慟哭《どうこく》
ビリーこと、ウィリアム・バルドーは、バルドー侯爵家の三男としてこの世に生を受けた。
真面目でしっかり者の長男アーサーが跡取り教育に励み、誰に対しても愛想の良い次男ジェイデンが将来の婿入りを見据えて交友関係を広げるなか、ウィリアムは我関せず己の道を突き進んでいた。
幼い頃から叔母であるウィロウの影響を大いに受けていたウィリアムは、薬学を究めるべく勉強に明け暮れついに宮廷薬師にまでなる。
このまま、師であるウィロウと同じように結婚をせずに好きな仕事を続けていく。
上の兄たちと比べると父親からは大した期待はされていなかったが、侯爵家の者として『宮廷薬師』という一定の成果は残しており、自分の生き方に誰にも文句を言わせないつもりだった。
いずれは独立して自分の店を……そんな彼の将来設計が狂ったのは、ある婿入り話が持ち込まれたことだ。
相手は格下の伯爵家ではあるが、筆頭公爵家の遠戚ということで父が乗り気となり、縁談はとんとん拍子に進んでいく。
結婚する気など全くないウィリアムは父へ縁談を断るよう何度も願い出たが聞き入れられず、ついに婚約が調ってしまう。
婚約者アビゲイルの人となりは、以前、学園時代の同級生から嫌と言うほど聞かされていた。
赤みがかった金髪に薄緑色の瞳を持つ彼女は、見目はそれなりだが、一人娘で甘やかされて育ったせいか性格は我が儘で傲慢。
一度、見合いの席で顔を合わせただけで、ウィリアムが嫌悪感を抱くほどだった。
◇
どうにかして婚約を白紙に戻そうと、ウィリアムは行動を起こすことにした。
週に一度、伯爵家で開催されるアビゲイルとのお茶会は彼にとっては苦行以外の何ものでもなかったが、円滑な婚約解消をするために欠席することなくきちんと参加していた。
というもの、初めてのお茶会の席で自分の飲み物に媚薬が入れられていることに気付いたからだ。
それはほんの少量で、多くの人は何も感じない程度のものだったが、薬師をしているウィリアムはすぐに感知する。
最初は気のせいかと考えたが、それが毎度、それも量が少しずつ増えていることから相手の思惑が読み取れた。
おそらくは、ウィリアムを籠絡する目的なのだろう。
しかし、残念ながら高位貴族として幼少期から毒耐性の訓練を受けていた彼には通用しない。
しかも、念には念を入れ自作の解毒薬を服用しているため、彼女の策にはまることはなく、それどころか、この状況を告発し婚約の無効を訴えるつもりだった。
本人の同意無しに媚薬を使用することは禁じられており、違反すれば罪に問われる。
手口が手慣れていることからアビゲイルが常習犯だと判断したウィリアムは、躊躇することなく彼女を告発することにした。
◇
その日、ウィリアムはデルボーラ伯爵家にいた。
犯罪の証拠となる媚薬入りの紅茶を持ち帰り、この無益で不毛な時間を終わらせるためだ。
ようやくアビゲイルと縁が切れることに清々しているウィリアムが、いつものように素知らぬ顔で媚薬入りの紅茶を飲んでいるときに事件は起こる。
これまではテーブルの向かい側に座っていたアビゲイルが、今日に限って横に座っていた。
彼女の匂いのきつい香水に顔が歪みそうになるのを、ウィリアムは貴族の令息らしく表情を取り繕う……その時だった。
ウィリアムは、不意に自分へ伸びてきた手を思いきり叩き落としていた。
弾みで手に持っていたカップがテーブルの下に落ち派手な音を立てて割れたが、気にする余裕はない。
弾かれたアビゲイルは呆然としており、弾き返したウィリアムも自身の無意識の行動に驚いていた。
「……今、私に何をしようとしたのか、きちんと説明をしていただけますか?」
恐ろしいほどの怒気を含んだウィリアムの言葉と視線に、アビゲイルは震えあがる。
「わ、わたくしは何も……」
「……そうですか。では、今日はこれで失礼いたしますが、もう二度とあなたとお会いすることはないでしょう。婚約解消の書類は、後日こちらから送付いたしますので」
婚約者だった女性の顔も見ずに淡々と告げると、物音に気付き部屋へと入ってきた侍女と入れ違いにウィリアムは外へ出ていく。
バルドー侯爵家の馬車に乗り込んだところで、ウィリアムはようやく肩の力を抜くことができた。
冷静に先ほどの状況分析を始めたウィリアムだが、手の震えはまだ治まらない。
アビゲイルの手が自分の手に触れる直前に感じた悪寒は、決して気のせいではなかった。
「まさか、魅了魔法まで使ってくるとは……」
歴史書では読んだことのある『魅了魔法』を、アビゲイルが行使できるなど思ってもいなかった。
ウィリアムは毒耐性の訓練は受けていても、魅了魔法に抗う術は持っていない。
気付かなければ今ごろはどうなっていたか、考えただけで背筋が寒くなる。
媚薬が効かないウィリアムに痺れを切らしたアビゲイルが強硬手段に出たが、彼が魔力を感知できたため未遂に終わったのだった。
◆◆◆
「それで、ビリーさんはようやく婚約解消ができたんですね」
