初めての接客
「ガーベラちゃん、おはよう!」
「おはようございます。ミモザさん」
水場で顔を洗っていた私は、隣に並んだ女性と挨拶を交わす。
『ガーベラ』とは、エスプーモでの私の名だ。二十名ほど在籍している女性たちにはそれぞれ花の名が付けられており、店でも寮でもお互いその名で呼ぶことが決められている。
潜入を開始してから十日。ここでの生活にもようやく慣れてきた。
私が店で行っていることは、『優雅な立ち居振る舞い』や『上品な言葉遣い』など淑女のような所作の練習と、客の話題に付いていけるように一般常識はもちろんのこと、社会情勢から街の噂話まで様々な教養を叩きこまれている。
これまでの生活とは違い、家事や仕事もせずにただひたすら自分磨きの日々は苦痛に感じることもあるが、自分のためではなくビリーのためだと思えば頑張れるのだ。
◇
部屋は個室を与えられているが、食事は寮の食堂で食べる決まりとなっている。
ここで働く女性たちへは、『外見の美しさだけでなく、体の内から美しくなろう!』というボニーの方針のもと、肉・魚・野菜などの組み合わせがきちんと計算された食事(さらに美容効果の高い飲み物まで!)が提供されており、とても参考になる。
ついついビリーの好みそうな物ばかりを偏って作っていた過去の自分を反省し、これからは彼の体に良い料理を作ろうと食事の度にメモを取っている私を、ミモザが興味津々に眺めていた。
「ねえ、前々から気になっていたんだけど……ガーベラちゃんが頑張っているのって、自分のためではなく誰かのためだよね?」
「どうして、わかるのですか?」
「だって、ねえ……ふふふ」
楽しそうに笑うミモザの前で大きく頷いているのは、マーガレット。
入店して一年になる彼女は、入店半年のミモザの先輩であり、入店したての私にとっては大先輩にあたる人だ。
「あんたは、すごくわかりやすいのよ。たとえば、いま書いているそれだけど……」
「このメモですか?」
マーガレットが指さしたのは、私の手元にある食事のメニュー。
これは、ハンクス侯爵家に戻ったときに作ってみようと、パッと思い浮かんだ料理を忘れないうちに書きとめたものだ。
「それを書いているとき、自分がどんな表情をしているのかわかっている?」
「いいえ」
「その誰かのことを思い浮かべながら、書いているでしょう?」
たしかに、この料理を食べたときのビリーの反応を予想しながらメモを取っている。
マーガレットの問いかけにコクリと頷くと、ミモザが「やっぱり!」と弾んだ声を上げた。
「その料理を作ってあげたい人って、ガーベラちゃんの恋人でしょう? どんな人なのか、めっちゃ気になる~!」
「ち、違いますよ! ビリーさんは、私の師───」
「彼は『ビリー』っていうのね。あっ、私の彼は『ロビー』っていうの。ちょっと名が似ているわね……ウフフ」
「誰も、そんなこと聞いていないからね!」
間髪入れずに、ミモザへツッコミを入れたマーガレット。
彼女たちは気が合うのか、こんなやり取りを日に何度もしている。
私は「違います!」とすぐに否定したのに、二人ともまったく聞いていない。というか、聞いてくれない。
「それにしても、ガーベラちゃんは本当によく頑張っているよ。ここに来て、まだ半月も経っていないよね? その頃の私は、どんなだったかな……」
朝食のサラダを突きながら、窓の外へ視線を向けたミモザが一瞬遠い目をした。
「あんたは毎日毎日『ロビーに会いたい……』って、メソメソしてたわよ。それに比べるとガーベラは、最初から志が高くていいわ」
ミモザへ遠慮のない言葉を投げかけるマーガレットだが、彼女は何かにつけて私を褒めてくれる。
しかし、潜入調査という目的でここにいる私はいつも後ろめたい気持ちになってしまうのだ。
「その……私がここに来たのは『不純な動機』ですので、志が高いわけでは……」
「あはは! ガーベラは真面目ね。ここにいる子たちは皆それぞれに目的があって、最初から割り切ってこの仕事をしているのよ。私は条件の良い結婚相手を見つけるためだし、ミモザは店の開店資金を貯めるため。他にも、借金の返済とか、実家への仕送りとか……」
「私はね、王都に料理人の修業に行くロビーに付いて田舎から出てきたの。彼がこっちで修業をしている間に、私も稼げるだけ稼ごうと思っている。お金が貯まったら、結婚して二人で故郷に店を開くのよ」
「素敵な夢ですね」
瞳をキラキラと輝かせながら夢を語るミモザが、私にはとても眩しく見えた。
父の死後も故郷で細々と食堂を営んでいこうと思っていたのに、その日常は突然断たれてしまった。
男になったことでビリーと知り合い、彼と共に新たな人生を歩んでいこうとした矢先、アンヌに戻ってしまったことでそれも叶わぬ夢となりつつある。
