第22話 日本刀
酒の勢いを借りて、ソフィアは公爵を煽り立てた。
「腑抜けた駆け引きごっこを、この戦場に持ち込まないでほしいもんね。」
沈黙を続ける公爵に、ひるまずぐいっと顔を近付ける。
(芝居で惚れた振りですって?そんな役者には見えないわよ。)
「冷酷と謳われた公爵様にしちゃ、随分甘ちゃんね!」
言いたいだけ言い終えると、ソフィアはふぅと息をついて長椅子に腰掛けた。
ノアはラナに気を利かせ──あるいは逃げるように──ラナに向かって無言で頷くと、静かに部屋を出て行った。
ソフィアはそのままラナのベッドに倒れ込む。だいぶ酒が回っていた。
(ラナのベッド……持ち主を追い出しちゃダメね)
ベッドのスペースをぽんぽんと叩くと、ラナはいそいそと腕の中に収まった。
ラナを抱き枕のように羽交い締めにすると、華奢な体と、その温もり。上質な寝具の香りや手触りに、難しい思考がどんどん吹き飛んでいく。
ただ皆、それぞれ一生懸命に生きているだけ──。
そう自分に言い聞かせるうちに、ソフィアは深い眠りへと落ちていった。
◇
ふと物音に目が覚めると、ノアが部屋に上着を取りに来たところだった。
「すぐ出る。……呼び出しがあったのでな」
すぐに踵を返そうとするノアを、ソフィアは呼び止めた。
「……これを明日の夜、あの子に渡していただけますか?」
差し出したのは、昔ジャンから贈られた髪飾りだった。
直接渡すのではなく、『明日の夜』自分から──?
ノアは、ソフィアの真意を推し量るように真っ直ぐにソフィアの瞳を見据えた。
静寂が部屋を支配する。
しばらくの沈黙ののちノアは黙って頷き、
ソフィアの手を取ると、そっと指先に口付けた。
そして髪飾りを受け取って部屋を出ていった。
ベッドを見やると、目をつぶったラナが「うーん、うーん」と唸っている。
悪夢でも見ているのか、それともまた突拍子もない発明でも考えているのだろうか。
窓の外には、美しい極細の月が出ていた。
光っていない影の丸い部分が、藍色を帯びた上品なベールをまとったように浮かび上がっている。
眩く黄金に輝く三日月が少し外側に膨らんで、まるで黒い月を優しく抱きかかえるかのように静かに佇んでいた。
窓辺に腰掛け、そっと窓を開ける。
心地よい夜風が頬をなで、髪を優しくすり抜けていった。
シャープな弧を描く金色の月。触れれば切れてしまいそうなほど鋭い、その端。
濃い群青の静かな空に眩く光る月は、ソフィアの心を丸裸にし、本心の──本能の部分まで剥き出しに晒してくるかのようだった。
風の動きを察したのか、ラナが上半身を起こし、寝ぼけ眼でこちらを見た。
「……姉さん、綺麗です」
思わず、くすりと笑みがこぼれた。
ソフィアの心の中は驚くほど澄み渡り、綺麗に見通せた。
(……よかった。私、この子を憎む気持ちなんてこれっぽっちもない)
ただただ、可愛いだけだ。
これが自分の本音なのだと分かり、心の底から救われた気がした。
「──恋してるからだよ」
おやすみ、と心の中で呟くと同時に、ラナは再び満足そうに布団の中へと潜り込んでいった。
◇
夜が明けきらない、漆黒の街。
ソフィアは走っていた。
あの衣装屋の青年と、固く手を繋いで。
もう、二度と振り返らない。
私は二度と──あの娼館には帰らない。
◇
ノアはソフィアに追い出されるようにして部屋をあとにし、ラウンジのソファに腰掛けた。
そこへ、タイミングを合わせたかのように城からの伝令がやってきた。
王城の大広間――。
幾重にも並ぶ純白の列柱と、重厚な彫刻が並ぶ荘厳な空間の奥、一段高くなった王座に、その人物は腰掛けていた。
長い金の髪に、透き通るような青い瞳を持つ美しい少年。
だがその鋭い眼光は、降り立った若い鷹のように獲物を冷たく射抜いている。
「急な呼び出しを許せ、ヴァルハイト。……まさか私の妃を、色変わりを待たずに奪う気ではあるまいと思ってな?」
王座からノアを見下ろし、王子が薄く笑みを浮かべた。
「お前の忠誠を疑い、口さがなく噂するものたちがいるのだ。案ずるな、私が彼らを制する。だからお前も少し協力してくれ」
ノアは無表情のまま、静かに礼をとる。
「あの魔物の討伐のことだがな……随分と早く戻ったものだな。お前の手腕をもってしても、あれの討伐には1か月はかかると思ったが」
「サロンに何者かが侵入を画策している動きがありましたので。王太子殿下へのお目見え前に何かあっては困ります。急ぎ片を付けて戻りました」
王子は、公爵の腰に挿された刀に視線を落とした。
「……『日本刀』といったか」
ノアの瞳が、ピクリと動く。
「魔の巣窟を、わずか3日で攻略せしめたという『新兵器』だな」
「……」
