26.
特に何も顔に出したりしていない、と思うのだけれど、アツは私を見てちょこっと右眉を上げた。
店長は私たちの様子に構わず話を続ける。
笑顔ではない店長は、普段よりも威厳がある。
「今回の件、本当に運が良かったんです」
声も一段低くなった。穏やかなのだけれど、少し怖い。
「饗場さんは森合さんに対して何らかの強い思いを抱いた。それは何でしたか?」
私をひたりと見つめて問いかけてきた。一度お酒で追いやったあの時のことを思い起こす。
「アツの苦しみが木っ端微塵になれ、さっさと終われ、と」
「その願いが指し示す先は、森合さんの死でした」
息を吸うのを忘れた。
どうしてそうなる。そんなことは考えていなかった。
「人の苦しみを完全に取り除くには、死が一番ですから」
僅かに目を伏せた店長。そう言われれば、そうとも取れる、のか。
「ただし、おそらく、ですが。饗場さんは森合さんの苦しみが『今までと違う雰囲気が原因だ』と無意識に考えていた。だから、森合さんの心臓より先に精神体を破壊し始めた」
それが良かったんです、と私たちを交互に見ながら店長が小さく頷く。
「森合さんの精神体は、通常と違う。柔らかいのに分厚い外殻のせいで完全に破壊されるまで時間がかかった」
ざくざくとした感触を思い出して、思わず頭を抱える。
ゴホッとアツが咳いて、横のテーブルにいたテンシさんも微かに呻いた。
あぁ、今になって分かった。
私は動揺すると周囲を破壊する。だから呻いたり咳き込んだりする人が出てくる。
かといって、どうしたら良いのか分からない。
ヒサくんが飛んできて、
「はーい、ドリンクのオーダー受け付けまーす」
私とアツにメニューを、テンシさんにペンを、それぞれ差し出した。
ひとまずお酒を飲め、ということらしい。なるほど、確実な応急処置だね。
そうですね、小休憩しましょうか、と店長がカウンターへと戻るのに合わせて、テンシさんも立ち上がる。
腰巻きエプロンのポケットからメモ帳を出して、少し離れた場所で控えている。
注文を受けるのはテンシさんか。テンシさんの寡黙さは良い。今はとてもありがたい。
「お酒の他にも色々あるんだね」
さっさとメニューを開いていたアツ。早くもソフトドリンクのページを確認し終わっている。
視線を合わせず、それでいて何事もなかったかのように振る舞っているのは、きっとわざとだ。
「僕、ジンジャエールにしようかな。甘い方。で、純ちゃんは何を頼むの?」
アツの言葉にようやくメニューへ目を落とす。
思いっきりキツいカクテルにしよう。心がスッとする店長のシェイカーの音を聞いて、気持ちを落ち着けよう。
アースクエイク、辛口、42度。驚天動地の今にぴったりの名前だ。
無作法だと思いつつも2口で飲み干したら、ヒサくんに笑われてしまった。
お手洗いに立って冷水で顔を洗う。
しっかりした地面に立ち戻った感じがする。よし。
席に戻ると、休憩前の状態で皆が待機していた。
「もう大丈夫です」
たぶん。ふわんとした酒精が自分の周囲に膜を張ってくれているようだ。
「では、再開しましょうか。もう少し、動揺する話があるかもしれませんが」
深呼吸して頷く。
店長はほろ苦く笑ってから、真顔へと戻った。
「先にも言ったように、森合さんには死の危機が迫っていました。ですが、あのままだと饗場さんも危なかったんです」
確かに酷く苦しかった。
ただ、自分が苦しいこと以上に、周囲に被害が出ないでほしいという気持ちが強かった気がする。
何がどう危険だったのだろう。
「饗場さんは外能の制御ができていない。無理に抑え込んでいるために、饗場さんの棘は周囲を破壊すると同時に自分にもダメージを与えてしまいます。力尽くで抑えるほど痛みが増す。それでも抑えることはやめられない。おそらく、周囲を傷つけるくらいなら自分が我慢する、といったところではないでしょうか」
周囲の危険を考えると、結果、より自分が傷つく?
