王都での穏やかな日常
師弟の話し合いの結果、ハンクス侯爵家の領地へ行くのではなく前当主が王都に戻るのを待つことになった。
また私がいつ入れ替わるかわからない状態であることが一番の理由だが、本当に男女が入れ替わるのか、ウィロウが実際に自分の目で確認してからという意向もあるようだ。
前当主のマーシアは、ビリーの母方の祖母の姉にあたる人。
年は七十を超えているが、お元気な方だそう。
十五年ほど前に亡くなった実弟のあとを急遽継ぐ形で当主となり、今回、高齢を理由に実妹の娘であるウィロウへハンクス侯爵家を任せることにしたそう。
弟は生涯独身主義だったそうで子供はおらず、未亡人であるマーシア自身も子宝に恵まれなかったことから、独身の姪に白羽の矢を立てたらしい。
「とんだ、とばっちりを食った」と嘆く師匠を不器用ながらも慰めている弟子の姿が微笑ましく、ついニコニコしながら眺めていたら、またビリーから「何を考えているか、わかっているぞ」と言われてしまい慌てて顔を隠す私。
そんな私たちのいつものやり取りを、今度はウィロウがニヤニヤしながら見ていた。
「おまえたちは、せいぜい私に感謝するんだな。二人が出会うきっかけを作ってやったのだから」
「『きっかけ』ですか?」
先日ビリーも「俺に一生感謝しろ」と言っていたなと思い出しつつ、何のことだろうと首をかしげる私と、眉間に皺をよせ訝しげなビリーをウィロウは交互に見やった。
「アンリの話を聞いて思い出したのだが、乗り合い馬車の中で君に喉の薬をあげたのは……私だ!」
「えっ!?」
「フッフッフッ……実は、姉上にどうしてもと頼まれて、村まで愛弟子の様子を見に行っていたのだよ! 薬屋を開業したと聞いていたから、その薬効も確認するためにな。私の店『ラビッジ薬房』によく似た店構えで、薬の効能も申し分なかったぞ。ただ、あの接客だけはいただけないが……」
「……全然、気付きませんでした」
「当たり前だ。おまえに気付かれぬよう、変装していたのだからな」
私に薬をくれたのは、とても上品な中年女性だった。
言葉遣いも丁寧で、気配りも上手で、だから安心して貰った薬を飲んだのだが……
(いま目の前にいる人と同一人物とは、とても思えない)
「アンリさん、わたくしもビリーも生まれついての貴族ですから、周りの状況に合わせて取り繕うくらい簡単にできますのよ。ただ、普段からそれを行っているか・いないかの違いですわね」
どうやら、私はまたまた表情を読まれていたらしい。
女性らしい言葉遣いで真っすぐに私を見据えるウィロウから、さりげなく目を逸らす。
貴族という方々の生き方は本当に大変で、自分は庶民生まれで良かったと心から思った。
◇
私とビリーは、ハンクス侯爵家の敷地内にある使用人用の一軒家に滞在させてもらうことになった。
貴族の来客が多い本館では、庶民の私が気疲れしてしまうだろうというウィロウの気遣いだ。
しかし、「離れに滞在しろ」と言った師匠に対し、夫婦や家族など住み込みで働く者たち用の住居を借りることになったのは、気楽な生活に慣れてしまった弟子たっての希望であることは言うまでもない。
◇
「ビリーさん、起きてください! 今日はウィロウ様と朝食の約束がある日ですよ!!」
王都に滞在していても、私の朝の仕事は変わらない。
相変わらず朝が弱いビリーを叩き起こし、住居に備え付けの台所で作った朝食を食べさせる。その繰り返しだ。
村に居た頃と違うのは、食材がすべて侯爵家から支給されること。これも、ウィロウの配慮だと聞いている。
使用人でもないただの居候である私たちの分まで申し訳ないと言ったら、「その分、調合の手伝いをしてもらうから気にするな」と返された。
ビリーは嫌な顔をしていたが、私は頑張って食費分の働きはしたいと思う。
周囲にはウィロウの弟子と孫弟子と周知されているだけで、ビリーが侯爵家の人間であることを知っているのはごく僅かの人だけだ。
だからなのか、使用人の皆が気さくに話しかけてくれるのがとても嬉しい。
本館へ行く途中に出会ったお隣さんでもある庭師夫婦と朝の挨拶を交わし、私は眠そうに目をこするビリーと共に朝食会場へと向かった。
◇
「本日のご朝食は、野菜と塩漬け肉のパイ、サラダとスープに果物でございます。パイに使用しております野菜は……」
朗々と張りのある声で料理長が料理の説明をしているのを、私は聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けていた。
「アンリ、彼へ何か質問があればするがよい」
「ウィロウ様、ありがとうございます。では、一つだけ……このパイ料理は、どのように作るのでしょうか?」
「こちらは簡単に説明をしますと、から焼きをしたパイ生地にお好みの具を詰め、牛乳・生クリーム・卵などから作った液を流して再び焼いたものになります」
「液を、卵の凝固の力で固めるのですね……なるほど」
