作戦会議
「さて、アンヌ。例の報告書が届いたぞ」
女同士で話したいことがあるからとビリーへ調合作業を押し付け、彼を隣室へ追いやったウィロウが私の目の前に置いたのは、封書に入れられた書類だった。
「……私が読んでもいいのですか?」
「かまわん」
数十枚にわたる報告書には、デルボーラ伯爵家についての詳細な記述があった。
現在の当主は、ビリーの元婚約者アビゲイルの母親フェリシティで、彼女は筆頭公爵家であるエルゾラン家当主の従妹にあたる人物。子爵家出身の父親オリバーは入り婿で、妻より十ほど年下なのだとか。
フェリシティは夫と一人娘を溺愛しており、オリバーはほとんど仕事もせずに遊び呆けていて、甘やかされて育ったアビゲイルは我が儘で傲慢な性格とある。
父親と娘の散財でデルボーラ伯爵家の財政状況はあまり良くなく、エルゾラン公爵家の前当主から支援を受けていること(前当主とフェリシティは、伯父と姪の関係)。デルボーラ家の屋敷で働く従僕は皆、金髪で容姿の整った者たちばかり……との追記もあった。
「どうだ、報告書を読むだけで頭痛がしてくるだろう? あの女の所業を許すことはできないが、ビリーがこんな家と縁続きにならずに済んだことは良かったと思っている」
「そうですね」
もし何事もなくアビゲイルと結婚していたとしても、ビリーは絶対に幸せにはなれなかったのだと確信する。
それでも、彼の汚名だけは雪いであげたかった……私がアンヌ(女)に戻ってしまい、それができなくなってしまったけれど。
「この父親のような男たちは、私にも平気で求婚してくるぞ。それこそ、ビリーと年端も変わらぬような奴がな。こういう輩は金を持っている女に取り入るのが非常に上手いから、ころりと騙されるのだ」
ウィロウが忌々しげにタンタンと足を踏み鳴らす。
「紳士の社交場か何か知らんが、会員制の飲み屋で湯水のように無駄金を使う男のどこが良いのか……私にはさっぱり理解できん」
「会員制の飲み屋ですか?」
「父親が足繫く通っている店があるようだ。私は詳しくは知らないが、国中から勧誘した綺麗どころに客の相手をさせているらしい」
ウィロウの話に、私の中で何かがひらめく。
「ウィロウ様、その店の名はわかりますか?」
「たしか、報告書の後ろのほうにあったはずだが……」
パラパラとページをめくっていくと、参考資料として店名と所在地が記載されていた。
(『エスプーモ』……)
念のため所在地も確認したが、間違いなく同じ店だ。
興奮で体の震えがとまらず、一度ゆっくりと大きく息を吸い、そして吐く。
これはまさに神の思し召しとしか言いようがなく、私はペンダントを握りしめると感謝の祈りを捧げた。
「ウィロウ様、一つ提案があるのですが……」
このときの私は、ただただ使命感に燃えていたのだった。
◇
今、目の前には腕を組み険しい顔をしたビリーが座っていて、私は借りてきた猫のように小さくなっている。
そんな私たちの様子を、ウィロウが興味深げに眺めていた。
「叔母上から話を聞いたが、そんな無謀なことは止めろ。俺の汚名を雪ぎたいというおまえの気持ちは嬉しいが、もう終わったことだ」
「……嫌です」
「はあ? おまえはわかっているのか? 店に潜入して、父親からあの女の情報を聞き出すことは簡単ではないし、何より危険が伴う。だから、止めろと俺は言っている」
「私だって、簡単に成功するとは思っていません。でも、怪しまれずに堂々と入店でき、対象者と接触できる機会があるかもしれないのに、それを活かさない手はありません!」
ビリーが私を心配し言ってくれているのはわかっている。わかっているが、何を言われようとこの件に関しては、彼の言うことを聞くつもりはない。
「あのな……」
「本当は、アンリを囮にして証拠をつかむつもりだったのです。でも、元の姿に戻ってしまった以上、この作戦しかないのです! ビリーさんは終わったことだと言いますが、私は全然納得できませんし、悲しいし、悔しいのです。だから……私はやります! やらせてください!!」
テーブルに両手をつき懇願する私をじっと見つめていたビリーは、額に手を当てると「おまえは、妙なところが頑固なやつだ」と言いながらハア……と大きなため息を吐いた。
