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13.


 御用達スーパーの近くを通りかかった時、女性の雄叫びが僅かに聞こえてきた。

 金切り声でも悲鳴でもなく、雄叫び。

 何となく覗いてみる気になった。今いる場所のもう少し先だと目星をつける。ちょうど進行方向だ。

 そこそこ大きいスーパーは色々なものを取り扱っている。

 私のよく使う食料品売り場の向こう側には、壁を挟んで玩具売り場やゲームコーナーがあったはずだ。もしかしたらスーパーではなく別の店舗なのかもしれない。

 ガラス戸越しに目をやると、知った顔がいた。

 片手に何かのぬいぐるみを握り、もう片手の拳を握りしめて、脇を締め、肘を引いている女性。普段の雰囲気とはかけ離れているけれど、ナギサさんに違いない。

 プルプルと震えていたのが治まり顔を上げた彼女と、ばっちり目が合った。

 しばし動きを止めていたナギサさん。数秒で我に返ったと思いきや、驚きのスピードで店を出て、目の前までやってきた。もういつもの笑顔になっている。


「純さん、少し時間あります? 付き合っていただけませんか?」


 質問の形を取ってはいるけれど、強制……いや、懇願か。切実なのが分かる。

 ある意味バカンス中の私は予定らしき予定はない。仕事をしているから暇とは言えないけれど、制約はない。

 ナギサさんの懇願に快く頷く。

 ああ、そうだ。


「普段は作り笑いだと分かっているので、繕わなくてもいいですよ」


 今度こそ、ナギサさんは固まった。



 ***



 ナギサさんについて歩くこと約5分。あるマンションの前まで来た。

 ナギサさんの自宅だろうか。それにしては見覚えのあるような場所だけれど、さて。

 首を捻っていると、マンションのエントランスホールの外壁に歩み寄ったナギサさんが目を丸くして振り返った。


「どこって、ミストの前じゃないですか。あれ? 純さんって思ったより天然? それとも方向音痴?」


 それなら私と一緒だ、と自身を指さすナギサさんだけれど、私は方向音痴ではない。

 そもそもここには半地下の入口がない――


「はい、鍵開けましたから入ってください」


 ――はずだったのが、目の前に突如として現れた。

 息を呑んだ。こんなところで出会うとは思わなかった高性能セキュリティシステムの仕業だとしか考えられない。


「電子シャッターって言うらしいですよ。私は仕組みがよく分からないですけど、とにかくこれで閉店中はまず入ってこられないって聞きました」


 やはり。

 院でもまだ導入している研究室が少ないセキュリティだ。私の知る限りでは、技術最先端を走る教授の所くらいだろう。

 物理的な遮断機能は当然備えている。その上で、光学迷彩と風量調整によってその場に何も存在しない、あるいは観葉植物のように自然な障害物がある、と錯覚させて、そもそも近付けさせない。シャッター解除にも複数の生体認証に加え物理キーが必要になる。暗号パターンも数種類あり、簡単には解析できない。

 単なる1店舗が備えるにしては大仰すぎると思う。いや、一介の客が首を突っ込む話ではないのだけれど。

 それにしたって、標準デバイスで暗号キーを照合させるだけでも充分な気がしてしまう。

 院の関係者ではないナギサさんは電子シャッターの特殊さを知らないから、特に疑問を持たないのかもしれない。それでも普通よりも厳重だということくらいは分かりそうなのに、そういう素振りも一切ない。

 気になったけれど、結局私は黙ったまま、現れた階段へと足を踏み出した。




 階段を下りながらナギサさんが鼻歌を歌い出す。

 私はいつもの如くドアをくぐった時から心地良さを感じている。もうこの不思議さにも慣れてきた。

 暗い店内に入ると、すぐに照明をつけてくれた。ほっと息をつく。

 ナギサさんはカウンターテーブルにぬいぐるみを置くと、そのまま中へと入っていく。

 私がいつもの席に落ち着くと、彼女は足下を覗き込みながら何やらごそごそしていた。


「まだ明るいしソフトドリンクにしましょうか? それともお酒にします?」


 取り出して見せてくれたのはオレンジだった。カウンター内にも冷蔵庫があったらしい。


「いえ。平日は夜に1杯、土日は適当に、って決めているんです」


 アルコールに依存しすぎるのは嫌だ。もちろん楽しんで飲んでいるけれど、人と接する時の煩わしさを減らすためでもある。それは偏に仕事をするためだ。


 私は研究しか能がない。

 幼い頃からそれしか見据えてこなかったから、今更それ以外の道など考えられない。

 人と極力接することなくできる仕事が他にもあるのは知っている。それらを選ばない理由だってある。

 けれど、その理由は結局のところこじつけた言い訳でしかない。単に興味のないことをやりたくないだけだ。興味のない仕事をやる根性がないだけだ。

 だからこそ、あちこち転々としながらもこの業界にしがみつき続けた。

 アツに拾ってもらわなければどこかで限界が来て……さて、どうしていただろうか。研究をやめた自分の姿なんて思い描けない。行き倒れの末路しか想像できない。

 私には研究以外に何もない。

 1つを追求したと言えば聞こえは良いけれど、実態は落伍者だ。

 ただ、客観的に見ればどうしようもない人間だろうと、私は私が嫌いではない。生きにくい性格なのは問題だけれど、結果的に何とかなってここまでフラフラ生きてこられたし、悪くはない。

