危機一髪!
この日の朝、ハンクス侯爵家の庭園内にある薬草園で庭師夫婦の作業を手伝っていたビリーは、ウィロウから至急の呼び出しを受け、応接室へとやって来た。
部屋にいたのはウィロウとクリスの二人だけ。
すでに人払いがされており、ビリーは彼の用件をすぐに察知する。
「店で、何かあったのか?」
「何か起こる前に、アンヌさんの様子を見に行こうと思ってね」
どういうことだ?と訝しがるビリーへ、クリスは簡潔に説明を始めた。
オリバーが王都へ怪しげな薬物を持ち込もうとしているとの情報を得たクリスは、その件に関しての調査をここ最近ずっと行っていた。
薬物の話を持ちかけたのはある子爵で、舶来品を扱う商売をしている彼の友人から仲介を頼まれたため、古くからの知人であるオリバーへ声をかけたようだ。
彼らが王都に持ち込もうとしているのは、異国の『惚れ薬』と呼ばれるもの。
現在、担当官が薬の中身を精査するまでは許可できないと差し止めている状況。
デルボーラ伯爵家が関わっているため、内密に自分へ情報提供がされたことまでを一気に話し終えたクリスが、ふうと息を吐く。
「担当官に僕の知り合いがいてね、彼から相談を受けたのさ。それで、その『惚れ薬』がこれだよ」
クリスが見せたのは、小瓶に入れられた白い粉末状のもの。
ビリーが蓋を開け鼻を近づけると、ある薬特有の匂いがした。
「『催淫薬』と、もう一つは……『催眠鎮静薬』か?」
「正解! 中身を調べたところ、『媚薬』と『睡眠薬』の二種類が検出されたよ」
「わたくしも先ほど中身を確認しましたが、二つとも王都で流通しているものと同等の成分で、薬そのものに問題はありません。ただし……配合割合が不明なのが非常に気になりますが」
今日はクリスがいるため、ウィロウは貴族女性らしい言葉遣いをしている。
「私もそれが気になりました。摂取量を誤れば、人によっては最悪死に至る場合もありますから」
どんなに優れた薬でも、飲み過ぎれば人体に害を与える毒となるのだが、その恐ろしさを認識している人は少ない。
「それで、この件とアンヌと、どう関係があるんだ?」
「オリバーの動向を探るために尾行をつけているんだけど、彼と子爵がここ最近『エスプーモ』に入り浸っていてね。しかも、子爵はアンヌさんのことを相当気に入っているらしく、連日指名をしているんだ」
「まさか……彼が、この惚れ薬を彼女へ使用すると考えているのか?」
「子爵は酒を飲んだあと、いつもオリバーと二人だけで個室にこもり密談をしているそうだから、今のところ彼女に対し怪しい行動はしていない。でも、明日には領地へ戻るらしいから……一応、念のためにね」
そんな話を聞かされたら、ビリーは心配で居ても立っても居られない。
万が一の事態に備え解毒薬を準備し、「愛弟子を、しっかり守ってきなさい!」と言うウィロウの見送りを受けたビリーは、アンヌのいるエスプーモへ向かったのだった。
◇
二人が店に着いたとき、アンヌはもうすでにオリバーたちの席についていた。
今日はビリーだけでなくクリスも変装をしていて、あのキラキラした金髪が瞳の色に近い薄い青色になっている。
さりげなくクリスが席の希望を述べ、オリバーらのテーブルが見渡せる少し離れた場所に腰を下ろした二人は、怪しまれないよう女性を一人指名し飲み物も注文した。
クリスが指名したのはミモザという名の入店半年の女性で、その名の通り黄色の髪に緑の瞳を持つ、明るく愛敬のある人物だった。
「女性の相手は僕が引き受けるから、君は彼女の様子を見てあげて」の事前の取り決めに従い、ビリーはちびりちびりと酒を飲みながらも視線はしっかりとアンヌを捉えている。
オリバーは別の女性と話してばかりで、席が遠いアンヌに彼が声をかけることはない。
彼女が相手をしているのは青い髪色をした二人の男性で、髪色と服装から父子だとビリーは当たりをつけた。
あちらのテーブルの会話の内容までは聞き取れないが、笑っているアンヌの顔がたまに引きつるので、おそらく反応に困る話題を振られるのだろう。
接客業を生業にする者であれば、あの分かり易さは致命的とも言えるが、こういう店の客にはそれが受けているのかもしれないとビリーは思った。
しばらくしてオリバーと父親が席を外し、その後女性も他のテーブルへ向かったため、あちらにはアンヌと男性だけが残される。
ひとまず、子爵がアンヌの傍からいなくなったことで、ビリーは一度緊張を解いた。
「……今のところ、問題はなさそうだね」
男性従業員に声をかけられ少し席を外したミモザの様子を見やりながら、クリスが小声で声をかけてきた。
「僕の考えすぎだったかな……」
「何もないなら、それに越したことはないだろう。とりあえず、彼らが店を出るまでは安心できない」
「そうだね」
話の終わったミモザが戻り、ビリーは再びあちらのテーブルへ視線を戻す。二人は和やかに話をしながら、紅茶を飲んでいるようだった。
先ほどまで困惑した表情を見せていたかと思ったら、今は目を輝かせて皿に載せられた果物を見つめているアンヌ。
くるくると表情が入れ替わる彼女を、ビリーは見ていて飽きない。
男性が皿の上に手をかざしている行動がビリーは気になったが、アンヌが凝視していることもあり静観することにした。
二人はそれぞれのカップに果汁を絞っているのだが、酸味の強いものをそんなに入れて大丈夫なのかとビリーが心配した通り、その後カップに口を付けたアンヌが盛大に噎せ、ビリーは笑いを堪えるに必死だった。
◇
アンヌの様子がおかしいことにビリーが気付いたのは、客との距離に違和感を覚えたからだ。
エスプーモは高級店とはいえ酒を飲む場であり、酔った客が女性たちへ多少なりとも親しげな態度を取ってくることもある。
それを、彼女たちはやんわりと角が立たないように断っているのだ。
アンヌがいま接客している男性も残念ながらその部類に入るようで、徐々に彼女との距離が近くなってきている。
きちんと対処できるのかとビリーは心配しながら見ているのだが、アンヌが上手く対応しているようには見えない。
その間にも男性はどんどん距離をつめ、ついには彼女の髪まで触り始めた。
限度を超えた彼の行動に、ビリーは席を立つ。
「ちょっと、失礼する」
ミモザと話をしているクリスへ一声かけると、ビリーは早足でアンヌのもとへ向かう。
客同士の揉め事も規約に引っ掛かるため、何かあればビリーは店の従業員を呼び対応してもらうつもりだった。
男性……セオドアがアンヌの額へ口付けをしようとする寸前に手を差し入れ、行為を制止する。
「失礼ですが、いくら何でも人前で戯れがすぎるのではないかと……」
「か、彼女も嫌がってはいない。私たちのことは、どうか構わないでいただきたい」
突然現れたビリーに驚いた様子を見せたセオドアだったが、ビリーの苦言に対し拒絶を示した。
「では、本当にこちらの女性も同意の上なのか、確認をさせて───」
アンヌへ顔を向けたビリーだったが、彼女から微かな匂いを嗅ぎとりすぐさまセオドアから引き離す。
「いきなり、何をするのですか!」
セオドアが大声を上げたため周囲の注目を集めてしまったが、ビリーは気にしない。
「大丈夫か?」
ソファーにもたれかかったままのアンヌへ声をかけるが、なにも反応がない。
「どうしたんだ?」
跪き顔を覗きこむが、彼女の目は閉じられたままで微動だにしない。
アンヌの様子がおかしいことにセオドアも気付き「ガーベラさん!」と寄ってきたが、「近づくな!」とビリーは一喝する。
「おい、起きろ! 目を覚ませ!」
揺さぶったり軽く頬を叩きながらビリーが何度も何度も呼びかけると、「う~ん」という声のあとアンヌがゆっくりと目を開けた。
まだ焦点は定まっていないが、アンヌの意識が戻ったことにビリーは心の底から安堵する。
「お客様、如何されましたでしょうか?」
上着を脱いでアンヌへ掛けていたビリーのところに、二名の男性従業員がやって来た。
「すぐに店の経営者を呼んできてくれ。あと、彼女が薬を盛られたから処置をしたい。空いている部屋を貸してほしい」
「あの、失礼ですがあなた様は?」
「……彼は優秀な薬師だ。身元は保証するしマダムへは私がきちんと説明をするから、とにかく早く!」
いつの間にかクリスが傍にいて、場を取り仕切っている。
ビリーは後のことは彼へ任せ、アンヌの対応に集中することにした。
かしこまりました!と男性従業員が走り去り、もう一人がビリーを部屋に案内する姿を見やったクリスは、呆然とその場に座り込むセオドアの前に立つ。
「さて……とんでもないことをしてくれたものだ」
「わ、私は、何も……」
「では、どうして彼女があのような状態になっているのだ?」
「それは……」
クリスが険しい表情でセオドアを問い詰めているなか、ビリーはまだ意識が朦朧としているアンヌを抱きかかえ歩いていた。
男性従業員は「私が運びます」と申し出たが、ビリーはそれをきっぱりと断る。こんな状態のアンヌを、誰にも触らせたくなかったのだ。
ビリーに運ばれているアンヌはぼんやりとしていて、この状況を理解することや自分を抱きかかえる彼の正体を思い出せないまま、おとなしくしている。
皆の前で知り合いだとわかると面倒なので、ビリーはこの状況を利用することにした。
「部屋に入ったら、解毒薬を飲んでもらいます」
「……解毒…薬?」
「あなたは、薬を盛られました」
「薬を……盛られた?」
「そうです」
理解しているのか分からない反応を返してきたアンヌを、案内された控え室のソファーに横たえると、ビリーは部屋にあった椅子をソファーの前に移動させ腰をおろす。
邪魔な仮面を脱ぎ捨てようやく一息ついたビリーは、彼女が無事だったことにホッと胸を撫で下ろしたのだった。