「ビリー、可愛い弟子がここまで言っているのだから、おまえはただ『ありがとう』と言っておけばいい。それに、私もあの女に一泡吹かせてやらなければ、腹の虫がおさまらんのだ!」
「もとはといえば、あなたが事の発端ですよね? デルボーラ家を勝手に調査し、私の弟子まで巻き込んで───」
「おまえが何を言おうとも、私はアンヌに協力するぞ。もちろん、大前提として彼女の身の安全を確保した上でな。護衛でも何でも付けてやるから、安心しろ!」
「金と権力の使い道が間違っています」
「金は私がこれまで稼いできた私財だから、どう使おうと私の勝手だ。それに、この権力を今使わずしていつ使うのだ!」
鼻息の荒い師から私へ視線を戻したビリーは、膝の上で両手を組む。
「もう、これ以上俺が何を言ってもおまえは言うことを聞かないだろうが、これだけは言っておく」
いつにも増して真剣な表情のビリーに、私も姿勢を正して前を向く。
「俺にとって、おまえは大事な弟子だ。だから、決して無茶はするな。それと…………おまえの身をいつも心配している家族がいることも、忘れないでくれ」
「……はい」
ビリーからはっきりと『家族』と言われたことが嬉しくて、涙が止まらない。
席を立ってこちらにやって来た彼が「アンヌのときもこうすれば、おまえは満足なんだろう?」と頭を撫でてくれたので、私は泣きながらコクコクと何度も大きく頷いたのだった。
◇
一旦休憩を挟み、私が落ち着くのを待ってから今後の話し合いが始まった。
「アンヌから聞いたが、おまえは会員の知人がいるそうだな。その知り合いから、店の情報を聞きだすことはできないのか?」
これから新たに店の調査をすることは可能だが、私たちの仮説ではまたひと月後にアンリになるかもしれないため、あまり時間をかけることができない。
そこで私が思い出したのが、ビリーを無理やり店に連れていったという知人の話だった。
「連絡を取ることは可能ですし、彼なら喜んで協力もしてくれると思いますが……」
ここで言葉を切ったビリーが、チラリと私の顔を見る。
「どうした? 何か嫌そうだが、相手は誰だ?」
「……学園時代の同級生で、クリス・エルゾランです」
「ああ……あのクリスか」
ビリーに続いてウィロウまでもが私を見るのは、なぜなのだろう。
「たしかに、可愛い弟子を彼に会わせたくない気持ちはわかるな」
ククク……とウィロウが楽しげに笑う姿を不満げに見やるビリーへ、私は気になったことを尋ねる。
「あの……『エルゾラン』って、デルボーラ伯爵家の遠戚であるエルゾラン公爵家の方なのでは?」
「その通りだが、彼は問題ない。アイツは、昔からデルボーラ家を嫌悪しているからな」
ビリーによると、クリスは一族へ迷惑をかけてばかりのデルボーラ伯爵家を一族から排除しようと、昔から画策しているらしい。
しかし、祖父である前エルゾラン公爵が彼らの後ろ盾になっているため、なかなか上手くいかないのだという。
「クリスは、学園時代からあの女の悪口を散々言いふらしていたし、俺が婚約者となったときは大反対したし、破棄されたときには俺以上に怒り狂っていた」
「とても友人思いの良い方のようですけど」
「訂正させてもらうが、俺とアイツは友人ではなく、ただの知人だ。彼の同類と思われるのは不本意だからな……」
ふいと顔を横に向け頑なに友人とは認めないビリーに首をかしげている私へ、ウィロウがそっと耳打ちをする。
「君の師は、自分の大事な宝物が奪われてしまうのではないかと心配し、ちょっと拗ねているだけの子供だ。だから、あまり気にするな」
「ふふふ、わかりました」
「……誰も、拗ねてはおりません」
「そうか。でも、心配していることは否定しないのだな」
「…………」
「何にせよ、潜入するアンヌのためには店の情報はいくらでも欲しい。それに、おまえたちの仮説が正しければ時間もあまりなさそうだから、すぐに彼へ連絡を取ってくれ」
ウィロウの一声で、ついに作戦が動き出す。
ビリーが手紙を出したところ、なんとその日の内に返事があり、明日の午後クリスがこちらへやって来るとのこと。
あまりの行動の早さに驚いている私に、「手紙で、用件は『あの女関係』だと匂わせておいたからな」とビリーは苦笑していた。




