異変
ハンクス侯爵家でお世話になってから、三週間が経過していた。
私とビリーは前当主の帰りを待ちながら、ウィロウの薬房の手伝いをしたり、使用人たちに交ざってお屋敷の仕事をしたりと毎日忙しく、でも、とても楽しく過ごしている。
ウィロウの経営する店『ラビッジ薬房』で会った若い女性店員は『ルナ』という名の二十歳の人で、半年ほど前から勤めているそうだ。
ルナは私と同じ庶民の出だが独学で薬学を学んでいて、王都近郊の森で薬草の採取をしているときにウィロウと知り合ったらしい。
彼女を気に入ったウィロウが修業の場として店を任せる形で、住居と仕事を提供してもらっているとのこと。
ウィロウから話を持ちかけられたが、彼女が貴族だと知りルナは引き受けるか大いに悩んだという話を聞いて、私は一気に親近感を持つ。
「僕も、ビリーさんから勧誘されたときはとても悩みました。でも、今は受けて良かったと心から思っています」
「そうよね。いきなり『店で働かないか?』って言われたら、誰だってびっくりするものね。特にウィロウ様は、その…ちょっと他の方とは違っていらっしゃるから……」
「はっきり『変わり者』って言い切って問題ない。事実だからな」
「ビリーさん……もう少し言葉を選びましょうよ」
「ふふふ……」
今日は、ラビッジ薬房へ粉末化した薬草を届けに来ている。
私と同じように魔力を持っていないルナではできない作業をウィロウがやり、その後はすべて彼女に任せているそうだ。
今日は定休日なのだが、勉強熱心なルナは自身でもきめ細かく粉末化できないか研究しているとのことで、店の奥にある作業場には様々な道具が並んでいた。
「ビリー先輩に、こちらを見ていただきたいのですが」
そう言ってルナが差し出したのは、乳鉢に入った粉末状の薬草だ。
魔力で粉末化したものよりは多少荒めだが、それでも、乳棒だけでここまで細かくできるのはすごいと思う。
私がルナへ尊敬のまなざしを向けるなか、兄弟子が弟弟子へ助言をしている。「薬草をもっと乾燥させ、手間でも『実』『葉』『茎』などを細かく分類してから擂る。それを、さらに網目の細かい篩にかける」という説明を、ルナが大きく頷きながら真剣にメモを取っていた。
ウィロウからビリーが彼女の一番弟子で縁者の者と紹介されたとき、ルナは真っ先に謝罪をした。
理由がわからずキョトンとする私たちに彼女が説明した内容によると……ウィロウが侯爵家を継いでからというもの、男性(特に若者)から店主個人に関する問い合わせが増えて困っていたとのこと。
だから、ビリーから尋ねられたときも知らぬ存ぜぬを通したのだとか。
ウィロウは「節操のない者どもが……」と呆れていたから、何か事情があるようだけど。
ルナは貴族であるビリーのことも『ビリー様』と呼びはじめたのだが、「俺に『様』は付けなくていい」と言われ「でも、兄弟子の方を『さん』付けで呼ぶのは……」と悩んだ末に、最終的に『ビリー先輩』で落ち着いたのだった。
「じゃあ、僕も『ビリー先輩』って呼んでいいですか?」
ルナを見ていて、私も雇い主であり師匠でもあるビリーに対し『ビリーさん』呼びはおかしいのでは?と思ってしまった。
それに、『先輩』という響きはなかなか良いのではないだろうか。
「……おまえの『先輩』呼びは、何か他人行儀だな」
いつものように「おまえの好きにしろ」と言われると思っていたら、予想と違う答えが返ってきた。
私と視線も合わせずなんだか拗ねたようにも見えるビリーの反応。
彼も私のことを家族のように思ってくれていることが嬉しかった私は、遠慮なく(でも、人目があるから多少遠慮して)ビリーの背中に抱きつく。
「だ・か・ら、おまえは泣きながら俺に抱きついてくるんじゃない! 服が濡れるだろうが!!」
「今回は、僕を泣かしたビリーさんが悪いんです! 僕は悪くありません!!」