私の男性化の謎が解決するまではビリーと一緒にいられるが、された後は同居は解消され別々に住むことになる。
通いで仕事は続けられそうだが、もしビリーの気が変わって誰かと結婚することになれば、女である私が弟子を続けることは難しい。
おそらく、弟子も辞めることになるのだろう。
「ガーベラ、どうしたの? 急に暗い顔になって」
「ミモザさんが羨ましいです。私は彼とずっと一緒にいたいと思っていますが、おそらくは無理なので……」
「その彼と結婚はしないの? こんな可愛いくて健気な子がすぐ傍にいるのに、一体彼は何を考えているんだ!」
拳を振り上げ「ビリー、許さん!」と大袈裟に怒りを表現したミモザに、「なに小芝居しているの……」と呆れた表情のマーガレット。
いつでも明るく楽しそうな二人を見ていると、私も前向きにならなければと思う。
「彼と私は、師弟であり兄妹のような関係ですから」
「でも、彼のことが好きなんでしょう? メモを取っているとき、ガーベラちゃんの顔にかいてあるもん。『彼が好きで好きで、仕方ない』って」
「それは、師として彼を尊敬していますし、兄として親しみを感じていますので」
「『師弟愛』だろうと『家族愛』だろうと、どれも愛情の一つよ。じゃあガーベラへ質問だけど、知らない男からいきなり抱きしめられたら、どんな気持ちになる?」
「……怖いですし、気持ち悪いです」
ちょっと手を握られただけでも、無理だと思う。
「じゃあ、それが彼だったら? 何の前触れもなく、いきなり抱きしめられたら?」
「抱きしめられたら……ですか」
私からいつも抱きついているけど、ビリーから抱きしめられたことは一度もない。
頭の中で想像してみたが、いまいちピンとこない。
でも、彼から頭を撫でられるのは好きだから、嫌な気持ちには絶対にならないと断言できる。
その話をしたところ、二人が顔を見合わせた。
「『頭を撫でられるのが好き』か……うん、何となく二人の関係性が見えてきたわね」
「ガーベラちゃんは、彼から女性として見られていないのね……辛いわ」
「彼にとって私は弟子であり、妹ですから」
私たちの関係は、出会った時から何も変わっていないのだ。
「ねえ、ガーベラは彼のどんなところが好き?」
「そうですね……優しいところとか、美味しそうに料理を食べてくれるところとか、一緒にいて安心できるところとか、大きくて温かい手とか……あっ、彼の瞳や髪の色、それに髪の手触りも大好きなんです」
「あはは! 手触りって……ガーベラちゃん、らしいわね」
「彼に、瞳や髪の色が好きって直接伝えたことはある?」
「はい」
「そのときの彼の反応は?」
「『そういうことを、軽々しく異性へ言うな』と言われました」
「そりゃそうよ。だって、愛の告白だもの」
「えっ!?」
「『私は、あなたのすべてが大好きです!』って、相手に言っているようなものよ。ガーベラちゃん、知らなかった?」
「知らなかったです……」
通りで、ビリーに理由を尋ねても何も答えてくれなかったわけだ。
知らなかったとはいえ堂々と彼に告げた自分はかなり恥ずかしい。
告げられたビリーも反応に困っただろう。
顔を赤くして黙り込んだ私を、マーガレットは優しいまなざしで、ミモザはニヤニヤしながら眺めている。
居たたまれない雰囲気のなか、コツコツと靴音を立てボニーがやって来た。
「ガーベラ、食事が終わったら私の部屋まで来て。衣装合わせをするからね」
「わかりました」
「ボニーさん、もしかして……お披露目ですか?」
「ええ、そうよ」
ボニーは頷くと、すぐに食堂を出ていった。
「まだ入店したばかりなのに、ガーベラちゃんすごい!! 私なんて、ひと月はかかったのに……」
ミモザが目を丸くして驚いている。
「だから、あんたとは心構えが違うのよ」
マーガレットが「ガーベラ、おめでとう!」と声をかけてくれたが、お披露目の意味がわからずぽかんとしている私に、苦笑しながら説明をしてくれた。
『お披露目』とは新人を紹介するために数日間開催されるパーティーのことで、全会員へ招待状を送るのだそう。
表の目的は、新人の顔を覚えてもらう他に、足が遠退いている客へ来店を促すきっかけを作ったり、会員が連れて来る同伴者から新たな会員を獲得する場になるのだとか。
そして裏では、新人の最終試験も兼ねているらしい。
会員の反応がよければ採用で、ダメなら不採用とのこと。
(全会員ということは、アビゲイルの父親も来るかもしれない……)
限られた時間のなか、少しでも対象者と接触できる機会を得たい。
最初で最後になるかもしれない好機を逃すまいと、私は決意を新たにしたのだった。
◇
バタバタと慌ただしく準備に追われているうちに、お披露目パーティーの日になった。
今日から一週間、気を抜かず頑張りたいと思う。
店内では客は顔の上部だけを覆う仮面を全員着用するため、自分のお得意様の髪や瞳の色を把握することは必須事項らしい。
