求婚
「私と……結婚を前提に、お付き合いをしていただけないでしょうか?」
何の前触れもなくセオドアの口からそんな言葉が飛び出し、お茶を飲んでいた私の動きが止まる。
「あ、あの……」
「あなたを、私の伴侶に迎えたいと思っています」
何かの聞き間違いかと思ったが、今度ははっきりと求婚されてしまった。
マーガレットからは口説いてくる客もたまにいると聞いていたが、店で働く期間が短い私には関係のないことだと思っていた。
彼女からは、申し出を受けるのであれば問題ないが、そうでない場合は角が立たないようにやんわりと上手に断りなさいとも言われている。
断る理由は、相手が貴族なら『身分差』で、商人ならば『家柄の違い』が無難とのこと。
あと、『親に決められた婚約者がいる』も効果的なのだとか。(ちなみに、『恋人がいる』は絶対にダメなのだそう)
自分としては不本意な婚約であるが、親の命令には逆らえないのだということを強調するのが重要らしい。
「……わたくしは庶民ですので、セオドア様の妻の役目はとても務まらぬかと存じます」
「私は貴族といっても実家の領地は王都から離れた田舎ですし、家は長兄が継ぎます。しがない地方役人の私は、ほとんど庶民と変わりありません」
「…………」
『やんわりと断る』ことがこんなにも難しいとは、想像もしていなかった。私は必死に頭を働かせるが、考えが上手くまとまらない。
こうなったら、存在しない婚約者をでっち上げるしかないのだろうか。
「セオドア様とは先日初めてお会いしたばかりですから、突然の申し出にはただただ驚きしかなく……」
かなり迷ったが、架空の人物像(婚約者)を作り上げることは私の力量では到底無理で、もし万が一相手についてあれこれ尋ねられた場合、すぐに嘘が見抜かれそうだと断念。
言葉を選びながら必死で断る方向へ持っていこうと悪戦苦闘する私に、セオドアが吹き出した。
「笑ってすみません。これは……冗談です」
「えっ?」
「あなたの困った顔が見てみたくて、つい……でも、少し冗談がすぎました」
大変申し訳ありませんでしたと頭を下げる彼を前に、私は心底安堵する。
断り方によっては店に迷惑をかけてしまう場合もあるのだと理解し、初めから正直に「誰とも結婚する気はない」と断れば良かったのだと痛感した。
「そうだ。あなたを困らせてしまったお詫びに、余興を一つお見せしましょう」
そう言うとセオドアは店の従業員に何かを注文し、飲みかけだったお茶の横に置く。
それは、酸味の強い果物を半分に割ったものが二つ載った皿だった。
「これはガーベラさんもよくご存じの果物です。それに、これから少しだけ私の魔力を注入します」
彼は上から手をかざしているが、果物の見た目に特に変化はない。
「では、魔力の籠ったこの果汁を今からお茶へ入れます。よく見ていてくださいね」
何が起こるのかと興味津々で私が見つめるなか、セオドアが果汁を数滴たらすと青かったお茶が紫色に変わる。
「えっ!? どうして……」
「よろしければ、ガーベラさんもやってみてください」
彼の真似をして、残りのもう一つで絞り汁をたらしてみたら、私のお茶も紫色に変わった。
「もう少し入れると、さらに色が変わりますよ」と言われ続けざまに数滴入れると、今度は紫から赤に変わっていく。
色の変化がとても綺麗で面白く、ついぎゅうぎゅうと絞っていたら、彼が慌てて止めにきた。
「あまり入れすぎると、お茶が……」
「すみません、楽しかったものですから。そういえば、セオドア様も魔力をお持ちなのですね?」
「……ガーベラさんのお知り合いにも、魔力持ちの方がいらっしゃるのですね。実は、私が昨日見合いをした相手の女性も、魔力を持っていると仰っていました」
「お見合い相手の方もですか?」
「先ほど、私の父と一緒に席を外されたオリバー様のご息女です。私たちは、このために遠路はるばる王都までやってきました」
(!?)
