過去との遭遇
「……ビリーさん」
「間に合って……良かった」
肩で息をしているビリーに抱きつくと、鼓動が激しい。
普段、走っているところなど一度も見たことがない彼が急いで助けに来てくれたことが嬉しくて、また涙が出そうになるが、「服が濡れるだろう!」と怒られたことを思い出しグッと我慢する。
ビリーは私の頭をポンとすると、女性へ向き直り私を庇うように前に立った。
「このような場所で、あなたにお会いするとは思ってもいませんでした……アビゲイル嬢」
「まさか……ウィリアム様ですの? なぜ、王都に……」
「それを、あなたに説明する必要はないかと」
貴族同士だから、ビリーが女性と面識があっても何ら不思議はない。
まったく感情のこもっていないビリーの抑揚のない冷たい声に、驚きを隠せない。
「それにしても、そのお姿……宮廷薬師だったあなたが、落ちぶれたものですわね」
(宮廷薬師!?)
『宮廷』と名の付く仕事に就いている者は、王城に出仕する選ばれし方々だと聞いたことがある。
侯爵家出身で優秀な薬師でもあるビリーがその一員だったのは、当然といえば当然なのかもしれないが。
「あのような事件を起こされたのですから、バルドー侯爵家を勘当同然に追い出され、王都に居づらくなったのも仕方のないことかしら……」
女性がホホホ……と笑う声は聞こえてくるが、ビリーが壁のように立ち塞がっているため、彼女がどんな表情をしているのか私には見えない。
それでも、先ほどの私に対する態度やビリーへ棘のある言葉を投げつけてくる女性には腹立たしさを感じてしまう。
「赤の他人であるあなたがどう思おうと、お好きになさればいいと思います……が、私の弟子に関わろうとするのであれば、今度こそ容赦しません」
「今や庶民同然のあなたの脅しが、わたくしに通用するとでも思っていらっしゃるの?」
「そうそう、大事なことを言い忘れておりましたが……あなたこそ、私の前で前回と同じ手口が通用するとは思わないほうがいい」
「な、なんのことを仰っているのかしら……」
明らかに動揺した女性へ、「私たちは忙しいので、これで失礼します」と最後まで淡々とした対応を貫いたビリーは、私を連れ馬車へと歩いていく。
女性の様子が気になった私がそれとなく後ろを振り返ると、恐ろしい形相でビリーを睨みつける彼女の姿があった。
◇
「怖い思いをさせて、すまなかった」
馬車が動き出すなりビリーが口にしたのは、謝罪の言葉だった。
「ビリーさんのせいではありませんよ。たまたま運が悪かっただけです」
私が悩まずにさっさとお菓子を決めていれば、あの人と会わずに済んだかもしれないのだ。
だから、ビリーのせいではない。
「いや、俺が店までついて行くべきだった。もし間に合っていなかったら、今ごろおまえは……」
「私はどうなっていましたか?」
「……最終的には、あの女の屋敷に連れていかれていたと思う」
「いくら貴族でも、こんな街中で無理やり連れ去るなんてできないですよね?」
それでは誘拐事件になる!と主張した私に、ビリーは首を横に振った。
「あのとき、おまえは咄嗟に手を払い除けようとしただろう? もし手があの女に当たっていれば、暴力を振るったとして捕らえられ詰所に連行されていた。たとえどんな理由があろうとも、庶民が貴族に手を出したとなれば徒では済まない」
ビリーから冷静に指摘され、私は今ごろになって事の重大さに気付き青くなる。
庶民の私とも対等に接してくれるビリーやウィロウ様が変わり者なだけであって、貴族と庶民の間には天と地ほどの身分差があるのだ。
「おまえが詰所に連れていかれた後、『事を荒立てたくない』とか適当な御託を並べたあの女がおまえの身柄を預かることになっただろうな」
「結局、あの女性は私にどんな用件があったのでしょうか?」
いきなり「話がある」と声をかけられたけど、その話が何なのか不明のままだ。
あの人には二度と会いたくはないが、話の内容は気になっていた。
「おまえが、欲しかったんだろう」
「…………はい?」
ビリーからさらりと言われたが、何かの聞き間違いだろうか。
『私が欲しい』なんて、物じゃあるまいし……と思ったところで、自分に向けられた彼女の視線が思い出される。
怪しく光っていた目は獲物を捉えた狩人のようで、舌なめずりする音まで聞こえてくるようだった。