「あの時の饗場さんは、森合さんが楽になるように、と考えていた。加えて、周囲が大荒れだ。この状況で森合さんが死ぬまで攻撃を続けるということは」
アツが思いっきり眉間に皺を寄せた。
「饗場さんもそれまで攻撃を受け続ける」
あのままだと2人揃って死んでいたかもしれないのか。
そんなことは願っても、考えてもいなかったのに。
そもそもはアツが変だったからで、それを取り払ってやりたいと考えただけなのだ。
店長の話は続く。
「ここへ来るのが間に合って良かった。2人とも無事に済んだのは様々な運が重なった結果です」
ミストへ来るのが間に合って良かった? いったいどういうことなのだろうか。
疑問を口にする前に、店長の顔に微笑みが戻った。
「ですので、饗場さん。今後のためにも、外能の制御を学びましょうか」
ウーロン茶の入ったグラスを空間から取り出して、一口飲む店長。
「外能制御の会得は、外能者にとっては必要不可欠な技能と言ってもいい」
店長の『移動』の外能はとても便利そうだ。何より、人に迷惑をかけないのは羨ましい。
「こうして制御さえしてしまえば好きに使える外能ですが、制御できていないと混乱を引き起こします。例えば、ポルターガイストと呼ばれる現象は『移動』や『破壊』の外能によって引き起こされます」
話には聞いたことがある。
私の記憶の中でも、部屋中のものが手を触れないままにバリンバリン壊れていた。
母親から見たら、私が癇癪を起こしたらポルターガイストが起こる、という状態だったのだろう。
それに、便利に見える『移動』でも、人を恐れさせることはあるのか。物事には裏表が付きまとうものなんだね。
「『空間跳躍』だと、極度の方向音痴の人が、意図しない場所に穴を空けて意図しないまま移動をしてしまったりだとか……酷い時には全く見知らぬ世界に行ってしまったりしますよ」
ああ、なるほど。それを分かりやすく言ったのが神隠しなんだね。これも本で読んだ覚えがある。
「精神体に負荷がかかるタイプの外能だと、身体にまで影響が及ぶこともあります」
外能の制御が必要なのは分かった。
それにしても皆、どうやって制御できるようになっているのだろう。
外能者の情報は公になっていないのだから、どうするこうするがマニュアル化されているとは思えないのだけれど。
「外能者の多くは人と交わる中で制御できるようになっていきます。知らず知らず、あるいは意識的に試行錯誤を積み重ねていくわけです。たまに制御できないままの人もいますが、制御できずとも何とかなるレベルなら僕も黙殺します。ですが、饗場さんはあまりにも力が強い」
普段から自分にも周囲にも不快感を与える力なのだから、高い能力があると言われてもあまり嬉しくない。
どうせなら瞬間記憶とか思考速度アップとかそういう力が良かったな。
詮ない空想は置いておこう。
「この場所は元々、外能者たちのシェルターだったんです。外能者狩りの頃に活用されていたそうです。父親がずっと管理していたのですが、僕に預けられた頃にはシェルターの必要性が低くなっていたので、こうして好きにさせてもらっています」
名残の主たるものが、と、店長は私たちの元へ駆けつけた時に携えていたランタンを呼び出した。
「これ、店内の照明、そして入口のライトです。精神体を鎮静化させて外能の発現を抑える効果があります」
お店の不思議さが判明した。
入口をくぐった途端に気分が楽になったのはそのせいだったのか。