食事を始めた二人の横で、私は一生懸命ペンを走らせる。
前回、初めて朝食会に誘われたときに食べたこのパイ料理が美味しすぎて、気に入った私はビリーへいくつか質問をしたのだが、やはりというかまともに答えてもらえなかった。
これでは村へ帰ってから作れないとむくれた私に、ウィロウが「次回は料理長を呼ぶから、直接質問しろ」と手配してくれたのだ。
初対面は怖そうな人だとビクビクしていた私だが、ビリーに似て口は悪いが貴族っぽくないウィロウに数日ですっかり慣れ、今は孫弟子として可愛がってもらっている。
料理の説明が終わった後すべての使用人たちを下がらせたウィロウは、ふっと肩の力を抜く。
侯爵家の当主として威厳のある姿は、これで終了のようだ。
「君は、本当に食べることが好きだな。私は、朝は何も食べなくてもいいのだが……」
「食べることはもちろん好きなのですが、私の料理をビリーさんが喜んで食べてくれるので作り甲斐もあるのです」
「ハハハ! これはこれは仲の良いことで妬けるなあ……アンリがアンヌに戻ったら、おまえたちは即結婚して、私に代わってハンクス侯爵家を継ぐがよい!!」
「昨夜の深酒が残っている酔っぱらいの戯言ですね」
上機嫌で高笑いをしている師をばっさりと切り捨てたビリーは、高さのあるパイをフォークとナイフで上手に切り分け口元に運ぶ。
私もビリーの所作を見よう見真似で実践しているのだが、なかなか難しい。
悪戦苦闘している私からビリーへ視線を戻したウィロウが、「食事が終わったら、調合をするぞ」と声をかけた。
「世話になっている以上、仕方ない……」
師の前で大きなため息を吐き嫌な顔を隠しもしない弟子の失礼な態度に、食べていた物を吹き出しそうになったがグッとこらえた私を誰か褒めてほしい。
「働かざる者、食うべからずだ。アンリ、せっかくだから君も見学するといい」
「……いいのでしょうか?」
以前、ビリーは集中できないからと粉末化しているところだけは見せてくれなかったのだが……。
ちらりと彼へ顔を向けると、頷いている。
「構わない。もう、おまえに隠す必要はなくなったからな」
理由はよくわからないがビリーからもお許しが出たので、初めて作業を見ることができる。
わくわくしながら、私は朝食を終えたのだった。
◇
ウィロウの私室の隣に設けられた調合室で、私は作業風景をじっと見つめていた。
ビリーが薬草に手をかざすと、一瞬にして粉末状となる。ほんの瞬きをしている間の出来事に驚き、私は声も出なかった。
「ふむ……腕は鈍ってはいないようだな。では、次にこれを頼む」
「相変わらず、弟子使いの荒い人ですね……」
口では文句を言いつつもビリーの緋色の瞳は真剣で、次々と師の指示通りに作業をしていく。
指示を出しながらウィロウも同じような作業をしていて、何もできない私はただ二人を遠巻きに見つめるしかない。
一時間ほどで山と積まれた薬草の束が消え、代わりに粉末の小山がいくつかできあがっていた。
「よし、お疲れさん! 今日は、これで終わりだ」
「……その言い方だと、まだ今後もあるのでしょうか?」
「以前と違って、私も薬師の仕事以外にこっちの面倒事もやらなければならないのだ。使える者を使って、何が悪い?」
「あなたは面倒事がなくても、昔から人使いは荒かったですよね?」
「そんな大昔のことなど、とうに忘れたな……」
師弟のやり取りに「ふふっ」と笑いながら、私はビリーの額の汗を拭きに行く。
彼が精神を集中させなければできないと言っていた通り、時間は一瞬だが非常に緻密で繊細な作業なのだろう。
そして、ビリーが私の目の前で行わなかったもう一つの理由がわかった。
「ビリーさんは、私が怖がらないように夜中に作業してくださったんですね……魔力を使うから」
「『魔力持ち』は、ほとんどが貴族だからな。さすがに、おまえでもこの話は知っていると思ったから見せなかった。実際に知っていたしな」
「いろいろと気を遣ってくださって、ありがとうございました。でも、私はもう平気ですので、これからはお手伝いをさせてください」
「ああ、よろしく頼む」
ポンポンとビリーの手がいつものように自然と頭にのせられて、つい反射的に抱きつこうとした私だったが、ウィロウの前であることに気付き踏みとどまる。
その代わりに、頭に乗った彼の手を両手でそっと握りしめた。
私は、大きくて温かいビリーの手が大好きだ。
嬉しくてニコニコしている私に、「こんな子供っぽいおまえが成人しているなんて、絶対に何かの間違いだよな?」とビリーはすぐに憎まれ口をたたいてくるが、これも彼の照れ隠しだとわかっているので「成人しているけど、いいんです!」とだけ返しておく。
「あんなことがあったが……信頼できる弟子と出会えて、結果的には良かったのだな」
「……もう終わったことです」
弟子を気遣うようなウィロウのまなざしと、何かを諦めたようなビリーの表情が、いつまでも私の心に残っていた。




