第14話 激甘公爵
ヴェルヴェット館の朝は、午前7時を過ぎたあたりから始まる。
泊まり客の見送りだ。
客との関係性によって、門まで出て見送ることもあれば、部屋から出ずに見送りすらしないこともある。
要するに、仲睦まじい客とコルチザンほど見送りの距離が長くなるのだ。
門までの見送りは、「特別に親密である」ことの証明。
そして——ラナは、これまで玄関を出て見送ることすら許されていなかった。
そう、以前までは。
黄金宮の重厚で豪華な大扉が、従者の手によって静かに開かれる。
ノアはラナの肩を優しく抱き寄せ、まるで額に口づけを落とすかのように頬を寄せた。
二人並んで、表の空気の中へ踏み出す。
ちょうど本館の方では、ダイアナと、その取り巻きたちが客の見送りを終えて門から戻ってくるところだった。
その中に一人、異様な目つきでこちらを睨みつけている人物がいた。
顔の上半分をドス黒く影らせ、目をギラギラと光らせている。
——カーラだ。
あからさまなカーラの嫉妬に、ラナの性格の悪い部分が首をもたげる。
「ノア様、埃が」カーラに聞こえないような囁き声で言うと、ラナはわざとらしくノア公爵の首に両腕を回した。
ふふん。
あの角度からなら、まるで熱烈なキスをしているように見えているはずだ。
すれ違いざま、ダイアナはほんの一瞬だけラナを一瞥すると、公爵へ静かに目礼した。
妹たちも続いて丁寧に礼を捧げる。
ただ一人、カーラだけがラナを射殺さんばかりの眼光で睨みつけながら通り過ぎていく。
(いい!これはいい!!)
横目でそれを受け止め、目が合った瞬間、ラナの優越感は最高潮に達した。
——ニヤリ。
きっとラナはとてつもない嫌らしい顔をしていたに違いない。
その一部始終を、ノアは頭上からじっと見ていた。
彼は状況をすべて察すると——グッと腕に力を込め、ラナを強く、熱烈に抱きしめた。
「ラナ、いつになったらお前の心をくれる。一言俺を欲しいといえば、身も心も捧げ、今すぐにでも奪い去ってやるものを」
すれ違いざまのダイアナたちが顔を真っ赤にして一斉に勢いよく振り返った。
熱を帯びた妖艶な瞳で、ラナを真っ直ぐに見つめるノア。
彼はラナの頭を優しく手で支え、もう片方の腕でラナの体をぐっと絡めとる。
息が詰まるほどの力で抱き寄せられ、頬と頬がぴったりと密着した。
彼の熱い吐息と唇が、ラナの首筋に触れそうなギリギリの距離まで迫ってくる。
あまりの光景に、周囲にいた誰もが息を呑み、固唾をのんで様子を伺った。
一転。 周囲には聞こえないほどの低く冷ややかな囁き声が、ラナの耳元だけに落とされた。
「——よそ見をしていると、危ないぞ?」
「……っ!?」
一瞬で背筋がゾクゾクと痺れる。
ラナを完全に翻弄したあと、ノアは門の前で後光が射すような神々しい笑顔をラナに向けた。
そしてそのまま洗練された美しい所作で馬車へと乗り込み、颯爽と去っていった。
顔を真っ赤にして固まってしまったラナが、いつまでも1人そこに取り残されていた。
その後ろでは、当然のごとく嫉妬と屈辱に震えるカーラが、地団駄を激しく踏み鳴らしていたのだった。
◇
庭園に面した、門まで見渡すことのできる本館のバルコニー。
そこに全ての様子を見ていたもう一人の人物がいた。
手すりに手をかけ、馬車の窓から見える公爵の横顔を遠くからじっと見つめていたのは、ソフィアだった——。
◇
あの宣戦布告の夜から数日たった。
「……ノア様」
「なんだ? 愛しい私の小鳥」
そう言って、彼は意地悪く微笑む。
あの夜からのノアの甘やかしぶりは、異常だった。
届くのは、彼と同じ群青──ヴァルハイト・ブルーの宝飾品や豪華な衣装、そして部屋を埋め尽くすほどの花々。
おまけに、この人の美貌が質の悪い毒のように効いてくる。
気怠げに服を緩め、ほんの少し胸元をはだけてみせたり。
湯から上がり、濡れ髪のまま出てきては、首筋をつたう雫をこれみよがしに見せつけてきたり。
(……し、刺激が強すぎる……!)
「小鳥」と呼ばれるたび、背筋がムズムズする。
ソーレに同行する機会のなかったラナは、客の男と親密に接した経験がほとんどなかった。
だから免疫がゼロなんだと、ラナは自分を納得させるのだった。
◇
ヴェルヴェット館のソフィアの部屋。
そこはラナにとって唯一、『酸素』の満ちた場所だ。
近々、ソフィアの唯一の馴染み客であるジェファーソンがやって来るらしい。
先触れと共に届いた豪華な花々と高級菓子のご相伴に預かり、ラナたちは賑やかなティータイムを楽しんでいた。
「ジェファーソン様は私達にも気さくに接してくださるので大好きなんですの」
「私は毎度のお手土産に持ってきてくださる金平糖が楽しみで!」
ミーナとルーナが無邪気に頬を緩ませる。
「そういえばソフィア姉さん、この前の定期検診はどうでした?」
「別に。……酒は飲んでも飲まれるなって? 飲まれない酒を飲むことに何の意味があるってのかしら」
ソフィアはプイと素っ気なく顔を背けた。
するとミーナが、ひそひそ声で私に耳打ちしてくる。
「(実は姉様、まだお若いのにお医者様に肝臓の数値を注意されていらっしゃったんですのよ……)」
「こら。余計なことを言うんじゃないよ」
ジロリと睨みつけるソフィア。
ソフィアの唯一の弱点、それはお酒に目がなさすぎることだ。
その時。ドアが開いた。
「よっと……これでジェファーソンさんからの贈り物は最後だ。いやぁ、相変わらず豪勢だねぇ」
大きな箱を抱えた旦那が、ふぅと息をついて入ってきた。
「なんだ、随分と楽しそうにしているじゃないか」
「あ!旦那様!お聞きしたかったんです!」
「ダイアナ姉様が『旦那様はしゅせんどだ』っておっしゃっていましたの。私、意味がよく分からないのですけれど」
——ぎょっとした。
この双子には悪意なんて一ミリもない。ただ、学んだ言葉を素直に口にしているだけなのだ。
「……はぁーっ!!?」
幼子相手になんとか理性を保とうと、旦那様は必死に言葉を飲み込んでいる。
(いけない、ここは私がフォローしないと!)
「旦那さん、大丈夫ですよ! 私は味方です! 金は正義です!!」
「お前と一括りにされる方が、よっぽど嫌だよ!!」
耐えかねて叫んだ旦那様の姿に、ソフィアと双子は腹を抱えて大爆笑したのだった。
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