『師匠の師匠』の屋敷にて
数時間後、私とビリーはバルドー侯爵家の馬車に乗っていた。
びっくりするくらい広くて豪華な内装と座り心地の良い馬車に、私は終始きょろきょろしっぱなしで、ビリーに「少しは落ち着け」と言われてしまうくらいだ。
「なんか、この恰好が自分ではないみたいです……」
「さすがに、他家を訪問するのにあの旅装はないからな……仕方ないだろう」
訪問の手配をしてもらっている間に、私とビリーはグレース夫人の強い勧めで湯浴みをすることになった。
他人に体を洗われると知り私は必死に抵抗したものの聞き入れてもらえず、さらに、侍女ではなく従僕が担当すると言われ涙目になった私を見兼ねたビリーが妥協案を出してくれて、最終的に、先ほど世話になったメアリに洗ってもらうことでどうにか落ち着いたのだった。
上等な布地で仕立てられた服は、着慣れていない私には少々窮屈に感じるが、香りの良い油でお手入れしてもらった肌と髪はしっとりとしてとても気持ちが良い。
「そういえば、ビリーさんの師匠ってご親戚だったのですね?」
「母の実妹で、結婚もせず薬師をやっていたが、後継者のいない大伯母様の養子になり、ハンクス侯爵家を無理やり継がされたようだ。かなり驚いたが、ウィロウ叔母上なら話が早くて助かったな……」
歩けば距離があるそうだが、馬車移動のため目的地にはすぐに到着する。
私たちの乗った馬車は、これまた立派な門をくぐり抜け見事な庭園の中を走っていた。
ビリーによると、爵位は同じ侯爵でもバルドー家よりハンクス家のほうが家格が上とのこと。
言われてみると、たしかにビリーの実家よりさらに敷地が広く、見えてきたお屋敷も歴史を感じさせる佇まいのような気がする。
ビリーは「あの人だから、そこまで緊張しない」と言っていたが、私は気を抜かないように再度気を引き締めたのだった。
◇
先触れのおかげで待たされることなく当主と面会できることになったが、なぜか私たちは応接室ではなく彼女の私室に通された。
まだ外は明るいのに、分厚いカーテンがひかれている。
ランプの灯りだけという薄暗い部屋の中は様々な物が乱雑に置かれ、どことなくビリーの自室を彷彿とさせる状態。
散乱する物の中に埋もれるような形で置かれたソファーに座っているのは、ウィロウ・ハンクス。
ビリーの叔母であり、薬師の師匠だ。
部屋に入ってくるなりずっと厳めしい顔をしている彼女が怖くて、私はビリーの隣で小さくなっていた。
「……おまえはわざわざ王都まで出てきて、私をあざ笑いにきたのか?」
「あの、おっしゃっている意味が、よくわからないのですが」
「どうせ姉上から、私が窮屈な仕事を押し付けられたと聞いて、様子を見に来たのだろう?」
「申し訳ありませんが、私はそれほど暇ではありませんので」
「ふん。相変わらず、愛想のない奴だ。ところで……」
ウィロウは、ここで初めて私に顔を向ける。
彼女の眼光鋭い視線が刺さり、思わずビリーの袖を掴んでしまった。
「さっきからビリーにぴったりと寄り添っている美少年は、おまえの『好い人』なのか? まあ、おまえは昔から女に興味がなかったから、「そうです」と言われても私は何も驚かん。ただ、ここまで面食いだとは知らなかったが……」
「ち、違います! かの…彼は私の弟子ですから、誤解しないでください!!」
「アハハ! そんなに慌てたおまえを見るのも久しぶりだな。もちろん、冗談に決まっているだろう」
ビリーと同じように、ウィロウが腹を抱えて笑っている。
この笑い方や話し方、それにこの部屋の散らかり具合といい、ビリーはこの師匠の影響を強く受けているような気がしてならない。
ビリーの母方は伯爵家と聞いているので彼女も伯爵家令嬢のはずなのに、何というか非常に個性的な方だ。
私が彼へ「ビリーさんの師匠って、どんな方ですか?」と尋ねたときに「……会えば、わかる」と間を置いて答えたビリーの気持ちがよくわかる。
「コラ、そこの少年。可愛い顔をして、今とても失礼なことを考えているのはわかっているぞ」
「えっ!?」
