ビリーの正体
「ここは、バルドー侯爵家の屋敷で…………俺の生まれ育った家だ」
「やっぱり、ビリーさんは貴族だったのですね」
家に専属料理人が複数いる話を聞いたときから心の中で「もしかして、ビリーは……」と思っていたが、彼の告白を聞き出てきた私の感想は「やっぱり」だけだった。
彼に告げられるまでは、事実を知ったときの自分の反応が怖かった。
意外にもすんなりと受け入れることができた自分自身に、私はホッと安堵の息を吐く。
「おまえが貴族から逃げてきたことを知っていたから、どうしても言い出すことができなかったが……『やっぱり』と言うことは、俺の正体に気付いていたのか?」
「『専属料理人』の話で、何となくそうではないかと思っていました。でも、まさか侯爵家出身だなんて、本当にびっくりですけど」
ビリーの寝起きが悪いのも片付けが苦手なのも、お坊ちゃん育ちだからなのだと納得。
しかし、あの口の悪さは侯爵家の人なのになぜだろうと思っていたら、彼から「いま、失礼なことを考えているだろう?」と問われ、「ど、どうしてわかったんですか!」と動揺したのはご愛敬。
「貴族だとわかったらあからさまに嫌悪されると思っていたから、おまえの反応にこっちがびっくりだな」
「だって、どんな家出身でも『ビリーさんは、ビリーさん』ですからね。それに、もう私に隠している秘密はないですよね?」
過去はともかく、秘密を打ち明けてもらえたのはビリーとの距離がまた少し縮まったように感じて素直に嬉しい。
「いや、実はまだ他に───」
何か言いかけたビリーの言葉を遮るように、突然お屋敷の門が開く。
中から、数名の従者を引き連れた執事らしき壮年の男性が現れた。
「「「「「ウィリアム様、おかえりなさいませ」」」」」
揃って深々と頭を下げる彼らをビリーは冷静に、私は唖然としながら眺める。
「マーロン、急に帰って来てすまない。母上に面会したいのだが」
「奥様は外出されていらっしゃいますが、急ぎ使いを送りますのでどうぞ中でお待ちください」
「いや、それには及ばない。また、こちらから出直すとしよう」
「いいえ、もしウィリアム様が戻られましたら、たとえ外出中でもお知らせするようにと奥様から申し付けられておりますゆえ、何卒中でお待ちいただきますようお願い申し上げます」
「……わかった」
なぜか『ウィリアム様』と呼ばれているビリーを私は隣から首をかしげながら見つめていたが、「行くぞ」と言われハッと我に返る。
「あ、あの……僕はここで待っていますので」
田舎から出てきた庶民の私が侯爵家のお屋敷に入るなんて、身分不相応すぎて無理だ。
門番と一緒にここに居ると言う私に、ビリーは大きく頭を振った。
「おまえがここに居たら、門番の仕事の邪魔になる。それに、危なっかしくて一人にできるわけがないだろう」
「お連れ様も、どうぞこちらへお願いいたします。奥様から、わたくし共が叱責されてしまいますので……」
「そういうことだ。ほら、行くぞ」
私を促しさっさと歩き出したビリーの後を、重い足取りでついて行く。
隅々まで手入れの行き届いた庭園。
そこかしこで働いている大勢の使用人。
物語の中に登場するお城のようなお屋敷。
ここは、私にとって未知の世界だった。
◇
通されたのは、実家の食堂が丸ごとすっぽりと入ってしまうくらいの広い応接室。
その真ん中に堂々と鎮座している豪華な革張りのソファー(の隅っこに)に座る私は、縮こまるように小さくなっている。
割ったら生涯をかけても弁償できそうもない高価そうなティーカップを、落とさないように両手でしっかりと持ち音を立てないよう慎重に紅茶を飲んでいる私に、ビリーが「黙っていて、すまなかった」と声をかけた。
「それは、なんの謝罪ですか?」
いきなり言われたが、何のことかさっぱりわからない私は首をかしげる。
「さっき、使用人たちの話を聞いていただろう? 俺の本当の名は、ウィリアム。ウィリアム・バルドーという」
「ああ、そのことですか。『ビリー』は、私の『アンリ』と同じで偽名だったのですね」
「偽名というには、少々語弊があるな。ビリーはウィリアムの愛称だから、強ち嘘とも言えないが……まあ、おまえに黙っていたことに違いはない」
目を伏せながら、ビリーは慣れた手付きで紅茶を飲む。
私とは違い、片手でカップを持ち優雅に口元まで運ぶ仕草は洗練されており、育ちの良さを感じた。
