第27話 美人特区
正気を失っていたのかもしれない。
叫び出したいような、抱きしめたいような猛烈な衝動に突き動かされ、伸ばした両手でその肩にしがみつこうと一歩を踏み出す。
「お控えください、ラナ様!」
すかさず、トマスが素早い動作で間に入り、ラナの体を制止した。強い力で拒まれ、ラナははっと我に返る。
トマスは深々と頭を下げつつも、その目は油断なくラナを鋭く見つめていた。
「ご覧の通りラナ様と同じく金髪に青い瞳の童色をしておりますが、これでも年頃の男でございます」
「黄金宮におわしますグラン・コルチザンが外部の男と会話や接触をすることは固く禁じられております」
「たとえ私どものような裏方の者であっても、手落ちがあれば公爵様のお耳に入り、私ども全員の首が飛びかねません」
静かながらも固いその窘めに、ラナは体の芯から冷や水を浴びせられたような感覚に襲われた。
「……取り乱しました…」
ラナは震える声をなんとか繕い、引き下がった。
だが、心臓の音は鳴り止むどころかどんどん早くなる。呼吸の支配を全て奪われて、乾いた風だけを送られ続けるような感覚。
男が注文の確認を読み上げるのも全く耳に入らず、ラナはトマスの背後に隠れるように立つこの人物から目が離せなかった。
(引き下がるわけにはいかない。これが誰なのか、なぜこれほどまでに姉さんに似ているのか、確かめなければ)
男が帳面に文字を書き走らせるほんのわずかな隙。
その目を盗み、ラナはその人物に向けて視線を送った。
身振り手振りと切実な視線だけで、必死にメッセージを伝える。
——あとで、屋敷の境界にある鉄柵で会おう。
ラナの狂気すら孕んだ真剣さに気圧されたのか、その人物は男の背中でごく小さく、誰にも気づかれないように顎を引いた。
「……では、本日はこれで失礼いたします。仕上がりは後日」
パタリと襖が閉まり、静寂が訪れる。
ラナは胸を押さえ、荒い息を吐き出した。冷たかったはずの血が、激しく体中を駆け巡っていた。
◇
黄金宮の勝手口の扉がゆっくりと小さくきいと音をたててあいた。
あたりを確認し、人目につかない通りを慎重に歩く。
ラナは走りたい気持ちをぐっと抑え込んだ。
ゆっくり歩いて気持ちを落ち着け、取り乱さないように、冷静に頭を整理した。
(——場所は伝わっただろうか。でも、姉さんならこの場所を知っているはず)
何で? どうして……? 会いたかった、ずっと会いたかった。
もし面と向かってまた会えたら、きっとまた私は姉さんにすべて甘えてしまって、大事なことの一言も言えずじまいになってしまう。
(絶対に言いたいことは何? 一つだけ聞くとしたらなにを聞く?)
胸の奥から湧き上がる感情の波が、今にも溢れ出しそうになるのを必死に堪えながらラナは歩き続けた。
レンガ積みの大きな柱が等間隔に配置された、庭の最果ての境界線。
柱と柱の間には、高くそびえる鉄柵が巡らされている。
本館から離れた寂れた庭の隅は、外界と接するあたりが少し藪になりかけており、薄暗い静けさに包まれていた。
——まだ来ないか。
「ふぅ……」
深く息をつく。ようやく、まともに呼吸ができたような心地がした。
その時──ガサリと、枯れ草を踏みしめる音がした。
レンガの柱の陰から、あの人物がゆっくりと姿を現す。
すると、おもむろに被っていたフードを下ろした。
さらり、と。
細く長い絹糸のような、息をのむほど美しい金の髪が溢れ落ちた。
高く昇った日の光と秋の穏やかな風を受け、絹布がはためくように眩しく髪が揺れている。
──そこに立っていたのは、まばゆいばかりの『少年』だった。
その姿形は、ソフィアとはまったく異なる人間であることを明らかに示していた。
鋭い眼光が、真っ直ぐにラナを見つめている。
その静かな佇まいは、間違いなく『ソフィア姉さん』そのものだった。
言葉を失い、しばらくの間、互いに無言で見つめ合う。
すると不意に──少年が、ニカッと笑った。
太陽の光にも負けないほどの屈託のない溢れるような笑顔で、ぐいっと鉄柵に近づくと、隙間からするりと手を伸ばしてきた。
「え……?」
反射的に差し出してしまったラナの手をそっと取ると、少年はうやうやしく手の甲に唇を落とした。
──えっ!?
まったく予想外の行動に、頭が盛大にパニックを起こす。
(な、何この人……!? これで姉さんでないなら、この所作の美しさは何者!?)
