それぞれの決意
翌日の早朝、私はハンクス家の庭園にいた。
昨日散々泣いたせいで朝起きたら目がパンパンに腫れており、とてもビリーに見せられる顔ではないと家をこっそり抜け出してきたのだ。
水で濡らした布巾で目元を冷やしながらウロウロしていたら、ちょうどベンチがあったので腰を下ろす。
空を見上げると雲一つなく、今日も洗濯日和の良い天気になりそうだ。
それなのに、私の気分はモヤモヤしたままで全くスッキリしない。
ビリーの過去話は、私の想像を遥かに超えた酷いものだった。
彼は終わったことだと言ったけど、私は悔しくて悲しくて許せない気持がいっぱいで、このやり場のない負の感情をどう処理すればいいのかわからなかった。
「……こんな時間に誰かと思えば、アンリだったか」
「ウィロウ様……」
思い出したらまた涙が溢れてきて、布巾でゴシゴシ顔を拭っていた私の隣に静かに座ったのはウィロウだった。
「ビリーのために醜男になってしまって……ハハハ、美少年も形無しだな」
力なく笑うウィロウの瞳も何となく赤いように見えて、同じ思いを抱えている人が他にもいることに少しだけ気持ちが晴れた。
「あの……ウィロウ様、一つ疑問があるのですが?」
「なんだ?」
「元婚約者は、どうして証拠を捏造してまでビリーさんへ罪をなすりつけようとしたのでしょうか? 媚薬を使用したことは、結局罰せられなかったんですよね?」
「それはな、どちら側の『責』で婚約解消されたかが重要だからだ」
ウィロウいわく、婚約解消自体はよくある話とのこと。
しかし、その理由によっては今後の縁談に差し障りが出てくるのだとか。
相手の病気やケガ・死亡などやむを得ない事情ならばあまり問題にはならないそうだが、浮気や今回のような媚薬の無断使用、さらには魅了魔法まで行使しようとしたとなれば醜聞は避けられない。
もう二度と、縁談話(特に良縁)は持ち込まれないだろうとのことだった。
「私やビリーのように一生結婚する気のない者には実家に傷が付くだけだが、あの女には伯爵家の跡取りを産むという使命があるそうだからな」
しかし、婚約解消から一年経ってもアビゲイルには未だ婚約者はいないらしい。
それというのも、『侯爵家の三男は、伯爵家の娘に嵌められた』という噂が貴族の間でまことしやかに流れているからだそうな。
「それだけでも、多少は溜飲が下がる」とウィロウは笑った。
「相手が媚薬や魅了魔法を使用した証拠を取るには、どうすればいいのでしょうか?」
「一番手っ取り早いのは……当事者になることだ」
「当事者?」
「相手から直接受けるということだ。ビリーも同じように証拠を取ろうとしたのだが、媚薬は対処できても魅了魔法だけはどうにもならない。行使された時点で、相手の術中に陥ることになるからな」
『魅了魔法』とは人の心(精神)を縛る魔法で、発動させることができるのはごく僅かの術者のみとのこと。
対象の肌に触れながら発動させるそうだが、実際に行使された事例は少ないのだという。
そのため、魔法にかかっているかどうかは、書物に記載されている過去の前例に当てはめて判断するしかないそうだ。
ただし、解除方法の記載もあり確立されているとのこと。
「君もビリーも、あの女に手を掴まれそうになっただろう? 魔法を行使するつもりだったのは間違いないが、如何せん、手を握っただけでは証拠にならないのだ。奴が魔法を行使できる証拠、もしくは、行使したところをその場で取り押さえることができればな……」
「魅了魔法が解除できることがわかっているのであれば、私が囮になるという作戦はどうでしょうか? たとえ魔法をかけられても、すぐに解除してもらえればいいのではないかと」
「アンリがビリーの弟子だと知られていなければその手が使えたかもしれないが、これからは警戒されるだろうな。それに、伯爵家の屋敷に連れ込まれてしまうと、我々が君を助けに行くことは難しくなる。厄介なことに、デルボーラ家は筆頭公爵家であるエルゾラン家の遠戚にあたる家で、侯爵の私でも迂闊には手出しができないのだ」
悔しさを滲ませるウィロウの横顔を見つめながら、私は考える。
貴族間のことは庶民の私には難しすぎてよくわからないが、それでも、どうにかして証拠を手に入れたい。