「あの女の従僕を見ただろう? おまえと同じ金髪の美少年だった。あんな従僕が、あの女の屋敷にはまだ他にもたくさんいた」
「彼女が私を従僕にするつもりだったのは、理解しました。そもそも、あの女性はどういう方なのですか? ビリーさんとは、以前からのお知り合いのようでしたが」
「彼女は、アビゲイル・デルボーラ。デルボーラ伯爵家の一人娘で……俺の元婚約者だ」
「!?」
ビリーには、結婚を約束していた女性がいた。
◇
ビリーが一生結婚するつもりがないのは、アビゲイルとの婚約が解消されて彼女以外の人とする気はないということなのだろうか。
彼女は、私の知らない王都時代のビリーを知っている。
今は険悪な雰囲気になってしまったが、昔は今日行った菓子店にも二人で訪れたことがあるのかもしれない。
あそこ以外にも、王都には二人の思い出の場所がたくさんあるのだろう。
(なんで、こんなに胸がズキズキするんだろう……)
「どうした? なぜ、おまえがそんな顔をしている?」
「…………」
ビリーの問いかけに言葉を返したいが、口を開けば確実に声は震えそうだし、涙も出るような気がする。
せめて、面だけでも笑顔を浮かべたいが、顔が引きつり上手く笑うことができない。
(ビリーの前で、私はいつもどんな顔をしていたんだっけ……)
心の中がぐちゃぐちゃで頭が働かず、普段の自分を思い出そうとしても何も思い出せない。
「おい、大丈夫か?」
私のただならぬ様子に、緋色の瞳が不安げに揺れている。
もうこれ以上、ビリーに心配をかけられない。かけたくはないのに。
(早く何か言わないと……)
「……ビリーさん、私は今どんな顔をしていますか?」
結局、口から出てきたのはこんな言葉だった。
でも、自分が今どんな状況であるか自分自身が把握できない以上、彼に尋ねてみるのが一番確実な方法だ。
「俺には、悲しそうに見えるが……」
(悲しい? どうして私は『悲しい』と思っているんだろう……)
ますます自分の気持ちがわからなくなってきた。
理由がわからず混乱している私をじっと観察していたビリーが、突然ポンと手を打つ。
「そうか、わかったぞ! おまえは変に気を回しすぎて、俺に同情しているんだろう? 言っておくが、俺は婚約が解消されて清々しているんだ。最初から、あの女と結婚する気はなかったからな」
「『清々している』ですか?」
意外なビリーの言葉に、心と頭のモヤモヤが一気に吹き飛んだ。
「庶民はどうか知らないが、貴族の結婚なんて政略婚しかないからな。しかも、結婚相手は本人の意思に関係なく周囲に勝手に決められるんだぞ。ひどい話だろう?」
忌々しげに座席にふんぞり返ったビリーの姿は何時ぞやのウィロウにそっくりで、「本当に、ひどい話ですね」と相槌を打ちつつも笑ってしまった。
「やっぱり、おまえは不安そうな顔より悲しい顔より、笑顔が一番似合うな」
目を細めいつも以上に優しいまなざしを向けてくるビリーは、ウィロウの言う通り過保護な師匠だと思う。
そんな彼へ、弟子である私は一体何を返せるのだろうか。
◇
屋敷へ戻った私たちを待っていたのは、険しい表情をしたウィロウだった。
「『クグロフ菓子店』の前で、デルボーラ家の娘と遭遇したそうだな?」
「どうして、叔母上がその件をご存知なのですか?」
「私が、おまえたちだけで外出させるわけがないだろう。万が一の用心のために、護衛を付けていたのだ」
私たちは知らなかったが護衛が御者に扮して同行してくれていたとのことで、ウィロウは彼から報告を受けたようだ。
「幸い今回は大事に至らなかったが、あの『クソ女』には十分注意しろ」
「わかっています。私も、二度も同じ手にひっかかるつもりはありません」
ウィロウへきっぱりと述べたビリーが、私のほうを向いた。
「おまえに話をするか迷っていたが、あの女の危険性を認識してもらうためにも俺の過去についての話をしようと思うが……聞いてくれるか?」
「もちろんです。私はビリーさんのことなら、何でも知りたいです!」
迷わず即答した私に、「聞いていて、あまり気分の良い話じゃないぞ……」と苦笑しながらビリーは話を始める。
それは、庶民の私では想像もできない、貴族ビリーの過酷な体験だった。




