第24話 女傑
「……皮肉ですかね」
ラナは自虐的に口元を歪めた。
「私がなんて呼ばれているか知っていますか? 『グラン・トロフィー』。虚構の置物です」
「それがどうした」
女将さんの声が低く響く。
「お前が過ごすあの『黄金宮』が開かれたのは、もう五十年以上も前の話だ。どこぞの国王がこのサロンの娼姫にいれあげて作った離れだよ。」
「その栄華をたたえて『グラン・コルチザン』という称号が作られたのさ」
「初代グラン・コルチザンは……国を揺るがすほどの身請け金で妃に迎えられたあと、『王妃の称号を得たから、もう用は済んだ』って、すぐに離縁を叩きつけた女傑だったって話だよ」
女将は立ち上がり、ラナをまっすぐ見つめた。
「自分の力だろうが無かろうが、お前はあの黄金宮を再び開かせたんだ。妹分たちはお前を見て育つんだよ。……泣き言言ってないで、気を張りな」
「……はい」
ぽっかりと、心は暗い大穴を開けたままだ。
でも──女将がラナを立て直そうとしてくれていることだけは、はっきりと理解できた。
◇
気づくと、ラナは牢の冷たい床で眠ってしまっていた。
ガチャリと静かに鍵が開く。
女将が鍵穴から鍵束を引き抜きながら扉を開け、脇に控えると──ノアが入ってきた。
ノアは言葉もなくラナをそっと横抱きにすくい上げると、女将に目礼をし、牢をあとにした。
◇
「……姉さんには、心底失望しました」
離れへ戻る道中、ラナはノアの腕の中でポツリポツリと呟き始めた。
「姉さんはバカです。」
「所詮、ただの愚かな女でした。」
「妹分たちの世話代も、散々飲んだ酒代も踏み倒して逃げるなんて、情け無い。」
「あんなに優しいジェファーソン様を袖にするなんて、人の心もない鬼です」
思いつく限りの罵詈雑言を口にした。
一言吐き捨てるたびに、ノアは静かに「そうだな」と答えてくれた。
離れの二階。
色調を抑えた重厚感のあるベッド。深い青の寝具が濃色のマホガニーの家具と調和した静寂の空間。
ベッドの端に腰掛けたノアは、片側だけあぐらをかくようにして、ラナに触れないギリギリの距離で背後からラナを包み込んだ。
ラナのこめかみのすぐそば、吐息がほんのり届くか届かないかの距離に顔を寄せ、優しく、伏せがちな視線をまっすぐにラナへ注いでいる。
「……だいたい、あの衣装屋がいけないんです。姉さんに粉をかけておきながら婚約なんかして……おまけに駆け落ちだなんて、中途半端がすぎるんです……!」
「そうだな」
「あいつがヘマをしなかったら、もしかしたらまだ──。……そうだ、本当はまだ死んでいないのかも! あの晩は月も細くて、ほとんど光もありませんでした。憲兵も二人の姿を見たけれど、飛び込むところを実際に見たかどうか……! そ、そうだ、公爵様も昨夜姉さんに会いましたよね!? 実は何か相談されたんじゃないですか……!? それでうまく逃げおおせるよう手引きなさって──あの遺体はどなたか誰か別の……!」
救いの幻想が見えて、ラナの心が異常に昂揚していく。
見開いた目に狂気が宿るのを見て、ノアは後ろからそっとラナを抱きすくめた。
「……何もしていない」
低く、けれど容赦のない現実が降ってくる。
「あの晩は王城に呼ばれていたのだ。
……一緒にいてやれなくて、すまない」
心に怪しく立ち込めていた紫の霞が、じわじわと真っ黒な淀みに色を変えてゆく。
ノアは上着から何かを取り出し、ラナの前にそっと差し出した。
「……あの晩、預かった。『今晩』私から渡すようにと」
それは──精緻な意匠が施された、白いビーズの髪飾りだった。
「……これ、きっと大昔にジャンが姉さんに贈った髪飾りです。とっくの昔に処分したんだろうって。……姉さん…ずっと、ずっと秘め続けて……っ」
姉さんからの餞別だと悟った。……姉さんはもう帰らない。
震えて途切れ途切れになるラナの声。
時折過呼吸を起こし、まるで自分のものではないような高い音が口から漏れる。
次の言葉を継ぎたいのに、息を吸っているのか吐いているのかすら分からなくなる。
「……私、まだ分からないんです。なんで皆、恋なんて……こんな……姉さんみたいに強い人だって身を滅ぼしてしまうのに……!」
溢れ出す嗚咽に、身体がガタガタと震える。
「私、怖いんです。女達の命を奪って……私の世界も奪おうとして…!」
ばっと顔を上げる。
「こんな恐ろしいものに囚われたくない……!」
ノアは静かに、まっすぐラナを見つめた。
絶対的に受け入れてくれると一目で分かる、優しい目。
何を言ったとしても許してくれる眼差しだった。
──ノア様、どうか……。
私に心を寄せてくれたように見えたのが、ただの私の思い上がりであって下さい。
このあとも何事も無かったかのように、私を甘やかし続けて下さい。
でなければ、私の言葉はあなたを傷つけてしまうから──。
「……私、恋なんてしません……!」
「──そうだな」
その言葉を聞いた瞬間──堰を切ったように、あらゆる感情が押し寄せてきた。
「わああああああああっ……!!」
手から落ちた髪飾りなんか気にも留めず。
ラナは両手でその大きな胸にしがみつき、なりふり構わず、子供のように大声を上げて泣き叫んだ。
ノアはラナの震える体をきつく抱きしめ、静かに呟いた。
「お前が恋をせず、生涯色を変えないというのなら──私は生涯、お前を買い続けよう」
激しい泣き声にかき消され、ラナにその声が届いていないことを知りながら。
◇
──私は姉さんみたいになって、姉さんに「やるじゃないって」褒めて欲しかった。
でも、もう、それは叶わない。
──もう姉さんはいない──。
★最後までお読みいただきありがとうございました!
本編で第一章が完結です。
引き続き第二章をお楽しみください!