「全部顔に書いてあるからな、君はとても分かりやすいんだ。他人に無関心なビリーが、これほど過保護になるのも納得だな」
「お言葉ですがウィロウ叔母上、私は過保護では……」
「本人に自覚がないのか。これは、実に面白い」
ハハハ!と高笑いしている師を、弟子が怖い顔で睨んでいる。
本当に良く似ている師弟だ。
親しいからこそ似るとも言えるので、ビリーは間違いなく彼女の影響を受けていると確信した。
「それで、ここには宿を集りに来ただけではないのだろう? 姉上の手紙では、マーシア伯母上に面会したいとのことだったが……」
「ゴホン……我々は『集り』には来ておりません。大伯母様に会う前に、あなたに見てもらいたいものがありますので、カーテンを開けてもよろしいですか?」
心外だと言わんばかりのビリーがすべてのカーテンを開け放つと、部屋の全容が明らかになる。
広い私室は、ビリーの部屋以上に散らかっていた。
師匠は、あの弟子より片付けができない人なのかと唖然としている私に、ウィロウは「ほお……」と感嘆のため息を漏らす。
「ビリー、アンリのその瞳は本物なのか? 変身魔法を使用している可能性は?」
「ありません。初めて会った日から、ずっとこのままです。それに、変身魔法でもこの色は再現できないかと。それと、もう一つ見ていただきたいのがこれです」
手渡したペンダントをビリーがテーブル上に置くと、ウィロウは手に取り食い入るように観察していたが、くるりとこちらへ向き直る。
「私では判断がつかないから、これは直に伯母上に見ていただいたほうがいいだろう。じゃあ、さっそく明日出発するぞ!」
「……はい? 出発とは、どちらに?」
「ハンクス侯爵家の領地に決まっているだろう。今、伯母上は領地で静養されていて、こちらには居ないのだ。戻られるのは二か月後の予定だが、悠長に待ってはおれぬ。すぐに出立の準備をせねば!」
「叔母上、ちょっとお待ちください!」
「ビリー離せ! 『善は急げ』というだろう!!」
スッと立ち上がり部屋を出て行こうとするウィロウと、それを留めようとするビリーの間で押し問答が繰り広げられているが、私は状況が理解できずボーっと眺めていることしかできない。
私の瞳とこのペンダントに、何か重大な秘密があるようだ。
ビリーも他の人も何も教えてくれないので気にはなっているが、皆の様子を見ていると知るのが怖いような不安な気持ちになる。
「アンリは今は『男性』ですが、本当は『女性』なのです! だから、今すぐ領地へ行くことはできません!!」
「ハハハ。こんなときに、おまえはそんな冗談を言えるようになったのか……」
「少しは成長したな!」と喜ぶ師匠に、弟子はさらに言い募る。
「私も最初はそう思っていましたし、叔母上が信じられないのも無理はありません。でも、これは冗談ではなく本当の話です! 私は両方の姿を見ています!!」
ビリーのあまりにも真剣な表情に、何かを感じとったのだろうか。
ウィロウがつかつかと近寄ってきたと思ったら私の顔をじっと見つめ「ふむ」と呟く。
予告なしに手を握られ、ポンと軽く胸を触られ、彼女の視線が下へ向く……があそこまでは触られなかった。
「どうにも信じ難い話だが、おまえがそこまで言うのであれば本当のことなのだろう。しかし、なぜ男の姿になっている?」
「理由はわかりませんが、男になったり女に戻ったりを繰り返しています。アンリは、ペンダントに祈りを捧げたら叶ったと申していますが……」
「『願いが叶うペンダント』か……実に興味深いな。知り合った経緯から、詳しい話を聞かせてくれ」
◇
私とビリーの話に静かに耳を傾けていたウィロウは「そうだったのか」と呟いた。
「……気の毒に。君は苦労したのだな」
「でも、そのおかげでビリーさんと出会えましたし、今は一緒に仕事をするのが楽しいです」
「あのおまえが、随分と懐かれているのは理解不能だが…………良かった」
最後にぽつりと漏れた一言が、彼女の本音なのだと気付く。
口調は乱暴で貴族令嬢らしからぬ人だけど、ビリーを見つめる視線はからかいの中にも優しさにあふれている。
弟子と同じで、師も本当に素直じゃないなと感じた私だった。