「ところが……この件はこれだけでは済まなかったのだよ。あのクソ女が、ビリーを訴えたのだ」
苦虫を嚙みつぶしたような表情で、ウィロウが吐き捨てるように呟いた。
◆◆◆
婚約解消の書類を準備していたウィリアムのもとに、デルボーラ家の代理人を名乗る人物が訪ねてきたのは事件から三日後のことだった。
正装の騎士服を身に纏った壮年の男性は第二騎士団の副団長フレディで、アビゲイルの父親の知人とのこと。
フレディの身元をきちんと確認させたウィリアムは応接室で会うことにしたが、彼の口から飛び出したのは寝耳に水の話だった。
フレディいわく、お茶会のあと手にケガを負ったアビゲイルが酷く怯えていた。
娘の異変に気付いた父親から相談を受けた自分が内密に捜査をしたところ、ウィリアムから暴力を受けた証拠が出てきたため、事情を聴きに来たとのこと。
「彼女の手を叩いたことは認めますが、あれは正当防衛です。あの女は私の飲み物へ媚薬を盛ったばかりか、『魅了魔法』まで行使しようとしてきたのです」
「彼女が魔法を行使しようとした証拠はありますか?」
「かけられる前に阻止しましたので、証拠はありません。ですが、媚薬ならあの屋敷にあるのではないかと」
「たしかに、屋敷内に媚薬はありました。でも……あれは貴方が持ち込んだものですよね?」
「……仰っている意味が、よくわからないのですが」
困惑の表情を浮かべたウィリアムの目の前に、粉末の入った小瓶と割れたカップが並べられる。
「この小瓶に入っているのは、媚薬です。しかし、私が注目しているのは中身ではなく、この小瓶です。これに見覚えはありますか?」
フレディの許可を得て小瓶を手に取り眺めたウィリアムだが、何の変哲もない瓶に首をかしげる。
「私が調べたところ、これは宮廷で使用されていることがわかりました……主に、薬を入れるためにね」
「……だから、私が持ち込んだと?」
ウィリアムの問いかけには答えず、フレディは次に割れたカップを指し示した。
「この中に残っていた紅茶から、微量の媚薬が検出されました」
「それはそうでしょうね。私が使用していたカップですから」
「なぜ、カップは割れたのでしょうか?」
「魔法を阻止するために彼女の手を叩いた拍子に、私の手が滑って下に落ちたからです。部屋の外にいた侍女たちにも、その音は聞こえていたと思います」
「侍女たちへ事情聴取をしたところ、割れる音はたしかに聞こえたと証言しております……ただし、このカップを使用していたのはアビゲイル嬢ですが」
「……彼女が、これを使用していたという証拠でもあるのですか?」
腹立たしさを抑えながらウィリアムが冷静に尋ねると、フレディは「フフッ」と初めて笑みを浮かべた。
「ここをよく見てください。微かに口紅の跡が残っているがわかりますか? 確認したところ、あの日アビゲイル嬢が使用していたものと同じ色でした」
勝ち誇ったかのようなフレディの態度に、ウィリアムはこれ以上自分が何を言っても無意味であることを覚った。
「あなたはアビゲイル嬢から婚約解消の話を持ち出され、婿入り先が無くなることを危惧した。そのため、媚薬を彼女の飲み物に入れ気持ちを繋ぎとめようとしたのでしょう。しかし、彼女に気付かれ、証拠隠滅のために手を叩きカップを割った。これだけ証拠が揃っているのですから、いい加減お認めになったらいかがですかな?」
「あなたがどのような推測をしようと、私は何もやっていない。証拠はすべてあの女が捏造しており、私は被害者だ」
ウィリアムは絶対に認めなかったが、証拠はすべて彼が犯人であることを示しており容疑が覆ることはなかった。
ただし、媚薬の使用については婚約者同士だったこともあり、この件に関してのお咎めはない代わりに、ウィリアム側の責で婚約が解消されることとなった。
◆◆◆
「俺は、『婚約者に暴力を振るった男』ということになっている」
「ビリーさんがそんなことをする人ではないことは、私が一番よく知っています! それに、どう考えても正当防衛ですよね?」
「たとえそうだとしても、それを立証できなければ何の意味もない。まあ、もう終わったことだから、今さらどうでもいい」
「良くありません! ビリーさんが汚名を着せられたままなんて……」
「何で、おまえが泣くんだ?」
「だって、事実じゃないのに……」
どうして、こんな優しい人がそんな目に遭わなければならないのだろうか。
あまりにも理不尽なことに、衝撃が大きすぎて次から次へと涙が溢れてくる。
悔し涙を流す私の頭にいつものようにビリーの手が伸びてきたが、私はそれを両手で握りしめ胸に抱く。
(神よ、どうか私の大切な人の冤罪を晴らしてください。そのためなら、私はなんでもいたします……)
無力な私では、ただ泣きながら神に祈ることしかできない。
大泣きしている私と、手を掴まれて身動きがとれず困惑した様子のビリー。
そんな私たちを、ウィロウは悲痛な表情でいつまでも見つめていた。