オリバーの娘は一人しかいないため、見合い相手はアビゲイルで間違いないだろう。
まさか、こんなところから彼女の情報が得られるなど思ってもみなかった。
セオドアからもう少し彼女の話を訊きたいが、彼から怪しまれずにさり気なく尋ねる方法はないだろうか。
はやる気持ちを抑えようと赤いお茶を一口飲んだ私だったが、すぐに噎せて咳きこむ。
どうやら彼の言った通り、果汁を絞りすぎたようだ。
「ガーベラさん、無理をして全部飲む必要はありません。口直しに、別の飲み物を注文……」
「い、いえ、大丈夫です。少し砂糖を入れれば」
セオドアは止めたが、客が注文してくれたものを残すことはできない。それに、残りはカップ半分ほどだ。
普段は紅茶に砂糖を入れない私だが、今回は入れて全部飲み切った。
「素敵なものを見せてくださり、ありがとうございました」
「こんなに喜んでもらえたなら、良かったです」
嬉しそうに微笑みながら自分のお茶を飲んでいたセオドアだったが、途中で手が止まる。
「……セオドア様、どうかされましたか?」
私を見つめる彼の瞳が悲しげに見えて、気になった私はつい声をかけてしまった。
「お見合いの相手があなたのような人だったら、どんなに良かったか……と思ってしまいまして」
セオドアの言わんとする事は、先日の遭遇した一件とビリーの過去話だけで十分理解できる。
彼もまたビリーと同じように自分の意思とは関係なく婚約話を進められているのだと思ったら、気の毒になってきた。
「私なりに相手の方と親交を深めようと、同じ茶葉を家から持参して彼女に披露したのですが……」
アビゲイルは青いお茶を見るなり「気持ち悪い色ですわね」と言い、色の変化にも大して興味を示さず、さらには「こんな魔力が、何の役に立つのかしら? わたくしが持っているもののほうが、遥かに優れていますわ」と言い放ったという。
「…………」
この話にどう反応すればいいのか、セオドア様にどんな言葉をかければいいのか全くわからない。
返答に困っている私と目が合った彼は、にこりと微笑む。
「婚約前に彼女の人となりがわかって良かったと、私は思っています。一度きりの人生なのだから、やはり自分の気持ちに素直に生きようと……私のためにそんな顔をしてくださるあなたと、これから共に生きていこうと決意したのです」
「ふふふ、セオドア様は本当に冗談がお好きですね」
「ハハハ……実は、あなたに謝らなければならないことがあります。私は、二つ嘘を吐いていました」
「嘘……ですか?」
『冗談』ではなく『嘘』とは、どういうことなのだろうか。
「先ほどお見せした余興ですが、あれは魔力のせいではなく、果物の成分に反応して色が変化しただけなのです」
「そうだったのですか……あっさり騙されたわたくしは、本当に単純ですね」
こういうところが、ビリーから「世間知らず」とか「お子様だ」と言われる所以なのだろう。
自嘲気味に呟いた私に、セオドアは首を横に振る。
「ガーベラさんは、心根の優しい純粋な人です。あなたは……数か月前と何も変わっていない」
「あの……以前、セオドア様とどちらかでお会いしたことがあるのでしょうか?」
「あのときは他にも大勢の人がいましたので、あなたが私を覚えていなくても無理はありません」
セオドアの話によると、私はある会合で料理の説明を担当し、うっかり服にこぼしてしまった彼へわざわざ綺麗な布巾を取りに行って手渡したらしい。
「一生懸命、職務を全うされている姿が凛として美しく、私も他の男性たちと同様に無理やりきっかけを作って話しかけました」
数か月前に会ったと言われコンフリー薬房でのことかと思っていたが、話を聞く限りどうやら違うようだ。
そもそも薬師の仕事でそのようなことはしていないし、料理の話も『万能調味料』を開発したときに常連客へしただけだ。
「失礼ですが、どなたかとお間違いではありませんか?」
「いいえ、人違いなどではありません。そうそう、たしかあの時は……あなたは『アンヌ』と呼ばれていらっしゃいましたね」
「!?」
なぜか、セオドアは私の本当の名を知っていた。