「あの……なぜ、侯爵家のご子息が片田舎の村で薬屋を営んでいるのか、その理由を聞いてもいいですか?」
「王都にいるのが、嫌になったから。俺もおまえと一緒で、逃げ出したんだ」
思い切って理由を尋ねてみたらすんなりとビリーは答えてくれたが、さすがに王都で何があったのかまでは聞く気になれなかった。
私は自分から過去の話をしたので、いつかビリーも話してくれたらなと思う。
「それにしても、立派なお屋敷ですね。家の中で『かくれんぼ』をしても、なかなか見つからなさそう……あと、掃除をするのは大変そうだなと思いました。それに───」
「……用事を済ませたらすぐに退散するから、もう少しだけ辛抱してくれ」
「えっ?」
「極度の緊張で、顔が強張っているぞ。おまえは顔に出やすいから、何を考えているのか俺にはすぐわかる」
ビリーに指摘され、自分でも気付かないうちに手が震えていたことを自覚する。
私は庶民だから正しい礼儀作法なんて知らないし、ビリーの家族の前で場違いな発言をするかもしれない。
何かの弾みで高価な物を壊してしまうかもしれない……。
そんな心的恐怖が私を委縮させ、表情に出ていたのだと思う。
「ふふふ、ビリーさんには隠し事ができないですね……あっ、ここでは『ウィリアム様』って言ったほうがいいですか?」
「おまえは、いつも通りでいい」
「はい、わかりました!」
元気よく答えた私に、ビリーも「そのほうが、おまえらしくていいな」と笑顔を向けてくれる。
「でも、せっかくご実家に帰ってきたのですから、ゆっくりされたらどうですか? ご家族とお話しする時間も必要ですよ」
「気を遣ってくれるのは有り難いが……俺には必要ない」
小さく首を振ったビリーは、それっきり口を閉じてしまった。
◇
「うわ~、綺麗なバラですね!」
「こちらは、バルドー侯爵家の領地で品種改良されたばかりのものでして、ここ以外では、バルドー家から献上された王城の庭園にしかございません」
「そ、そんな貴重なものなのですね……」
バルドー侯爵家自慢のバラ園を見学していた私は、ビリーの瞳の色に似たバラを見つけ匂いを嗅ごうと鼻を近づけたのだが、説明を聞き慌てて後ろに下がる。
庭師のおじさんが「遠慮せずに、どうぞもっと近くでご覧ください」と笑いながら勧めてくれたし、一緒にいた年配の侍女メアリも「アンリ様に、とてもよくお似合いですよ」と微笑んでいたが、「いえ、こちらからで結構です!」と固辞しておいた。
紅茶を飲み干しビリーの分のお菓子まで食べてしまった私は、長い待ち時間に退屈していた。
はじめは緊張しておとなしくソファーに座っていたが、その内立ち上がり、窓から外の景色を眺めたり、遠巻きに壁に飾られた絵画や棚に置かれた壺を鑑賞したりと落ち着きのない私を見兼ねて、ビリーが庭園へ散歩ができるように手配してくれたのだ。
私が屋敷内で迷子にならないようにと侍女のメアリまで付けてくれたので、安心して移動することができた。
一時間ほどの見学を終え意気揚々と屋敷内の廊下を歩いていた私は、メアリの「恐れ入りますが、少々こちらでお待ちください」の声に頷き立ち止まる。
向こう側から大勢の従者を引き連れた人物が歩いてくる姿が見え、メアリに倣って隅に寄り頭を下げておく。
そのまま横を通り過ぎると思っていたが、その人物は私の前でピタリと足を止めた。
「メアリ、こちらの客人はどなたかな?」
「ジェイデン様、こちらはウィリアム様のご友人のアンリ様でございます」
「ウィリアムだと? 帰ってきているのか?」
「左様でございます」
ジェイデンと呼ばれる人物は、「アイツが……」と呟くと私のほうに向き直った。
このまま無視してくれればよかったのにと思いつつ、メアリから促され、私は恐る恐る顔を上げる。
目の前にいたのは、ビリーと同じ緋色の瞳で私を見つめる若い男性だった。
「その瞳の色……ああ、失礼。私はジェイデン・バルドーという。本日は、当家にようこそ」
「は、初めまして、アンリと申します」
声が震えたが、グッとお腹に力を入れ頑張って挨拶をした。
ジェイデンはビリーよりも明るい栗色の髪をしているが、同じ瞳の色といい、顔つきといい、間違いなくビリーと血が繋がっているのがわかる。
「ウィリアムの友人とのことだが、君のために一つ忠告をしておく。弟との付き合いは止めておいたほうが良い。彼は、我が家に泥を塗った男だからね」
「泥を塗る……ですか?」
