表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/34

16.


 最近アツの様子がおかしい。いや、狂っているとかそういうのではなくて。


「それじゃあ、気になる点については日置さんに伝えておくね」


 ああ、まただ。

 アツは最近たまに、私に対しても張り付いた笑顔を見せるようになった。それなのに何も言ってくれないアツに溜息をついてしまう。

 私たちは友人じゃなかったのか。友人には言えない話なのか。

 私に聞かせたいことならのしかかってでも耳に吹き込む奴なんだから、何も言う気はないのだと理解してはいる。

 けれど、それならそれで普段通りに振る舞え。


「ちょっと純ちゃん、聞いてる?」


 あ、少し仮面が外れた。


「聞いてる。そうだな、ついでに注文つけといて。この実験だけど……」


 話しているうちに、またアツの顔に作り笑いが戻ってくる。


「なるほど、面白い仮説だね。でもさ、こっちの実験結果からいくと……」


 ウィンドウを1つ呼び出して、私とくっつくように覗き込んでデータを出していくアツ。

 まただ。最近たまに、私に対してやたらと引っ付いてくるようになった。正直うざったいけれど、そういう時のアツは作り笑いが消えて目が輝いているから、文句が引っ込む。

 それでもアツは何も言わない。

 狂っているというほどではないけれど、おかしい。




「失礼します、アラシュです」


 アツが隣室へ消えるのと入れ替わりに、取引先の営業さんが私の部屋へ顔を出した。

 4月から担当してくれている彼は、なかなかやり手だったらしい。

 私の担当にされるなら、余程できる人間か、あるいは将来を諦められている人間か、と踏んでいたけれど、彼は前者だったようだ。

 最近は私に慣れてきたのか、いくつか提案もしてくるようになった。

 今日は改良品の案内らしい。


「前に先生が仰っていた使いにくさ、改善できました」


 と、自信ある顔で書架を回り込んできた。パンフレットと試供品を広げて説明をくれる。

 研究生たちはともかく、さすがに取引先に「先生と呼ぶな」とは言えない。今でもたまに怯むけれども。


「もしよろしければ、後藤さんにお渡ししますが」

「いや、私がもらいます。これなら一度自分で使ってみたい」


 研究生ちゃんの名前が出たけれど、自分で試すことにした。

 申し出ると、営業さんの顔が明るくなった。私がオーケーを出せば、すなわち大量発注だ。秋学期が始まってすぐにノルマクリアになるのかもしれない。

 ぺこぺこと頭を下げながらドアを閉めた営業さんを見送った。

 パンフレットを何とはなしに捲りながら、思考は別の場所に飛ぶ。




 今度はボスが私の元へとやってきた。千客万来だ。

 少しいいですか、と言いつつ、キャビネットを挟んだ隣の椅子へと腰掛けたボス。

 湯気の出るマグカップを机に置き、先日私が書いた論文に関するアドバイスを簡潔に述べていく。

 それだけならメールかチャットで済む話だ。わざわざここまで来たのには他の理由があるのだろう。

 論文の話が一段落した後、


「どうにもねぇ。最近の森合くん、饗場さんが来る前に戻っちゃったみたいですねぇ」


 少し湯気の減ったマグカップを手に取りながら、ボスが零す。

 どうやらこちらが本題のようだ。

 ボスのデスクは近くに人がいる。他人に聞かせたくないからわざわざ出向いたのか。


「饗場さん、心当たり、ありますか?」


 むしろ私が聞きたい。というか、


「私が来る前のアツって、どんな感じだったんですか?」


 まずそこがハッキリしない。

 たぶん、常に作り笑いを浮かべていたんだと思う。けれど、ボスがあれを作り笑いだと分かっているかどうか疑問だ。

 ボスも、アツのことを「笑顔の絶えない好青年」だと思っていたのではなかろうか。間違ってはいないけれど完全な正解でもない。テストなら三角だ。


「そうですねぇ。笑顔だけれど覇気がない、といった風情でしたねぇ」


 柔和な笑顔がトレードマークのボスだけれど、今は眉を下げて口を尖らせている。相当気にしているようだ。

 私には完璧に見えるアツだけれど、ボスには僅かな欠点が見え隠れしていたらしい。アツのことをそう評する人は初めて見た。


「去年、饗場さんがうちに来てからは、だいぶ張り合いがあるようでした。もちろん、研究生時代からのライバルと一緒になったのですからねぇ、それはそれは気合いも入るでしょうとも。ですが、ねぇ」


 ずずっと一口飲んでから遠い目になるボス。そこまで昔の話ではないのだから、そんな表情をするまでもないと思うのだけれど。


「仕事ぶりは変わらず、人当たりも変わらず。ええ、そうですね、客観的には何も変わっていないのですが。私にはどうにも、何かが抜け落ちたように見えるんです。いえ、饗場さんが来て埋められた何かがまた抜けていってしまった、と言う方がいいでしょうか」


 覇気がない、抜け落ちた、か。


「一時から饗場さんとの距離を縮めていたようなので、あなたなら何か心当たりでも、と思ったんですがねぇ」


 構われるようにはなったけれど、肝心なことは何一つ言ってこない。なぜ構うようになったのかも曖昧なままだ。

 私が変わったということを何度も口にしていたけれど、それが何か関係あるのだろうか。




 ボスが退室した後、パンフレットを放りやって白衣を手に取った。

 実験室へと向かう。

 まだ夕方で何人か作業しているだろうけれど、まぁいいや。実験中は集中するから無心になれる。よく分からないことを考えるのはやめだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