第5話「性格が悪い飼い主とペット」
「でちゅ!?」
楽の声がオフィスに響いた。
三郎は満足そうに尻尾を揺らしている。
『帰るでちゅ!』
「いや、なんで急にでちゅ?」
楽は三郎の前にしゃがみ込んだ。
「昨日まで普通だったじゃん」
『普通でちゅ』
「普通じゃないから聞いてんの」
千紘も二郎を抱いたまま首をかしげる。
「どこで覚えたんだろ」
「学習による変化じゃないのか?」
理人が言った。
「でも今日、誰か『でちゅ』なんて言った?」
「言ってないわね」
『俺も聞いていない』
イチゴと二郎も否定する。
楽は三郎を見る。
「三郎。誰の真似?」
『…………』
「なんで黙るんだよ」
三郎はぷいっと顔をそらした。
その時。
黒瀬が口を開いた。
「……昼休みだ」
「はい?」
「昼休み、天野が三郎をここに置いて席を外している間だ」
「あぁ、あの時」
「トイレに行ってました」
楽が黒瀬を見る。
「何かあったんですか?」
「電話してたんだ」
「電話?」「誰と?」
「……甥っ子だ」
「甥っ子?」
黒瀬は露骨に嫌そうな顔をした。
「姉からテレビ電話がかかってきて、途中で甥に代わっただけだ」
「へえ」
楽がにやっと笑う。
「部長、甥っ子と何話すんですか?」
「お前には関係ない」
「気になるなあ」
「まぁいいや」
「帰るぞ、三郎」
楽が突然、低い声を作った。
「帰るでちゅよ〜」
「俺はそんな言い方してない」
「まだ何も聞いてませんけど」
千紘が吹き出した。
理人は眼鏡を押し上げながら黒瀬を見て言った。
「部長」 「まさかとは思いますけど」
「なんだ」
黒瀬はまだ、すました顔をしている。
楽が肩を震わせた。
「甥っ子に赤ちゃん言葉使うんですか?」
「使ってない」
『使ってたでちゅ!』
全員の視線が三郎に集まった。
「三郎!」
黒瀬の声が響く。
『でちゅ!』
「返事するな!」
楽は腹を抱えて笑った。
「部長、めちゃくちゃ使ってるじゃないですか!」
「天野」
「はい?」
「お前、開発チームにいたんだから直せるだろ。早く直せ」
「えぇー」 「でも、学習した口調だけをピンポイントで消すのって、意外と面倒なんですよ」
「さっさとやれ」
「わかりましたよ」
楽は三郎をケーブルでパソコンに繋ぎ、管理画面を開いた。
「まあ、口真似以外は特に問題なさそうですね。動作は正常です」
画面には、今まで気に留めていなかった項目が表示されていた。
「安心してください、部長」
「なんだ?」
「三郎が部長の言葉を真似したことは、内緒にしておきますから」
楽は黒瀬の耳元でこっそり言った。
『お疲れさまでちゅ!』
「お前、それ明日までに直せよ」
『無理でちゅ!』
「お前が決めんな」
楽は三郎を連れて、オフィスを出た。
翌日。
楽は一人、オフィスビルの廊下を歩いていた。
三郎が、その少し後ろをトコトコとついてくる。
角を曲がったところで、向こうから数人の社員が歩いてきた。
以前、楽がAI開発チームにいた頃の同僚たちだった。
「あ」
一人が楽に気づく。
楽も気づいたが、軽く会釈をしただけですれ違った。
そのまま歩いていく。
背後から、声が聞こえた。
「今の、天野だよな?」
「そうそう」
「あいつ、仕事は一番できたのにな」
「性格悪すぎて異動になったんだろ?」
「ああ。よく辞めないよな」
笑い声が聞こえる。
楽は振り返らなかった。
一瞬だけ足を止め、それから何事もなかったように歩き出す。
「三郎、行くぞ」
『…………』
返事がない。
「三郎?」
『今行くでちゅ』
三郎は何事もなかったかのように、楽の隣を歩いていった。
部署に戻り、楽が自分の席に座る。
三郎はその足元に寝転がった。
「さて、仕事すっか」
スマホを机に置いた、その時。
画面に通知が表示された。
――フォトアプリに新しい写真が追加されました。
「写真なんて撮ってないよな?」
楽はスマホを手に取る。
「なんだこれ?」
フォトアプリを開く。
そこには、見覚えのある顔が並んでいた。
さっき廊下ですれ違った同僚たち。
しかも全員、絶妙に意地の悪そうな顔をしている。
「…………」
楽は数秒、画面を見つめた。
「ぶはっ!」
思わず吹き出す。
一枚ずつ写真を確認していく。
「顔やば。よくこんな瞬間撮れたな」
『…………♪』
楽は足元でボール遊びをしている三郎を見る。
「お前が撮ったの?」
『知らないでちゅ』
「絶対お前じゃん」
「その口調でとぼけるの、腹立つな」
楽は笑いながらアプリを開き、三郎の機能一覧を確認する。
「あ、これか」
画面には、見覚えのない項目が表示されていた。
――自動撮影モード。
危険を検知、または記録が必要と判断した場合、自動的に撮影を行います。
「うーん」
「自動撮影モード?」
「こんなの実装した覚えないんだけど……」
三郎の耳がぴょこんと立った。
『不思議でちゅ!』
「お前が言うなよ」
三郎は楽しそうに鼻を鳴らした。
楽はもう一度、スマホの写真を見た。
「……でも」
楽はほんの少しだけ笑った。
「ありがとな、三郎」
三郎の耳が、ぴくっと動いた。
『なんのことでちゅ?』
「なんでもないよ」
楽はスマホを机に置いた。
その足元で。
三郎はどこか得意げに、尻尾を揺らしていた。
その頃。
仕事を終えた千紘は、二郎と一緒に自宅へ帰っていた。
「ただいまー」
『ただいま』
千紘はバッグを置き、スマホを確認する。
「…………あ」
『どうしたんだ』
「今日、『刻探偵』の新刊発売日だった!」
完全に忘れていた。
千紘は時計を確認する。
「まだ間に合う!」
『どこへ行く』
「本屋! 二郎、お留守番しててね!」
『俺も――』
「行ってきます!」
玄関のドアが閉まる。
『…………』
一人残された二郎は、しばらく玄関を見つめていた。
『行ってらっしゃい』
千紘は書店へと向かっていた。
(まだ売り切れてませんように!)
時計を確認し、さらに足を速める。