「外能者が未だに公の場に出ないのは、狩りの悲劇を再び起こさせないためという他、秘密裏に生きても問題ない体制が整っているからでもあります。強い力に苦しむ人にはこういったライトの存在がある。場合によっては、僕が出向いて説明などの対処をする。外能による犯罪者を取り締まる機構もできた。下手に一般人を刺激して対立するよりも、共存して穏やかに生きることを選んだのです」
ランタンを消して、店長は天井を見上げる。
「ここには力を抑えたい人間が自然と集います。土地の特性とライトの効果で、この建物では外能が大きく抑制されるのです」
何となくテンシさんとヒサくんに目をやる。
テンシさんはいつも通りのポーカーフェイスだけれど、ヒサくんは笑って頷いている。
薄々感付いていたけれど、やっぱりヒサくんも外能者のようだ。テンシさんもそうなのかもしれない。
「饗場さんにとって一番安全かつ確実なのは、上のマンションやこの店で大半を過ごしていただき、外能を極力低く抑えた上で制御方法を学ぶことです。安定するまではここに籠もった生活をするというわけです」
山籠もり修行か何かか。いや、山でこそないけれど、まさしく修行そのものだな。
「純ちゃん、仕事は投げ出さないよね?」
「研究は止めたくないよ」
週に数回飲み食いしに来て気が楽になるのと、常にここにいて楽になるのと、それだけを比べれば後者の方が良いに決まっている。
けれど仕事が絡んでくるなら話は別だ。
ここに籠もっていたら仕事なんてできない。情報の多くはセキュリティエリア内でないと扱えないのだから。
そして私は研究が好きだ。
できることなら他の修行にしてもらいたい。
ですよね、とあっさり頷いた店長は、大きく笑って、とんでもないことを言い出した。
「荒療治といきましょう。『破壊』の外能で、僕を狙って刺してください」
ぞわぁっとしかけたけれど、アルコールが助けてくれた。
「大丈夫です、僕だけは絶対に傷つけられません。だから遠慮なく、思いっきり強く念じてください。ダーツの要領で、ここをピンポイントで狙って」
人差し指でトントンと胸を叩く店長に戸惑う。
それが制御に通じるの? 本当に大丈夫なの?
頬を切られた母親の姿が脳裏によぎる。激しく咳き込むアツを思い出す。
再びアツが小さく咳をした。
……深呼吸をして動揺から立ち直る。まずは話を聞こう。
この際ですので白状します、と店長が頬を掻いた。
「僕は、あらゆる外能が効かないんです。というより、自分が受け入れるつもりにならないと弾いてしまう」
それも店長の数ある外能の1つなのだろうか。
「え、俺も初耳なんですけど!? 何ですかそのむちゃくちゃな外能!」
ヒサくんがカウンター内から声を上げる。
「あれ、ヒサは初対面で気付いただろう? わざと出したり消したりしたはずだよ」
「……あれか!! 言われなきゃ分かんないっす!」
ごちゃごちゃやっているのを横目に、アツが、
「チートか」
私に聞こえるか聞こえないかの声量で呟いている。
不正ツールでプログラム改変をしている、とは酷い言い分だ。不正ではないだろう。どうやら外能者の常識も木っ端微塵にしているようだけれど。
ヒサくんの批難を笑顔で受け流した店長は、
「饗場さんも思い当たる節がありますよね。初対面、あの時点で棘が全く刺さらなかったのです。違和感がありませんでしたか?」
と尋ねてきた。
あれか。言われなきゃ分からない。
ヒサくんと同じ台詞を言ってしまいそうだ。
ジト目になった私を見て軽く吹き出し、もう一度トン、と鎖骨の下を叩いた。
「ですので安心して刺しましょう。僕以外のものは壊れます。森合さんも強い棘には耐えられませんでしたし、そもそも既に精神体がボロボロです。今まで通りの軽い棘ならまだしも、全力で刺すのは危険です」
そもそも全力で刺す必要性が分からない。荒療治が何だって?
