第22話「返却の日」
返却の日が来た。
いつものように三人と三匹は会社へ向かった。
いつもの三人と三匹。
でも今日は、誰もあまり喋らなかった。
『今日はみんな静かでちゅね』
三郎が楽の腕の中から三人を見回す。
「……そうか?」
『静かでちゅ』
「眠いんじゃね?」
『僕は眠くないでちゅ!』
「お前じゃねぇよ」
『楽が眠いんでちゅ?』
「そういうことにしとけ」
『分かったでちゅ!』
隣を歩いていた千紘が小さく笑う。
二郎が千紘を見上げた。
『千紘』
「どうしたの?」
『昨日は何時に寝た?』
「……十二時」
『遅い!』
「いつもより早いでしょ」
『十一時には寝ろと言っただろ!』
「無理だよ」
『無理じゃない!』
「はいはい」
「今日は早く寝るわよ」
いつものやり取り。
それを聞いていた理人が笑う。
「今日まで変わらないな、お前ら」
『当然だ』
二郎が千紘を見上げる。
『生活リズムは大事だからな』
「返却される日までそれかよ」
『当たり前だ』
理人の足元を歩いていたイチゴが顔を上げる。
『変なの』
「ああ」
理人は小さく笑った。
「変だな」
会社へ着くと、三人は三匹を連れて会議室へ向かった。
そこには、すでに黒瀬が待っていた。
三人が席に着く。
二郎、イチゴ、三郎もいつものように、その足元に座った。
黒瀬は三匹を見つめる。
「今日で実証実験は終了だ」
誰も答えない。
「三体とも大きな問題はなかった。予定どおり、今日から検査と収集したデータの解析に入る」
黒瀬は三人を見る。
「……長い間、ご苦労だった」
「はい」
理人が答えた。
千紘と楽も小さく頷く。
黒瀬は少し黙ってから言った。
「じゃあ、三体を預かる」
その言葉に、三人は動かなかった。
黒瀬も急かさなかった。
しばらくして、千紘が二郎の前にしゃがんだ。
「二郎」
「私、二郎を振り回してばっかりで
いつも長い時間付き合ってくれてありがとう」
『俺の仕事だったから気にするな』
『ただ……千紘の母との約束、最後まで守れなくてごめん』
「大丈夫だよ」
千紘は二郎の頭を撫でた。
淡い水色の毛。
何度も触った感触。
千紘は二郎を抱き上げ、そのままぎゅっと抱きしめた。
二郎の毛に顔を埋める。
「……今までありがとね」
しばらくして、千紘は二郎をゆっくりと離した。
「本当に楽しかった」
「私忘れないからね」
声が少し震えた。
『……ああ』
『俺も、忘れない』
それだけだった。
次に、理人がイチゴの前にしゃがんだ。
「イチゴ」
「いつも俺が何かしてると、見守ってくれてたな」
『まぁね』
『何しでかすかわからないもの』
「そういう素直じゃないとこも、イチゴのかわいいとこだ」
理人はイチゴを見つめる。
「……ありがとう、イチゴ」
イチゴの耳がぴくりと動いた。
『何よ、急に』
「言っとこうと思って」
『……変なの』
「そうだな」
イチゴは少し黙ってから言った。
『理人は真面目過ぎるとこあるから、気楽にやりなさいよ』
「わかったよ」
「ありがとう」
理人は一瞬だけ黙った。
そして、笑った。
理人がイチゴを抱き上げ、黒瀬へ渡そうとした。
そのとき。
イチゴの小さな前足が、理人の服を掴んだ。
「……イチゴ?」
『……』
イチゴは自分の前足を見る。
すぐに前足を離す。
『なんでもないわ』
「そっか」
「お前と過ごした時間は、ちゃんと俺の中に残ってる」
「だから、忘れない」
理人はもう一度だけイチゴの頭を撫でた。
イチゴは何も言わず、理人の手に少しだけ頭を寄せた。
最後に、楽が三郎の前にしゃがむ。
「三郎」
『はいでちゅ!』
「元気でな」
『はいでちゅ!』
「会社で変なことすんなよ」
『しないでちゅ!』
「筋肉ポーズもほどほどにな」
三郎は両前足をぐっと持ち上げた。
『あれは分析中でちゅ!』
「今やんなよ!」
『楽を分析してるでちゅ!』
「結果は?」
三郎は少し考えた。
『変な人でちゅ!』
「お前に言われたくねぇよ!」
千紘が吹き出す。
理人も笑った。
黒瀬まで小さく笑っていた。
楽は三郎の頭を撫でる。
「虫は少しは好きになったか?」
