第19話「変なの」
休日の夜。
理人は風呂場で、棚に並んだボトルをいつもより長く眺めていた。
「どれがいい?」
その足元には、イチゴが座っている。
『何が?』
「香り」
『香り?』
「ああ。せっかくだから、好きなの選べ」
「どれがいいかわからないから、好きそうなのを買ってきた」
理人は何本か手に取り、イチゴの前に並べた。
「イチゴ、花、石けん」
イチゴは順番に匂いを確認していく。
そして、一つのボトルの前で耳をぴこっと動かした。
『これ』
「やっぱりイチゴか」
『だって、いい匂いなんだもの』
「名前もイチゴだしな」
『それは関係ないわよ』
「そうか?」
『そうよ』
理人は笑いながら、イチゴを抱き上げた。
「じゃあ、今日はこれな」
『ちょっと待って』
「なんだ?」
『ちゃんとふわふわにしてよね』
「分かってる」
『毛が絡まないようにして』
「はいはい」
『耳のところも丁寧にね』
「注文が多いんだよ」
そう言いながら、理人はシャワーの温度を確かめる。
「熱くないか?」
『大丈夫』
「目、閉じろよ」
『分かってるわよ』
理人はイチゴの毛をゆっくり濡らしていく。
淡いピンク色の毛が、ぺたんと体に張りついた。
「……ずいぶん小さくなったな」
『失礼ね!』
「毛がふわふわだから大きく見えてたんだな」
『早く元に戻して』
「分かった、分かった」
理人は笑いながら、泡を手に取った。
頭。
背中。
小さな前足。
丸い尻尾。
いつもより時間をかけて、丁寧に洗っていく。
『理人』
「ん?」
『今日、ずいぶん丁寧ね』
理人の手が一瞬止まった。
「……そうか?」
『そうよ』
「最後だからな」
『最後?』
理人は少し黙った。
「返す前に、綺麗にしておいた方がいいだろ」
『ああ、そういうこと』
「そういうこと」
再びシャワーを流す。
泡が少しずつ消えていった。
来週。
イチゴは会社へ返却される。
分かっていたことだった。
最初から決まっていた。
販売前の試作品。
実証実験が終われば返却する。
ただ、それだけのことだ。
「よし。終わり」
『寒い』
「今拭く」
理人は大きなタオルでイチゴを包んだ。
『見えない』
「暴れるな」
文句を言いながらも、理人は笑っていた。
ドライヤーで毛を乾かす。
少しずつ、いつものふわふわした姿へ戻っていく。
最後にブラシを手に取った。
毛の流れに沿って、ゆっくり整える。
こうしてイチゴに触れることが、いつの間にか当たり前になっていた。
『まだ?』
「もう少し」
『長いわね』
「綺麗にしてるんだから待て」
『仕方ないわね』
最後に耳の毛を整える。
淡いピンク色の毛は、すっかり元のふわふわに戻っていた。
ほんのりと、甘いイチゴの香りがする。
「よし。終わったぞ」
『どう?』
イチゴはその場でくるっと一回転した。
『ちゃんとふわふわになった?』
「ああ」
理人はイチゴを抱き上げた。
軽い。
何度も抱き上げてきたはずなのに。
今日は、その重さまで覚えておきたいと思った。
「かわいいよ、イチゴ」
イチゴの耳が、ぴくっと動いた。
『……当然でしょ』
「自分で言うのか」
『事実だもの』
「そうだな」
理人は少し笑った。
そして、イチゴの頭を撫でる。
「ありがとう」
『……何よ、急に』
「言いたくなっただけ」
『変な理人』
少し間を置いて、イチゴも言った。
『ありがとう』
理人は何も言わなかった。
ただ、もう一度イチゴの頭を撫でる。
イチゴはそんな理人の顔を、じっと見つめた。
『でも、なんで泣きそうな顔するのよ』
「……してない」
『してるわよ』
イチゴは不思議そうに首を傾げた。
『変なの』
「……そうだな」
理人は小さく笑った。
甘いイチゴの香りがする。
来週には、いなくなる。
それでも今は。
腕の中にいるイチゴを、もう少しだけ抱いていたかった。