やはり、今の私にできることは『アンリ』を囮にしてアビゲイルを屋敷の外に誘き出し、証拠を別の誰かに掴んでもらうことだろう。
そのために必要なことは……
「……ビリーには内緒にしているが、デルボーラ伯爵家について調査をさせている。前回は、私はただの薬房の店主だったから彼の力になってやることができなかったが、今は違う。侯爵だから、それなりに金も権力もある。彼は名誉回復を諦めているが、私は絶対に諦めない。あのクソ女には、私の可愛い甥であり愛弟子でもあるビリーにふざけた真似をしたことを一生後悔させてやる」
「ウィロウ様、私もビリーさんのために何でもやります! ぜひ、お手伝いをさせてください!!」
「ああ、もちろんアンリにも協力してもらう。調査結果が出たら作戦を練って、何としてもビリーの敵をとるぞ!」
「はい!」
私たちは、がっちりと固い握手を交わす。
目標が明確になったことで、もう泣いている暇はない!と元気が出て笑顔になった私に、ウィロウがにこやかな顔でそっと耳打ちをする。
「……アンリ、さっき君が言った『何でもやります!』は本当だな? 男に二言はないぞ」
「えっと……中身は女ですけど、本当です! ビリーさんのためなら、どんなことでも頑張ります!!」
「よくぞ言った! フフフ……あのクソ女、あとで吠え面をかくがいい」
いつにも増して口の悪いウィロウがアンリに何をさせるつもりなのか、私は知らないほうが幸せな気がする。
それほどまでに、ウィロウの迫力が怖かった。
◆◆◆
アンリとウィロウが庭園にいたころ、ビリーは夢を見ていた。
それは、婚約が解消されたあとの出来事───
◇
バルドー侯爵家の自室で、ビリーは荷造りをしていた。
持っていくのは、仕事と生活に必要最低限の物と本と金。店の開店資金は十分にあり、出店候補地もいくつか頭の中にある。
王都から馬車で一週間程度までの場所という条件は、シルクからの要望だった。
ビリーとしてはもっと王都から離れたかったが、現地では採取できない薬草を入手するには彼の協力が今後も不可欠なため、この条件をのむしかなかった。
少ない荷物をまとめているとドアがノックされ、兄のジェイデンが入ってきた。
「おまえがこの家から出て行ったとしても、我がバルドー家についた傷はずっと残るのだぞ。そのことを十分に理解しているのか?」
父と同じ論調で非難を繰り返すジェイデンを眺めながら、ビリーはただ黙ったまま彼が部屋を出ていく時を待つ。
家を出ると決めたビリーに、長兄は何も言わず、母は黙って彼を抱きしめ、ウィロウは元婚約者へ怒り狂い、学園の元同級生は「一緒に冤罪を晴らそう!」と息巻いた。
職場の上司・同僚の中にも彼の薬師としての資質を惜しみ引き留める者もいたが、ビリーの決意は変わらない。
いずれは独立するつもりだったので、その時期が早まっただけなのだと淡々としていた。
◇
「ウィリアム、もう行くのか?」
自室を出て歩いていたビリーへ声をかけてきたのは、もう一人の兄アーサーだった。
「兄上、この度は大変ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません」
七歳年上のアーサーとは、幼い頃からほとんど口を聞いたことはない。
「それと、私の勘当を止めるよう、父上を説得してくださったと聞きました」
「おまえを勘当したら、それこそ我が家が笑いものになるからな」
アーサーは同じ緋色の瞳でビリーを見つめると、一通の書類を取り出す。
「例の調書を読んだが……犯行の動機が弱いな」
「はっ?」
「おまえが『婿入り先を失いたくないから、犯行に及んだ』とあるが、宮廷薬師という職に就いているおまえなら、婿入り先が無くなったとしても何ら困ることはない。そもそも、最初からこの結婚に乗り気ではなかったしな」
ククッと笑ったあと、アーサーは話を続ける。
思い返せば、ビリーが兄とこれほど長く話をするのは初めてのことだった。
「物的証拠にしても、おまえなら発覚しないようにもっと上手くやれるはずだ……あんな、幼稚な手口を使わずとも」
「…………」
「まあ、少々詰めが甘かったのだ。これからは柵に縛られず、新天地で自分の思うがまま自由に生きろ」