私は、ビリーなら遠目からでもすぐにわかると自信を持って言える。
この店の会員であるクリスも、特徴のある髪色と瞳だからおそらく大丈夫だろう。
従業員総出で客を出迎えていると、キラキラした金髪が見えた。
噂をすれば何とやら……で、やはり顔は見えずとも誰なのかすぐにわかる。
クリスは今日、短髪黒髪でこげ茶色の瞳の若い男性を同伴者として連れてきたようだ。
彼はビリーと同じように背が高く、仮面の下に眼鏡をかけている。
本音を言えばビリーに会いたかったが、彼はアビゲイルの父親と面識があるため店に来ることはできないとのこと。
「本日は、ようこそいらっしゃいました。どうぞ、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
「こんにちは、マダム。今日は新人が入店したと聞いて楽しみしていたんだ。ぜひ、彼女を指名したいのだが?」
「ありがとうございます。ガーベラさん、お願いします」
「はい、かしこまりました」
私が前に出ると、仮面下の水色の瞳を細めながらクリスが恭しく手を差し出してきたので、そっと手を置く。
周囲には知り合いだと気付かれぬように、注意しなければならない。
「そんなに緊張しなくても、大丈夫だよ。僕は怖くないからね」
私の緊張が伝わったのか、クリスが声をかけてくれる。
いつものウインクも見え、それだけで少し肩の力を抜くことができたのだった。
◇
飲みながらクリスと世間話をしていても、同伴者の彼は会話には入らず無言でお酒を飲んでいる。
ちなみに、私が飲んでいるのはクリスが注文してくれた果実水だ。
エスプーモでは客も従業員も飲めない相手へお酒の強要はしない決まりになっているため、無理やり飲まされることはないのだという。
しばらくすると、クリスがスッと立ち上がる。
「ガーベラさん、僕はちょっと席を外すから、その間彼の相手をよろしく頼む」
「かしこまりました」
クリスは、他の客数名と店の奥へ消えていった。
この店の奥には防音対策がしっかりと施された個室がいくつかあり、以前彼から聞いた話では、そこで外では大っぴらにできない話をするのだそう。
この部屋への立ち入りを私たちは禁止されており、会員が女性を連れ込むこともできないようになっている。
会員の中にはこの密談自体が目的の方もいるようで、その間女性の相手をさせるためにわざわざ同伴者を連れてくる人もいるのだとか。
クリスがこの店の会員になっている理由は『歓談』と『密談』が半々らしく、ビリーが無理やり連れていかれたときはほとんど席にいなかったそうだから、その日の目的は密談だったのだろう。
さて、クリスから接待を任された私は頑張らなければならない。
初めての客で緊張するが、教えられたことを落ち着いてやれば大丈夫……だと思う。
ミモザやマーガレットからは、「一番大事なことは、笑顔よ!」と教わった。
第一印象が悪ければ、その後どんな素晴らしい接客をしても相手の心証を変えるのはなかなか難しいとのこと。
「他に、何かお飲みになりますか?」
空のグラスを見て、私は黒髪の男性へ努めて笑顔で声をかける。
短く綺麗に切り揃えられた彼の髪は清潔感があり、瞳の色に合わせた落ち着いた色目の服装と相まって大人の雰囲気を醸し出している。
クリスの友人、もしくは仕事上の付き合いのある方なのだろうか。
粗相をしないように、協力してくれる彼に迷惑をかけないように、私は細心の注意を払う。
「…………」
「お飲み物ではなく、何か召し上がられますか?」
「…………」
(どうしよう……何も答えてくれない)
こういう店に来る客は、クリスのように自分から話をしてくれる人ばかりで、私はそれに相槌を打てばいいと思っていたのだが、どうやら、そうではない人もいるようだ。
相手が返答してくれないときの対処法を考えていなかった私は、さっそく危機に陥っている。
(えっと、何か話題を……)
「今日は、とても良いお天気ですね」
話題に困ったときは、まずは「当たり障りのない天気の話から!」とミモザが言っていた。
それから、相手の反応をみて次の話題を……
「……いま、外は雨が降っていますよ」
こげ茶色の瞳をこちらへ向け、彼が教えてくれた。
「えっ? でも、朝はすごく良い天気でしたよ」
「先ほど、急に降ってきたようです」
「そうでしたか」
とりあえず、相手が口を開いてくれたので一安心と思っていたけど、なんだか彼の様子が少しおかしい。
クスッと笑い声が聞こえたような……
「……おまえ、そんな接客で大丈夫なのか?」
彼の口調がガラリと変わり、聞き馴染みのある声が聞こえた。
「その声……もしかして」
彼が、着用している仮面を少しずらすと、眼鏡の下にこげ茶色ではなく穏やかな緋色の瞳が見えた。