子どものような無邪気な笑顔のあとに、こんな小悪魔的な色気を振り撒かれたら脳がバグを起こす。
(ね、姉さん……? ジェンダーを超えて、究極の手管を土産にカムバックした姉さんですか……!?)
脳内で大パニックを起こしているラナに対し、少年は口を開いた。
「ラナちゃんっ!!」
それが、少年の第一声だった。
少し空気を多く含んだ、囁くような透き通る甘い声。
「ラナちゃん可愛いね!!!
ーん?
「なんで呼んでくれたの?
こんな人陰に呼び出されたら、俺、ドキドキするー!
呼んでくれてすごーい嬉しんだけど!!」
ーん?
「俺ね、可愛い女の子大好き!!! 」
「────────え?」
思考が完全にフリーズする。
「なんかさ、可愛い子って特別な栄養素を発してるんだよね! わかる?!」
目の奥の真剣な熱量で、しっかりとラナをロックオンして離さない。
「俺ね、いつか『美人特区』を作りたい! 世界中の美女だけを集めるの!」
「あ!!!!」
一際大きな声を上げられ、思わず肩がビクッと揺れた。
「ここのサロンも『美人特区』じゃん! いいな!!!通いたい!! あははははっ!!」
(……かっっっっっる!!??)
ラナは身体中から、一気に血の気が引いていくのを感じた。
あ、これ。
全然ソフィア姉さんじゃない。
全っっっっっ然、ソフィア姉さんじゃなかったわこれ!!!!!
言い終わった少年の顔を見る。
満足そうに口角を上げてこちらを見つめ、「ん?」とほんのわずかに首を傾げるその様子には──ソフィア姉さんの面影など微塵も無かった。
(……姉さんじゃない……)
改めて心の中で言葉にした瞬間、頭を激しい衝撃が突き抜けた。
あれはソフィアへの執着が生み出した、一瞬の幻影だった。
ラナの強い思い込みが、無関係な少年の姿に無理やり重ね合わせてしまっただけだ。
「……っ、ああ……」
『姉さんではなかった』という残酷な事実が、冷たい刃となって胸をえぐる。
まるでソフィアを、もう一度目の前で失ったかのような絶望が津波のように押し寄せてきた。
姉さんはもうどこにもいない。この世界のどこを探しても、あのアザミのように美しい人は存在しないのだ。
その事実に耐えきれなくなり、ラナは鉄柵にしがみついて、その場に崩れ落ちた。
目からボロボロと溢れ出す大粒の涙が、ドレスの袖を濡らしていく。
「えっ……!? ちょ、ちょっと、なんで!?」
さっきまで陽気に笑っていた少年は、周囲をキョロキョロと見回し、何かに助けを求める。
「どしたー!? なに、悲しいことあったの? 聞くよー?」
少年は少し困った顔をしながらも、鉄柵のすぐ近くにある苔むした大きな石に腰掛けた。
◇
完全に気が動転していたラナは、もう何も隠すことができなくなっていた。
前世の記憶のことこそ伏せたものの、自分がこの娼館の最底辺で生まれ育ったという生い立ちから、実の姉のように慕っていたソフィアへの強い憧れ、そして彼女が毒のような恋に狂い、命を落としてしまった絶望の真実まで──。
果ては、公爵の冷酷な態度から激甘執着に変貌するまでをも、溢れ出す涙とともに胸に溜め込んでいたあらゆる感情を、隠すことなくすべて吐き出してしまった。
話している間、少年は茶化すこともなく、ただ静かにラナの言葉に耳を傾けていた。鉄柵を隔てたわずかな距離で、風が藪の小枝を揺らす音だけが響く。
「……だから、姉さんが戻ってきたのかと思って……ごめんなさい、変なことをして」
すべてを語り終える頃には、空はすっかり茜色に染まり、端には濃紺の夜が現れていた。
「……そっか。大変だったね」
少年は石から立ち上がると、ズボンの汚れを払った。その瞳には最初に出会った時の軽薄さはなく、どこか大人びた温かみが宿っていた。
「……また聞きに来るよ」
少年は夜の闇に溶け込むような優しい笑顔を浮かべ、夕闇の街中へと消えていった。
残されたラナは、冷たい鉄柵に額を預け、彼が去っていった夕闇を見つめた。
胸の奥の曇天が、少しだけ晴れたような気がした。
◇
サロンから死角になる角まで曲がったところで、少年を近衛騎士たちが取り囲んだ。
「待たせたな」
「はっ」
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11月7日の三十日月の出る頃に、本作は完結を迎えます!ぜひ最後までお付き合いください。