 だから、私が好きに生きるというのは、言い換えれば、今の仕事をし続けるということでもある。

 好きに生きるための節制はある。

 無駄遣いしない。お酒は飲みすぎない。ギャンブルはしない。どれだけ忙しくても最低限度の掃除洗濯はする。仕事のしすぎで倒れない。多少の人との関わりは覚悟する。

 飲酒の(たが)を外すのは年に数回、片手で足りるくらいでいい。

 それは「人と接する時の煩わしさを減らす」ではなく「とことん楽しむ」のが目的だから。たまに平日昼間からお酒を飲みたいなぁという気分になっても我慢する。

 お酒を飲まずに人と関わって気持ち悪くなるけれど先が長いことと、お酒の誘惑に乗って楽になるけれど先が短くなること、双方の駆け引きだ。

 長く仕事をしたいという理性が勝つことが多いから、今のところ問題はない。


 ナギサさんは、私が昼間から飲まない理由を特に聞いてくることもなく、軽く頷いてオレンジをカットした。

 グラスに注がれたのは100%ストレートオレンジジュース。しかも飾り切りされたオレンジとミントまで付けられている。

 なかなかに贅沢だね。ただ、飾りの皮が少々歪んでいるのが彼女らしい。


「練習を兼ねたものなのでお代は結構です」


 テンシさんを真似たらしい重々しい口調と仕草だ。

 その一言でようやくこれがメニューに載っているドリンクなのだと気付いた。ソフトドリンクのページは今まできちんと目を通したことがない。どんなものがあるのか今度見てみよう。


「さてさて、ではですね、純さん」


 カウンター内には座る場所がないからか、こちらへ出てきて隣の椅子に腰を下ろすナギサさん。

 手にあるのは私のものよりも歪な飾りのついたオレンジスカッシュ。ドリンクまで持参ということは、腰を据えて話をしたいのだろう。


「何で分かったんですか?」


 雄叫びを上げていたのがナギサさんだと気付いた話なのか、彼女の笑顔の話なのか、一瞬迷ってから、


「端から見たら自然な笑顔だと思いますよ」


 と答えてみる。その話ではないと否定されなかったから、そのまま続ける。


「見慣れているんですよ。友人が、他人にばれない作り笑いをいつもしていて。ナギサさんの笑顔は奴のものとそっくりなんです」


 初対面の時から気付いていた。ナギサさんはいつも巧妙な作り笑いをしている。

 本心を覆い隠す笑みは何を言っても変わらず、それはそれで好感を持った。いつでもその笑みを保てるのは高等な技術だと思うのだ。


「そ……え、そ、それで分かるものなんですか? 勘?」


 勘、だね。具体的な物証や明確な指標はない。




 アツと出会ったのは研究生1年目、春学期のテストが終わった直後。

 彼の笑顔が2種類あると気付いたのは、そこから1ヶ月くらい経ってからか。

 気持ち悪くさせない・ならない相手だと分かり、しばらく様子を見て本当に大丈夫だと判断し、むしろ彼が近くにいると妙に落ち着くことに気付き、彼なら普通に接することができると結論付けた、そんな頃だった。


 追加レポートを提出しにきた他の同期。

 彼らと話しているアツを見て、あれ、あの人笑っていないよな、と感じた。

 顔は笑った形になっていたけれど、纏う空気がおかしかった。

 体調が悪いなら約束していた勉強会をやめようか、と申し出ようと決めた。夏休暇の時期だったし、無理する必要なんてなかったからだ。

 私は部屋で1人だらだらするくらいしか予定はなかったけれど、彼が人気者であることはもう分かっていたから、拘束するのも気が引けた。

 荷物を抱え直して彼がやってくるのを見ていたら、私から数メートルの所へ来た瞬間、心からの笑顔になった。

 ほんの僅かな違いだ。

 無理やり挙げるなら、口元の力の入り具合だとか、目の端の開き具合だとか、目の潤み具合だとか、そういう極々些細な部分だと思う。さっきまでの笑顔だって能面のように固まったものではなかったのだから、気のせいだと言われれば反論できない程度の差異だ。

 とにかく彼の体調を確認して、問題ないと分かったからそのまま勉強会を行った。

 さっきの同期とは仲が悪いのかと気になったけれど、そこまで踏み込んだ話ができる間柄ではなかった。同様に、作り笑いについても話題にできなかった。

 それから話をする機会が増えていったけれど、きっかけを失った話題を改めて聞くのは難しかった。

 そのうち、別に誰が損するわけでもないのだから深く聞く必要もないか、と思うようになった。

 そして今に至る。


 笑顔の絶えない好青年は、私の近くに来ると笑顔が消える。

 笑顔が消える代わりに、怒って眉間に皺を作り、驚きに目を見開き、不満そうに口を尖らせて、悲しげに眉を下げて、おどけて頬を膨らませ、そして楽しそうに笑う。

 私が仏頂面を続ける代わりだと言うかのように感情豊かになる。

 もちろん、外行き笑顔の時だって悲しい顔をしたり怒った顔をしたりはする。けれど本質が違うと感じるのだ。

 感情があふれ出ている、そんな風に見えるのは、私の近くに来る時だけだ。本人がどれくらい自覚しているかは分からないけれど。



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