◇
私の名を、どうして彼が知っているのだろうか。
王都で私のことを『アンヌ』と呼ぶのはウィロウとクリスだけで、ビリーは『おまえ』呼びばかりでほとんど名を呼ばれたことはない。
コンフリー薬房の客は私の名を知っているが、状況的に違う。
あと他に、私を名で呼んでいた人といえば故郷の……と考えたところで、ふとある可能性に思い当たったが、すぐに頭を振ってその考えを打ち消す。
(『貴族』で『地方役人』の人は、世の中にたくさんいるはず。そんな偶然があるわけない……)
震える手を彼に気付かれないように強く握りしめるが、一向に治まる気配はない。
「あの会合には、急病になった同僚の代理として出席していました。仕事が終わったあと、私はもう一度あなたと話がしたくて『先ほどの女性をぜひ夕食に招きたいから、彼女の身元を教えてほしい』とお願いしたのですが、町長が『商売女性であること以外は、詳しくはわからない』と……」
「……えっ?」
ドキリと心臓が嫌な音を立て、鼓動が早くなる。
「……なので、私は周辺の町や村の飲み屋を中心にあなたを捜すことにしたのです。手掛かりは『アンヌという名』と『仕事』だけでしたから、本当に大変でした」
私が直接出向いたり、人を雇ったりしたのですよ……セオドアが笑いながら話している様子を、私はどこか上の空で聞いていた。
「そんな頃、父が見合い話を持ってきました。私は気が乗らないまま王都へやって来たのですが、まさかこちらであなたと再会できるなんて夢にも思いませんでしたよ。やはり───」
――私とあなたの出会いは、最初から運命だった……
いつの間にか真横に座っていたセオドアが手を握りしめてきたが、嫌なのに振り払うことができない。
状況は理解できているのに頭がぼんやりとして思考が働かず、体がまったく動かない。
「薬が効いてきたようですね……」
耳を疑うような言葉を呟いたあと、セオドアは私の髪に視線を向ける。
「失礼な見合い相手に、私はこう言い返してやったのです。『あなたの心は、その髪のように汚れている』と。そうしたら顔を真っ赤にして激高されましてね、ご覧の有様です」
自分は私の髪色を『気持ち悪い色』と表現したくせに……苦い笑みを浮かべるセオドアが下ろしている前髪を上げると、額に赤い腫れと傷が見えた。
「彼女がカップを投げつけてきて、自分で治療をしました。これでも多少は良くなったが、やはり私の治癒魔法は弱い。でも、これくらいの傷ならば簡単です」
私の指にある切り傷へ彼が手をかざすと、すぐに傷はなくなった。
「昨日の一件で『今回の縁談話は、なかったことにしてほしい』とオリバー様へ申し入れましたが、それは困ると泣きつかれましてね。しかし、あなたをこちらで見かけたときから、すでに私の心は決まっていた。だから───」
セオドアは父親を上手く誘導して、私を指名させることに成功する。
父親が私を殊のほか気に入ってしまい、ほとんど会話を交わすことができなかったのは誤算だったが、それでも、彼にとってここでの時間は至福のときとなる。
「先ほどの求婚を冗談だと言いましたが、あれも嘘です」
今度は私の髪に触れてきた。
髪先をくるくると指で弄ぶセオドアの表情はどこか楽しげで、まるで幼い子供のように見える。
「あなたが申し出を受けてくださったのなら、私がこれを使うことはなかった」
彼が懐から取り出し見せたのは、空になった内用薬の包装紙。セオドアはそれを握りつぶした。
「……ですが、同じ薬を飲んだ私たちは、もう相思相愛の仲です」
セオドアの手が髪から頬へと移動してきたが、私は彼の顔を見つめたまま身動ぎひとつしない。
彼にされるがままで、嫌だと思う気持ちもどこかに消え去っていた。
遠くから夢を眺めているような、まるで他人事のような、これまで経験したことのない不思議な感覚だ。
「ガーベラさんのお知り合いの方は、さぞかし立派な魔力をお持ちなのでしょうね。おそらく、あなたの隣に並ぶに相応しい人物なのだろう……でも、あなたはもう私のものだ」
セオドアの顔がゆっくりと近づいてきて、私は目を閉じた。