「ありがとうございます。では、私はこれで───」
「あっ、そうそう」
歩き出したビリーの背中へ、再び声がかかる。
「私がおまえの代わりに、あちらへは僅かばかりのお返しをしておく」
そう言い残すと、アーサーはくるりと向きを変え去っていった。
◇
ビリーが立ち寄るつもりのなかった村に一泊したのは、ただの気まぐれだった。
車窓からたまたま見かけた薬草の群生地に心惹かれ、せっかくだからこの辺りの植生を調査するかとビリーは乗り合い馬車を降りる。
メモを取りながら歩き回るビリーの目に留まったのは、一軒の古い家。
建物全体がツタに覆われており、それが師であるウィロウの店『ラビッジ薬房』を彷彿とさせ『ここに、しよう』と衝動的に決断した。
村人たちは余所者のビリーを温かく受け入れてくれ、村に医者がいなかったこともあり徐々に常連客が増えてくる。
このまま、この土地で悠々自適に暮らしていこう……そう思っていたビリーの前に、ある朝突然現れたのは一人の少年。
庶民出身のアンリ(アンヌ)は、赤の他人であるビリーへ真っすぐな親愛の情を示してくれる。
貴族の家に生まれ希薄な家族関係が普通だったビリーには、それが驚きでもあり面映ゆく感じてしまうのだった。
◇
昨日、アンリを待つビリーは馬車の窓から菓子店の入り口をじっと見ていた。
客の流れから店内が非常に混みあっていることは予想できたため、アンリの帰りが多少遅くとも気にしてはいなかったが、そろそろ迎えに行くかと腰を上げる。
御者に扉を開けてもらい少し先にある店へ視線を向けたビリーの目に飛び込んできたのは、見覚えのある赤みがかった金髪の女性。
次の瞬間、ビリーは馬車から飛び降りると一目散に駆けだしていた。
(なぜ、あの女がここに……)
偶然なのか必然なのかはわからないが、あまりの時機の悪さに舌打ちしたくなる。
人混みをかき分け店の前までたどり着いたビリーの視界に映ったのは、アンリの前に立ちふさがるアビゲイルの姿だった。
躊躇なく強引に二人の間に体をねじ込み、アビゲイルから守るように庇ったビリーにアンリは一瞬驚いたような顔をした。
あの印象的な瞳が不安げに揺れており、相当恐怖を感じていたのは容易に想像がつく。
いつものように抱きついてきたアンリの頭を優しく撫でたビリーは、大事な弟子を守れたことに、ただただホッとしたのだった。
◇
ビリーが目を開けると、朝になっていた。
アンリに起こされなくても自分から起きられたのは、昨日の出来事があったからだろう。
自身の過去話を聞かせたのはアンリに危機感を持ってもらうためだったのに、彼は自分のことのように泣いていた。
そのあともずっと元気がなく沈んだままのアンリへ、ビリーはかける言葉が見つからない。
やはり話さないほうがよかったのかと、後悔の念が幾度となく押し寄せていた。
(もしかしたら、まだ寝ているかもしれないな……)
たまには自分が朝食を作るかと寝室を出て台所へ向かったビリーだったが、食欲をそそる匂いと鼻歌に動きを止める。
アンリがオムレツを皿に載せ、テーブルに置いたところだった。
「あれ? ビリーさんが自分から起きてくるなんて、珍しいですね。天気が良いから外に洗濯物を干そうかと思っていましたが、止めておいたほうがいいのかも……」
顔を見るなり失礼な発言をするアンリは、いつもの元気な彼に戻っていた。
「今日は気分転換に、約束していた王都の市場へ連れて行ってやろうかと思っていたが……」
「わあ、行きたいです! ついでに、お月見用の食材も見たい!!」
「……しかし、師に対して失礼な発言をする弟子にその必要はなさそうだな」
ニヤリと笑ったビリーに、アンリは慌てふためく。
フライパンを置き駆け寄ってくると、「ウィロウ様と話をして元気になったから、つい調子にのった」などと必死に言い訳を並べ立てる彼が面白くて、元気になったことが嬉しくて、ビリーはつい意地悪を言ってしまう。
「今度のお月見の日は、俺のせいで雨が降るかもしれん」
「雨が降ったら、お月見ができないじゃないですか! それは、困ります!!」
「俺は料理さえ食べられれば、何も困らんぞ」
「そ、そんな……」
本気で衝撃を受けるアンリを前に、『必ず、弟子を守る』とビリーは決意を新たにしたのだった。




