第26話 4人部屋
昼下がりの黄金宮。
いつもならノアが去った後はしんと静まりかえっていた離れが、今日は賑やかな声に包まれていた。
一階の客室には、四人分のベッドとそれぞれの棚、机が用意され、部屋の中央にはダイニングセットが置かれている。
4人の妹たちは黄金宮へやってくると、見るものすべてに歓声をあげ、好奇心旺盛にあちこちを見て回っていた。
「二階には上がらないように」と伝えて、ようやくこの部屋に落ち着いたところだ。
各々が私物を棚に納めると、妹たちは興奮冷めやらぬ様子で目を輝かせ、鼻息荒く寄ってきた。
「ラナ姉様! 私、ラナ姉様のようになりたいのです!」
「そうですわ! 一夜のうちに水揚げと同時に黄金宮をお開きになるなんて、未来永劫語り継がれます!」
あまりに純粋に持ち上げてくるので、「あとで真実を知ったらがっかりさせてしまうんじゃないか」と、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「あんたたち……私が裏で『グラン・トロフィー(虚構の置物)』ってバカにされてるの、知らない?」
自嘲気味に笑いながら、「ごめんね、夜のお稽古はダイアナ姉さんについてもらうよ」と告げると、妹たちは首を激しく横に振った。
「何をおっしゃるんですか! ラナ姉様はその圧倒的な教養と愛らしさで、あの公爵様を虜にしていらっしゃるんですわ!」
「そうです! あんなのただの僻みやっかみです!」
すると、少し不器用なアビーが、頬をぽっと赤らめながら控えめな声で口を開いた。
「私……決めているんです。最初はお金にならなくても、おしゃべりだけで来てくださるお客様を探そうって」
独特の間を置いて、言葉を続ける。
「その間はきっと借金ばかりが増えて……そのままだったら、死んでも返せない額になってしまうでしょうけど……」
「アビー……」
「それでも『おしゃべりが楽しい』と言ってくださるお客様を増やして、いつかラナ姉さんのように、おしゃべりだけでコルチザンになるんです……!」
無邪気に、けれど真っ直ぐに夢を語る妹分を見て、胸の奥がじんわりと熱くなった。
──そう。
同時に、胸が潰されそうになる。
ラナがかつてソフィアを熱い眼差しで追っていた時と、まったく同じ目。
だが、ラナの前には憧れのソフィアがいないのだ。
時折こうして、猛烈な悲しみの波が襲ってきた。
◇
二階の机で書類を片付け、首を回していると、ノアが言った。
「……明日の昼間、新しい衣装屋が来る。この離れにも挨拶に来るそうだから、入り用のものを決めておけ」
あの一件で、ジャンが婿入りするはずだった商家と繋がっていた衣装屋たちは、一斉にサロンとの取引を打ち切っていた。
そこでノアが新しい業者を手配してくれたのだ。
「──はい」
◇
ラナは暗闇の中にいた。
どこからか、地獄の底から響くような呻き声が近づいてくる。
ぬらりと水に濡れた若紫色の長い髪が這うように地面から伸びてきて、ラナの足首を冷たく絡めとった。
ぬっと突如現れた青白い手のひらが、ラナの首元を固く掴みつける。
その濡れた腕の片方には、痛々しい心中立ての傷跡が刻まれていた。
呻き声は徐々に大きく、はっきりとした怨嗟の声へと変わっていく。
『なぜ、私の場所を奪ったの!』
『何の苦労もしないで!』
『初夜の苦しみすら、知らないくせに——!』
——ラナ!!
「ラナ!」
「っ……!」
はっと目を開ける。
そこは黄金宮の二階の部屋で、ノアがラナの肩を強く揺すり起こしたところだった。額には嫌な汗が滲んでいる。
「すいません……あれから、よく見るんです」
荒い息を整えながら、擦れた声で呟いた。
「姉さんの……悪夢を……」
「——そうか」
ノアは静かに、けれど深く痛むような眼差しで、ラナの顔を見つめていた。
◇
翌日。
ノアを見送り、妹たちが稽古に出払った頃。
初老の男と、マントを羽織り深くフードを被った人物が離れを訪れた。
「トマス商会のトマスにございます。ご挨拶に伺いました。……後ろに控えますのは手伝いの者にございますので、お気になさらないでくださいませ」
「……そう」
(──と言われて『そうですか』と納得する人間が、人類の何%いるのかしら。いかにも『正体を明かせません』という風体で入ってきて、気にしない方がおかしいわ)
気にしないフリをしてテーブルへ案内する。
「お茶を淹れますね」と言って衝立の奥へ引っ込むと、ラナは隙間からその人物の様子を窺った。
彫りの深い顔立ち。透き通るような肌。深く目立つ涙袋。すっと通った鼻筋。
究極とも言える目鼻の黄金バランス。
フードから少し漏れる長い髪は黄金色の童色をしている。
長い首筋。すらりと高い長身と、袖口から少しだけ覗く細く締まった腕。
そして──何よりも、その『青い瞳』だ。
遠く全てを見透かしたように見据える、けれど世界に挑むような……人の頂点に立つ者だけが持つ瞳。
(……この人を、知っている)
ドクン
心臓が跳ねる。
みぞおちをぎゅっと鷲掴みにされるような異様な感覚。
全身が総毛立つのがはっきりわかる。
瞳の色も、隙間から覗く髪の色も、全く違う。けれど、ラナの本能が、魂が、確信している──。
ガチャンッ!
手にしたティーカップが床へ落ちて割れるのと同時に、ラナは衝立を荒々しく押し倒した。
「───ソフィア姉さん……っ!?」
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11月7日の三十日月の出る頃に、本作は完結を迎えます!ぜひ最後までお付き合いください。