「詳しいことは、本人に尋ねてみればわかる。では、私はこれで……」
颯爽と去っていく後ろ姿をボーっと眺めていたら、「アンリ様、お待たせいたしました。では、参りましょう」とメアリが歩き出す。
『泥を塗った』のジェイデンの言葉が気になったが、私はメアリに置いていかれないよう後をついて行き、応接室に戻った。
「おかえり。バラ園はどうだった?」
「バルドー家の領地で品種改良されたというバラを見せていただきました。ビリーさんの瞳の色に似ていて、とても綺麗なバラでしたよ」
「母がバラが好きで、ずっと研究を重ねていたが……ついにできたんだな」
「ビリーさんは、見たことがないのですか?」
「そのころ俺は、もうすでに家を出ていたからな」
「そうですか……」
薄々とは感じていたが、ビリーの家族関係は希薄だ。
王城に献上できるくらいの素晴らしいバラができたのに、それを息子である彼が知らないなんて、手紙のやり取りをしていないのだろう。
◇
ノック音のあと、執事のマーロンに続いて応接室に入ってきたのは綺麗な女性だった。
ビリーと同じ栗色の髪にこげ茶色の瞳。顔立ちも先ほど会った兄より、ビリーに余程よく似ている。
もしかして姉なのだろうかと眺めていたら、ソファーから立ち上がり挨拶をしようとしたビリーに女性がいきなり抱きついた。
「ウィリアム、元気そうで何よりです」
「お久しぶりでございます、母上。一度も便りを出さず、大変申し訳ございませんでした」
(……えっ、母上?)
なんとびっくり、女性はビリーのお母さんだった。
「あの……そろそろ放していただけないでしょうか?」
「一年ぶりに会った息子との再会を喜んでいる母に、あなたは何を言うのです」
「しかし、父上が何とおっしゃるか……」
「口うるさいあの人は今領地に行っておりますから、問題ありません」
ふふっと楽しげに微笑んだ女性はビリーから離れると、私へ視線を向ける。
「ところで、ウィリアム。こちらの方は?」
「彼はアンリといいまして、私の仕事を手伝ってくれている者です」
「まあ、そうなのね。アンリさん、初めまして。わたくしは、ウィリアムの母グレースと申します」
上流階級のご婦人らしい優雅な所作にポーッと見惚れていた私は、慌てて立ち上がり姿勢を正す。
「は、初めまして、アンリと申します。ビリ…ウィリアムさんには、いつも大変お世話になっております」
カチンコチンに緊張しながら挨拶をした私に優しいまなざしを向けたグレース夫人は、執事にお茶の用意を申し付けるとソファーに腰を下ろした。
「ふふっ、可愛らしい助手ができたのね。あなたの店『コンフリー薬房』の薬は、評判が良いと聞いております」
「……母上は、そんなことまでご存知なのですか?」
「当たり前でしょう。あなたがこの家を出ていっても、わたくしの大事な子供であることに変わりはないのよ」
当然と言わんばかりの顔で頷く母に、ビリーは複雑な表情を見せる。
希薄な家族関係だと思っていたが、彼のことを心配してくれていた人が居たことに私はホッとした。
「とにかく、あなたが自分の望む道を進んでいることがわかり、わたくしは安心いたしました」
きっぱりと言い切った母の顔に、嘘・偽りはない。
「それで、ウィリアムはわたくしに用件があるのでしょう?」
「実は、ハンクス侯爵家のマーシア大伯母様に確認したいことがありまして、口添えをいただけないかと。何分、今の私はこのような身ですので……」
「それは……こちらのアンリさんに関係することかしら?」
「母上も、気付かれましたか」
「ええ、もちろん。この唯一無二の瞳……忘れるわけがありません」
二人が一斉にこちらを向く。
ビリーも、彼の母も兄も、皆が私の瞳に注目するのはなぜなのだろうか。
「あなたの希望はわかりました。さっそく、わたくしが手配いたします」
「ありがとうございます。私たちは王都に宿を取りますので、また後日こちらに参ります」
「ウィリアム、その必要はありません。王都にいる間は、ハンクス侯爵家に滞在しなさい。現当主が、あなたたちを喜んで迎えるわ」
「いくら遠戚とはいえ、さすがにそこまでは……。大伯母様のご都合もあるかと」
「マーシア伯母様の命で、ハンクス侯爵家は最近代替わりしたのよ。今の当主は、ウィロウ・ハンクス……あなたの師よ」
「…………はっ?」
ビリーが驚きの表情で固まった姿を、私はただ見つめていた。