『嫌いでちゅ!』
「そこは最後まで変わらなかったな」
楽は笑った。
けれど、その手は三郎の頭から離れなかった。
「……楽しかったな」
三郎が楽を見上げる。
『楽』
「ん?」
『また水族館行くでちゅ』
楽の手が止まった。
『今度は楽が濡れないところから見るでちゅ!』
「……そうだな」
『イルカも見るでちゅ!』
「ああ」
『また、クラゲも見るでちゅ!』
楽は三郎を抱き上げた。
そのまま強く抱きしめる。
『楽、苦しいでちゅ』
「ちょっとだけ我慢しろ」
『仕方ないでちゅね』
三郎は大人しくなった。
楽はしばらく三郎を離さなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……ありがとな、三郎」
『どういたしましてでちゅ!』
楽は笑った。
「そこは何に対してか聞けよ」
『何に対してでちゅ?』
「遅ぇよ」
『楽は注文が多いでちゅ』
「お前が言うな」
楽は三郎を黒瀬へ渡した。
三匹が並ぶ。
二郎。
イチゴ。
三郎。
三人は、その姿をじっと見つめていた。
黒瀬が静かに言う。
「行くぞ」
三匹が黒瀬について歩き出す。
数歩進んだところで、二郎が振り返った。
『千紘!』
「ん?」
『夜更かしするなよ!』
千紘は笑った。
「分かったわよ!」
イチゴも振り返る。
『理人!』
「なんだ?」
『こだわり過ぎないで、普通に食べなさいよ!』
「分かってるよ」
そして三郎も振り返った。
『楽ー!』
「おう!」
『また水族館行くでちゅー!』
楽は大きく手を上げた。
「……おう!」
三匹は再び歩き出した。
廊下の奥へ。
少しずつ、小さくなっていく。
そして。
扉が閉まった。
三匹の姿が見えなくなった。
その日の帰り道。
三人は並んで歩いていた。
誰も、しばらく口を開かなかった。
千紘が俯いたまま、重い口を開く。
「私、最初は仕事だからって……軽い気持ちだった」
「こんなに、家族みたいに大切な存在になってたんだって……いなくなって、初めて分かった」
大粒の涙が、千紘の頬を伝った。
「俺もだ」
理人は前を向いたまま言った。
「AIペットなんて、ただの機械だと思ってた。まさか、こんな気持ちを教えてもらうとはな」
そこで言葉を切り、俯く。
楽が小さく息を吸った。
「俺もです……」
「部長の口真似から始まった
『でちゅ』、最初は面白くて、わざと直さなかったんです」
楽の声が震える。
「でも今は……あの『でちゅ!』って声を、二度と聞けないんですね」
三人の隣には、もう三匹はいなかった。
その頃。
会社の検査室では、三匹がそれぞれの充電器の上で、静かに待機していた。
昨日の秘密会議よりも、ずっと静かだった。
三郎が辺りを見回す。
『楽、いないでちゅ』
二郎が答える。
『千紘もいない』
『理人もよ』
イチゴは自分の前足をじっと見つめていた。
分かっていた。
今日は返却の日だ。
ここには三匹だけになる。
それなのに。
三郎は自分の胸元を見下ろした。
『……なんか、変でちゅ』
二郎も自分の体を確かめるように見下ろす。
『俺もだ』
『私もよ』
壊れたわけではない。
どこにも異常はない。
昨日と同じ。
胸の奥に残る、落ち着かない感覚。
けれど今日は、昨日よりもずっと強かった。
三郎は少し考えてから聞いた。
『……これが、寂しいでちゅ?』
『……そうかもしれないわね』
イチゴが静かに答えた。
二郎は、黙って頷いた。
そのとき。
三匹の目の前に、システム表示が浮かび上がった。
《実証実験終了》
《収集データの保存が完了しました》
三匹は不思議そうに表示を見つめる。
続いて、新しい文字が表示された。
《試作機初期化処理を開始します》
『……初期化?』
二郎の耳が動いた。
『何するの?』
イチゴが顔を上げる。
三郎は首をかしげた。
『……僕たち、初期化されるんでちゅ?』
そのとき、三匹の目が一斉に光る。
『千紘――』
『理人――』
『楽――』
その声は、最後まで続かなかった。
検査室が静かになる。
三匹の目から、光が消えた。