「じゃあ、せめて涙を拭いてからにしろ!」
ぎゃあぎゃあ言い合っている私たちを、ルナは「ウィロウ様の仰る通り、本当に仲の良い兄弟みたいな師弟ですね」とニコニコしながら眺めていたのだった。
◇
ラビッジ薬房を後にした私たちは、馬車に乗っていた。
これはハンクス侯爵家の(家紋の付いていない)馬車で、「乗り合い馬車よりも、移動が楽で時間の短縮にもなる」と街へ出かけるときはウィロウが貸してくれるものだ。
たしかに彼女の言う通り、待ち時間もなく目的地まで真っすぐ送ってくれるのでとても快適。
私は車窓から見える様々な建造物がいろいろと気になり、ビリーにあれこれ質問を連発していた(彼は、終始面倒くさそうだったが……)。
馬車が停まったのは、多くの店が軒を連ねる商業地域の一角だ。
目の前にあったのは一軒の大きな店。看板には『シルク商会』と書かれている。
「ビリーさん、このお店はもしかして……」
「アイツの店だ」
村の市場で会った、ビリーの昔からの知り合いであるシルクの店だった。
彼には月に一度村まで薬草を運んでもらっているのだが、今回私たちが王都へ行くことになったため手紙を送り今月は断りをいれていた。
しかし、王都での滞在が長くなりそうなので、直接ビリーが話をしに来たのだ。
店の前では大勢の従業員が商品の搬入・搬出をしており、活気に満ちている。
そこかしこで怒号のような声も飛び交いビクッとしてしまうが、ビリーは気にせず店内へ入ると中年の男性に声をかけた。
店の番頭である彼の呼びかけで店の奥からすぐに見知った顔が出てきたが、前回会ったときの旅装とは違いシルクはきっちりとした恰好をしている。
「これはこれは、当店までわざわざ足をお運びいただきありがとうございます」
「忙しいところ申し訳ない。話があるのだが、少々時間をいただけないだろうか?」
以前とは別人のような丁寧な言葉遣いの二人に私は違和感を覚えたが、彼らの間で話は進み、店の応接室へ通されることになった。
「さて、おまえも忙しいだろうから手短に言う。今日の用件は全部で二件だ。一件目、王都での滞在が長引きそうだから、来月と念のため再来月まで配達は結構だ」
「へえ~、ビリーもなかなかお忙しそうで……」
部屋に入った途端いつもの二人に戻り、さっきのは人前のよそ行き用なのだと気付く。
「二件目、この薬草を来月中ごろまでに仕入れておいてくれ。じゃあ、よろしく頼む」
「おい、ちょっと待て! こんな希少な薬草が、すぐに手に入ると思っているのか!!」
「俺の師匠がご所望なんだから、仕方ないだろう!」
ビリーのメモ用紙を握りつぶしたシルクが目を吊り上げて怒っているが、それに対し、ビリーも負けじと言い返している。
ケンカ腰で遠慮のない言葉の応酬を、私はただソファーに座りボーっと眺めていた。
「……手数料は、きっちりいただくからな」
「ああ。金は持っているから、安心しろ」
ようやく話がまとまったところで、すぐにお暇する。
大きな商会の主人だけあり、シルクは本当に忙しいようだ。
先ほどの番頭がドアの前で待機しており、シルクが部屋から出てく来るや否や書類を見せ何やら話をしている。
その横を通り抜け店を出てきた私たちは、待たせてあった馬車に乗り込んだ。
「さて、シルクの件も終わったし帰るか」
「あの、実はウィロウ様からお使いを頼まれていまして、帰りに菓子店へ寄ります」
「もしかして……『クグロフ菓子店』か?」
「はい」と答えた私に、「俺も、昔よく買いに行かされたな……」とビリーは遠い目をした。
『クグロフ菓子店』は、王都で評判の店。
ここでしか買えないチョコレートケーキが女性に大人気なのだとか。
秘伝の調理方法で作られるこのケーキはハンクス侯爵家の専属菓子職人でも再現できないそうで、ウィロウは月に数回わざわざ買いに出かけているらしい。