「無理やり作り出した歪んだリミッターを外します。その上で力の加減を学ぶんです。全力で壊れろと念じたらこれくらいの力が必要、逆に軽く壊す程度の力ならこれくらい、そういう感覚を覚えましょう。そして的に当てる練習です」
ヒサくんに器に入れた玉子を持ってこさせて、テーブルの上に置いた店長。
「僕を刺すことと、玉子を潰さず殻にひびを入れることを交互に。その合間にフランスパンを真っ二つにする練習。外能の制御されたここで練習して、ある程度できるようになったら自宅でやってもらいます」
「ちなみにこの玉子は」
「スタッフが美味しく調理します」
店長の示す先には、泡立て器を掲げているヒサくんがいた。
「そうそう、森合さん。純さんから見て左側にいた方がいいですよ」
ヒサくんの言葉に、テンシさんがアツをカウンター席へと案内する。
「右に逸れるんですよ、純さんのダーツ」
あ、確かに。
「さあ、それでは、練習開始です」
諸々言いたいことはあったけれど、すべて飲み込んで店長の胸に目の焦点を合わせた。
――お腹が減った。
さっきダブルカレーを1人前食べたばかりのはずなのに、びっくりするほど空腹になっている。
良い匂いがすると思ったら、いつの間にか隣のテーブルにオムライスが運ばれていた。
「体力を取り戻しましょう」
店長が同じくオムライスの器を手に斜め向かいのテーブルへと座った。ここへ来た時のことを思い出す。
「もしかして純ちゃんが細いのって、常に外能を使っていたからじゃないの?」
ジンジャエールを飲みながらアツが茶化してくる。
こちらはだいぶ元気になったようで何よりだ。
聞くと、店のライトは精神体の沈静化が主な作用のため、ボロボロに傷ついた精神体もある程度は癒えるらしい。
今は、私の特訓と同時にアツの回復を待っている、といったところか。
それでも穴あきなのはもう戻らないと言われた。
「常に喜怒哀楽があるってことでいいんじゃないですか?」
というヒサくんからの一言に頷いたアツだったけれど、その後にしばらく何かを考え込んでいた。
それにしても、ヒサくんとダーツをした経験がこんなところで活かされるとは。
一点を狙うという意識が出たのが良かったのか、アツもヒサくんも咳き込まなくなったし、玉子ではなく器に亀裂が入ることもなくなった。
フランスパンはパン切り包丁ではなく棍棒で殴るような形に潰れるから、まだまだ先は長い。難しい。
黙ってオムライスを口に運びながら、練習とは違うことを考える。
私の人嫌いは『破壊』が元だった。
物心つくかつかないかの頃に何度も家中を壊し回り、母親を傷つけ、周囲に恐慌を振りまいた。
幼いながらに悩んで、すべてを自分が抱え込むという結論に至ったのだろう。
そこから先は覚えている通り、人との接触を避け、妙な気持ち悪さと付き合うようになる。それが店長の言う、無理やり抑え込む、という状態だった。
ここに通うようになり徐々に気が楽になっていったのは、照明のお陰だ。
最初は仕事の集中力を増す程度の効果しかなかったのが、だんだん棘が小さくなるという効果が出てきた。
だからそれまでより人が近くに寄ってこられるようになった。研究生や出入り業者との会話が増えた。
ミストに通い続けて人と会話をすることで外能の制御が始まっていたけれど、私自身による積極的なコントロールはまだできていなかったから、今夜暴走してしまった。
ここの照明が精神体を落ち着けて癒やす効果があるから、アツも私も立ち直れた。
ミストに来るのが間に合って良かった、というのはこのことだ。
アツが変になったのは、やっぱり私が原因だったように思う。
私の棘が小さくなったからマシュマロをつつけなくなって、感情が表に出なくなった。
さっきも、感情を返してくれ、と訴えていた。
アツも私が原因だと考えていたから、そういう言葉が出たのだろう。
外能に関しては理論が分からないせいで戸惑う気持ちが強いけれど、そういうものだと飲み込んでしまえば筋は通る。
けれど、まだ疑問は残っている。
アツが私を友人だと思ってくれたのはなぜか。私が喜怒哀楽を知るのに必要だったからだろうか。
もう棘は必要ない。それならこの先はどうなるのだろうか。友人ではなくなるのだろうか。
恐れていたことが現実味を帯びてきた。
半分残っていたオムライス、トロトロの玉子が弾けて顔にかかった。
おしぼりで顔を拭う。
やっぱり、まだまだ先は長いな。




