめたのです。その罪は大変重いと、私は思います」
「では、私はどうすればよかったのか……」
がっくりと肩をおとすセオドアを残したまま、ビリーは私を連れ部屋をあとにした。
◇
私は、今日で店を辞めることになった。
薬の影響で心神耗弱状態の私をしばらく静養させたほうが良いと、ビリーが店側と話をつけ、さらに(今は不在の弟子の代理として)身元引受人になってくれたのだ。
ボニーは「こういう仕事をするには、ガーベラはもう少し図太い神経が必要ね」と笑い、ブレイクは「あなたは素質があるから、蛹が蝶になるようにこれから大化けする可能性が十分にあったのに……」と店を去ることを最後まで惜しんでくれた。
ミモザとマーガレットからは「彼と幸せになってね!」「私も、あんたに負けないくらいの素敵な相手を見つけてやるわ!!」と、よくわからない言葉で送り出される。
こうして、私は満月の日が迫るなか、ハンクス侯爵家へと帰ってきたのだった。
◆◆◆
アンヌが戻ってから三日後、この日ウィロウの私室にやって来たのはビリーただ一人で、隣にアンヌの姿はない。
「その後、アンヌの様子はどうなんだ?」
「私の前では明るく振る舞っていますが、やはり事件の影響はまだ残っているようです」
「逃げてきた相手と王都で再会し薬まで盛られてしまったのだからな、受けた心の傷は大きかっただろう。絶対に無理はさせるなよ」
「心得ています」
アンヌはあれから一度も家から出ることはなく、ずっと引きこもって家事だけをこなしている。
「たまには、庭園を散歩でもしてきたらどうだ?」とビリーが勧めても、首を縦には振らない。
ウィロウが差し入れするお菓子を喜んで食べるなど、変わらず食欲旺盛なことだけが彼にとって唯一の救いとなっていた。
今回の一件で男性不信になったのではないかとビリーは考え「しばらく、俺と離れて暮らすか?」と提案したところ、「ビリーさんの傍にいるのが、一番安心なのです!」とアンヌは言う。
多少、情緒不安定な彼女へ「他に、俺がおまえの力になれることはあるのか?」と尋ねたビリーへ「今だけでいいので、同じ部屋で寝たい」と即答したアンヌだったが、もちろんその希望は彼によって問答無用で却下された。
「気晴らしに街へ出かけるとよいと思っていたが、嫌がる本人を無理やりというわけにもいかんしな……」
「ただ、ずっと室内にこもってばかりでは心身によくありません。明日、一度外に連れ出そうと思っています」
「何か、策はあるのか?」
「クリスが、自身が出資しているレストランの招待状を送ってきました。予約をしていたが急用ができたため、代わりに行ってきてほしいと」
「アンヌは食べることが好きだから、それは良いかもしれないな」
彼には今回の件で世話になりましたので……と出かける理由を話すビリーを見やりながら、さすがクリスだとウィロウは心の中で感心する。
これは二人に対するクリスの気遣いなのだとウィロウは気付いたが、余計なことは口にしない。
素直じゃない弟子が「行かない」と言い出すのが、目に見えているからだ。
「彼が出資しているということは、それなりの店なのだろう? 服などは私が手配してやるから、安心しろ」
「ありがとうございます。今日は、叔母上へその件をお願いしにきたのです」
「ハハハ……おまえは、ちゃっかりしているな。では、交換条件として、私からの要望を聞いてくれるか?」
改まって言われたことで気を引き締めた表情を見せる弟子へ、師は珍しく真面目に語ることにした。
「おまえは生まれついての侯爵家の令息なのだから、アンヌをしっかりエスコートしてやれ。そして……二人で食事を楽しんでこい」
自分の言葉に素直に頷いたビリーが退室したあと、窓からの景色を一瞥したウィロウは「まったく、世話のかかる奴だ……」と呟いた。
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