王子は公爵に向けて、黙って手を差し出した。
その瞬間、ノアの群青の瞳の奥に、うっすらと怒りの色が浮かぶ。 視線と視線が、空間で鋭くぶつかり合った。
「……これへ」
王子の静かな命令に、公爵は腰から日本刀を抜き取ると、膝をついて王子の前に差し出した。
(入れ揚げているという噂は本当のようだな)
王子はノアの殺気めいた視線を愉しむように受け止めながら、手にした武器を弄ぶ。
「これを、どうした?」
「……かの方は大変に機知に富んでいらっしゃいます。そのお力にて」
「……」
(誰も思いつきようがない代物だ)
王子はふっと表情を消すと、王座の背もたれに深く体を預けた。
「私の未来の妃のことだがな。……連れてまいれ。ここへ」
「……なりません。いくら殿下の仰せであれ、娼姫を王城へ登城させるなど許されません」
「では、私が出向くとしようか」
「館は厳格に管理された区画です。殿下といえど安易に入ることはできません」
「妙なことを言う」
「……あの館には治外法権が敷かれております。王命すら及ばぬ場所です。私の非力な力など到底及びません」
「……」
ストレートに独占欲を露わにするノアの姿に、王子の瞳が愉悦に揺れた。
(これは……実に面白くなってきた)
「……買う、と言っているのだ。私がな」
ノアの目が、見開かれる。
「お前は手を出すわけにはいかんだろうがな。私は違う。いずれ私の妃になるのだからな。輿入れ前に事に及んだとて、何の問題もあるまい」
怒りでノアの顔に一気に血が上る。
鋭い殺気が、大広間の空気を氷点下まで凍りつかせた。
「……『色変わりまでの保護を求める』との遺言をお忘れですか」
「保護というのは、不埒な輩からの事だろう。よもや、嫁ぐべき私の事をも含むまい」
王子は優雅に口角を上げた。
「それとも……『身請けされたい相手はお前なのだ』と、泣いて許しを乞うかな?」
ノアは刃のような視線で、王子を強く睨みつけた。
「あの娼館のルールは絶対だったな?」
王子は冷ややかに畳みかける。
「約束された金額の『三倍』を支払えば、水揚げ客から横取りができる決まりがあるそうだな。お前のつけたあの額だ。三倍を払うとなると国民が騒ぎだしそうだ」
王子はゆったりと立ち上がる。
刀を鞘へ収めると、返す素振りもなく、当然のように自らの腰へ差した。
「何とか、口を利いてもらえると助かるのだがな?」
ノアは何も言わず、ただ拳を白くなるほど強く握りしめた。
◇
朝日の指す黄金宮の二階の部屋。
静寂を切り裂いて、離れの分厚い扉が荒々しく開け放たれた。
「な、なに……!?」
驚いて跳ね起きたラナの視界に飛び込んできたのは、息を激しく切らせた双子だった。
顔を青ざめさせ、膝をガクガクと震わせている。
二人は掠れた声を絞り出し、絶望に満ちた目でラナを見つめた。
その眼光の暗さに、ラナの背筋を冷たい空気がすっと走り抜ける。
「ソフィア姉様が……」
「……え?」
意味が、分からなかった。
二人はラナに、こう言ったのだ。
──ソフィアが、死んだ。と。
死んだ?
誰が?
ソフィア姉さんが……?
◇
美しい極細の月がでていたあの晩。
首骨を軋ませる強い力に、私は息ができずに苦しんでいた。
視界を塞ぐ暗闇の向こう、私の首を絞めていたのは──ソフィア姉さんだった。
振り乱した髪、血走った目、鬼のように歪んだ美しい顔。
『クソガキ』
『何故私の場所を奪うの』
『何の苦労も知らないで』
醜い嫉妬と憎悪の毒を撒き散らしながら、私の首を折らんばかりに力を込めてくる。
「姉さん……やめて……っ!」
幼い頃から憧れ続けた、あの気高く綺麗な人が、怨念の塊となって、私を殺そうとしている──。
「ッ───!?」
ヒッと短い悲鳴を上げて跳ね起きた時、私の全身は嫌な汗でぐっしょりと濡れていた。
震える手で首筋に触れる。皮肉なほど、傷も痕も残っていない。
ふと横を見ると、隣にいたはずの姉さんの温もりが消えていた。
焦って部屋を見渡すと、ソフィア姉さんは静かに窓辺に腰掛けていた。
(……さっきのは、夢? …それとも……)
夜風を受けて佇むその横顔は、今にも夜空に溶けて消えてしまいそうなほど儚く、息をのむほど美しかった。
夢の中の鬼の形相など、幻だったと思わせるほどに。
うなされていた恐怖も忘れ、ラナの口からは勝手に言葉が漏れていた。
「……姉さん、綺麗です」
吸い寄せられるように呟くと、ソフィアはゆっくりと振り返った。
ソフィアは──ラナが今まで見てきたどの微笑みよりも甘く、切なく、眩ゆいばかりに神々しく美しい笑みを浮かべた。
「──恋をしているからだよ」
◇
──それが、生きているソフィア姉さんを見た、最後の姿だった。