今日は私たちが街中へ出かける用事があったため、ついでに頼まれたというわけだ。
「俺は馬車で待っているから、おまえが買ってきてくれ」
「わかりました」
ビリーいわく、店内は女性客が大半を占めていて非常に入りづらいとのこと。「中身が女のおまえなら、平気だろう?」と言われた私は、馬車を降り一人で店へ向かう。
彼の言う通り、店の中は若い女性客で溢れ返っており人気の高さが窺える。
ウィロウからは「おまえたちも、好きなものを好きなだけ買うがいい」と気前良い言葉をいただいた。
じっくりと吟味したいと思うのだが、種類の多さについつい目移りしてしまう。
(食べ慣れたお菓子を買って味の違いを楽しむか、それとも、食べたことのないものを買って新たな味を知るか……)
私は真剣に悩んだ末に、自分たち用にもウィロウお気に入りのケーキと、貝殻の形をした馴染みのある焼き菓子をそれぞれ二個ずつ買うことに決めた。
◇
「失礼ですが、王都にお住まいの方でしょうか?」
包装を待っている間に広い店内を見て回っていた私は、見知らぬ人物から声をかけられる。
金髪に碧眼の非常に顔立ちの整った、まるでお人形のような若い男性だ。
「えっと……違います」
ビリーからは、店に行く途中で誰かに話しかけられても何も答えず「急いでいます!」と言って逃げろと言われていた。
しかし、まさか店内で声をかけられるとは……想定外の事態につい相手の質問に答えてしまい、嫌な汗が吹き出る。
このまま店の外に逃げたくても、混みあっているため包装に時間がかかっており買った物がまだ手元にない状態だ。
「私の主があなた様に話したいことがあると申しておりまして、恐れ入りますが、少々お時間をいただけないでしょうか?」
「申し訳ありませんが、急いでおりますので……」
「左様でございますか。では、主にはそう伝えます」
そう言うと、男性は店の外へ出ていった。
案外あっさりと引き下がってくれたことに安堵しているうちにようやく包装が終わり、品物を受け取った私はすぐに店を出る。
理由はわからないが、さっきから胸騒ぎがしてどうにも落ち着かない。
早くビリーの顔を見て安心したかった。
「そこのあなた、お待ちなさい!」
店を出て歩き出した私を呼び止めたのは、若い女性だった。
先ほどの男性が後ろに控えていることから、どうやら彼女が彼の言っていた主のようだ。
「申し訳ありませんが、先を急いでおりますので……失礼します」
「待ちなさいと言っているでしょう。見たところ庶民のようだけど……貴族のわたくしに逆らったら、どうなるかわかっているの?」
「貴族……」
たしかに言われてみれば、女性は高そうなドレスを身に纏っている。
ビリーやウィロウのような『貴族らしくない貴族』に慣れてしまったせいですっかり忘れていたが、庶民が貴族に逆らうことは難しい。
だから私は故郷を飛び出してきたのに、『男』になっても貴族に目を付けられてしまうなんて……自分の運の悪さを恨みたくなる。
「王都の住民ではないと聞いたけど、田舎に家族はいるのかしら?」
「……家族は、おりません」
「まあ、そうなの! それは、好都合ね……」
女性の薄い緑色の瞳が怪しく光る。
うふふと妖艶な笑みを浮かべた彼女に視線を向けられただけでゾワッと背筋が寒くなり、鼓動が早鐘のように鳴り響く。
不意に女性が私へ近づいてきたので後退りするが、彼女は執拗に迫ってくる。
壁際に追い詰められた私に人差し指の爪だけが長い手がスッと伸びてきて、あまりの気味の悪さに思わず払いのけようとした、そのときだった。
横から私たちの間に誰かが割り込み、私はその人物の体を叩いてしまう。
しまった!と顔を上げた先にあったのは、いま一番会いたかった人……私を心配そうに見つめるビリーの顔だった。




