カウントダウン1
居候が決まった私と兄は,言われるがままに荷物をまとめて由利おばさんの家に行った。というより2000年12月29日からそのままお泊りが続いているような状況になっているというのが正しいのだろうか。
2000年12月28日の明け方,母の大きないびきで私は起床した。普段はいびきをかくことのない母であったことから「なんだろう?」と疑問に思った。
すると間もなくして眠ったまま口から泡を吹き始めた。
「いつものお母さんじゃない。」
怖かった。すぐに兄を起こす。2人で母に呼び掛けた。しかし応答がない。そして父を起こし母の元へ来てもらった。
「亜紀!亜紀!」
父が軽く頬を叩きながら母に呼びかけた。やはり応答はない。父は119番通報をすると共に会社の上司に事情の説明と欠勤の連絡をし,その後すぐに友香おばさんと由利おばさんに家に来てもらうよう連絡した。
救急車を待っている間,母の吹いている泡が白から赤に変わった。更に恐怖が幼い兄妹を襲う。怖くて何もできなかった。
通報から約20分後,ようやく救急車が到着し母を搬送した。父も付き添ったため,私と兄は家で待つことになった。この時既に午前5時,冬場だったのでまだ外は暗かった。私と兄は「ウノ」で遊びながら伯母さん達が来るのを待っていた。二人とも何とも言えないこの恐怖感を少しでも紛らわそうと必死だった。
そして朝になり,伯母さん達が家に到着した。
「安心した,もう大丈夫。」
私はホッとした。幼い子どもに大人がいるという安心感は大きかった。
父から由利おばさんに連絡が入り,母は緊急手術となった。父も手術が終わるまで病院にいると伝えたらしい。2人の伯母さんは話し合い,私と兄を父方の祖父母の家(つまり友香おばさんの家)に泊めることにした。
その日の夜は特急列車と車を乗り継いで祖父母の家に泊まった。兄は母が倒れたショックで高熱を出した。
翌29日から由利おばさんの家に移った。当初は母が回復するまでお泊りの予定だった。そのお泊りが10年も続くとはこの時誰が予想できたであろうか。




