第5話 冷媒が伝わらない
よくぞ聞いてくれました姉さん! 心の中でガッツポーズをし、ラナは胸を張る。
「これはエアコンというもので、室内と室外の間で『熱を運ぶ』ことで温度をコントロールしています。この熱を運ぶ役目を果たすのが、配管の中を巡る『冷媒』という物質でして。水が蒸発するときに周囲の熱を奪う打ち水の原理と、気体が液体になるときに熱を出す性質を利用していて、冷媒というのは——」
——と、そこまで口にして、はっと我に帰る。姉さんも双子も困ったような顔をしている。
またやってしまった。
ラナはすぐさま思考を切り替え、どうやって分かりやすく端的にまとめようかと思いを巡らせる。しかし、矢継ぎ早にあらゆる知識が頭を駆け巡り、整理が追いつかなくなる。
いっそこのまま思いつくままに喋り倒そうか。
……いや、だめだ。 このまま話し続けたところで、ソフィア姉さんの白けた視線と、固まる双子の未来の顔が見える。
しばしの長い沈黙のあと、ラナは潔く全ての言葉を飲み込んだ。
「……部屋を冷やします」
「あんた、言語化をあきらめたわね?」
呆れ顔の姉さんと、何のやり取りがされたのか全く理解できず首をかしげるミーナとルーナ。
ふふん、さすが姉さんだ。私の脳内を、見事に理解してくれている。 姉さんは非言語コミュニケーション能力が神がかっている。
姉さん大好きだ! 神様、こんな素晴らしい姉女神にお引き合わせくださりありがとうございます! どのような供物でもお捧げいたします!
「ああ、もう! 顔がうるさいわ!」
暑苦しいラナの視線に鳥肌を立てるソフィア、満悦の笑みを浮かべるラナ、そして戸惑う少女たち。
そんな奇妙な空間に、束の間の平和で穏やかな時間が流れていた。
◇
「ふあぁ……」
小さくあくびが漏れた。 日がすっかりのぼった。
「さて……そろそろ時間かな」
使い古されたエプロンを手に取り、ラナは部屋を出る。けれど、向かったのは作業場ではない。廊下の行き止まり、誰も気に留めない掃除用具入れの裏——ラナだけの秘密の隠れ家だ。
埃っぽい小部屋の奥、そこに鎮座しているのは木枠と魔石で構成された不格好な箱。自家製の通信端末だ。
ラナはダイヤルを回し、あらかじめ登録しておいた協力者たちへ一斉にメッセージを送信する。
『今晩、例の場所に集合。最後の部品を持ってきて』
文字が光となって魔石に吸い込まれていくのを見届け、ラナは小さく息を吐いた。
—— 文明の利器にあふれた記憶を持っていたラナだったが、この異世界には、いくら知識があってもそれを実現するためのインフラが存在しなかった。
この世界には「魔法」という便利な力がある。だが、それを自在に扱えるのはごく一部のエリートだけだ。
一般人が使える魔法など、せいぜい「素材を加工する」「強度を少し上げる」といったささやかなものばかり。
ならば、どうするか? 答えは簡単だ。ひとつの巨大な技術を、この世界の人々が作れるレベルまで細分化し、落とし込めばいい。
「金属板にこの曲線を刻む仕事」「魔石の出力を一定に保つ加工」「風を送り出す筒の鋳造」——。
それぞれ別の職人にわけも分からず作らせたパーツを、最後にラナが自分で組み直す。
その情報伝達のために作った第一弾こそが、この通信端末だった。
口止め料をしっかり払い、厳重に秘密を守らせた協力者たちに配ってある。
これのおかげで、日夜娼館の雑用に追われているラナでも、誰の目も盗んで計画を進めることができたのだ。
そして今夜。ついにエアコンの最後の部品が上がってくる。今日、長年の野望が完成するのだ。
◇
作業場へ向かう途中、ラナはいつものように娼館の経営者である旦那の執務室へ立ち寄った。
「旦那さん、新しい発明買ってください」
「おいおい、相変わらず不躾だな。……で、今度は何を作ったんだ?」
呆れ顔で煙管を吹く旦那。 これまでもラナは、前世の記憶から思いついたアイデアを幾つもこの店に売り払ってきた。
風力を使ったミニ発電機、水流を利用した簡易水洗トイレ……。
あまり目立ちすぎて教会や貴族に目をつけられても困るので、異世界の技術にうまくカモフラージュしながら導入している。
結果として、うちの店に来るお客様は「理由はよく分からないが、なぜかこの店は居心地がいい」と無意識下で私の発明の恩恵を受けていた。
売上は右肩上がりだ。
「今回は『夏が来ない道具』です。代わりに客がわんさか来ます。誰も何もしなくても、勝手に屋敷が冷えるんです」
「……そんな嘘みたいな話が…あるんだろうな。お前が言うならな。で、いくらだ?」
「今夜、材料屋が集まりますから、その材料費と駄賃だけ払ってください。組み立てと設置の工賃は、今回は無料でいいです」
「実費だけでいいってのか? 気前のいいこった。いつもは強欲にふっかけてくるくせに」
煙管を置いた旦那さんが、怪訝そうに目を細める。ラナはニヤリと笑ってみせた。
「今回のは試作品のデモですよ。一台で部屋一つが冷やせます。気に入ったら追加購入してください。そのときは……ガッツリ儲けさせてもらいますから」
◇
その夜。店が本格的に開店する少し前、大広間での組み立て作業が終了した。
「ふぅ……っ!」
額の汗を袖で拭う。 大広間の天井に取り付けられたのは、前世でお馴染みの「カセット型エアコン」だ。
もっとも、知らない者がみれば、ただの凝った折天井の装飾にしか見えないだろう。
外装には美しい木彫りを施し、風の吹き出し口も巧みに隠してある。
内部には職人たちが作ってくれた精巧なパーツと、冷気を生み出す魔石回路がぎっしりと詰まっていた。
ラナは壁に設置した隠しツマミをカチリと回した。
ブルル……と小さな振動の後、天井から勢いよく冷たい風が吹き降ろしてきた。
蒸し暑い熱気が一瞬で吹き飛び、清涼な空気が大広間を満たしていく。
「な……ッ!?」
「冷たい……! 風が、風が冷たいよ!?」
集まっていた店のスタッフや、様子を見に来ていた女達から歓声が上がった。 蒸し風呂のようだった館内に、奇跡のような涼風が吹き荒れている。
ラナは小さくガッツポーズをした。
蒸し暑い夏の夜、冷気を求めてやってくる客で、今夜からの売上は間違いなく跳ね上がる。店の評判もさらに高まるはずだ。
それに——何より。
◇
翌日。 激しい夜の営業が終わり、女たちが仕事を終える頃合いのことだった。
「……いたわ」 「逃がさないよ……」
ラナの部屋の前には、どろどろに溶けたゾンビのような女たちが大挙して押し寄せていた。 その渦中には、青ざめた顔の女将と、目を血走らせた旦那の姿まである。
昨夜、大広間の天国のような涼しさを味わった後、己の狭く蒸し暑い自室に戻された者たちの末路がこれだった。
彼らは完全に、あの魔の「エアコン」に取り憑かれた亡者と化していたのだ。
「お願い……私の部屋にもあの箱をつけて……お金なら出すから……!」
「私のも! 頼む、このままじゃ暑さで死んじまう!」
「おい、まずは俺と女将の部屋だ! 予算ならいくらでも出す!」
ひれ伏す大人たちを見下ろし、ラナは口角をフッと上げ、最高の営業スマイルを浮かべる。
「毎度ありー! 」




