第16話「ちょっとだけ、外の世界」
休日の朝。
「今日はバーベキューやるぞ!」
楽がリュックを背負って笑う。
三郎は、その言葉を聞いた瞬間、耳をぴんと立てた。
『……どこでちゅ?』
「川だよ。自然がいっぱいで気持ちいいぞ」
三郎は数秒固まる。
『自然……?』
『虫がいるでちゅ!!』
「いるだろうな」
『嫌でちゅ!』
『絶対行かないでちゅ!』
「そんなこと言っても、一緒に行くの」
『拉致でちゅ!』
『ブラック企業でちゅー!』
楽は笑いながら三郎を抱き上げた。
「ほら、出発!」
『離すでちゅー!』
川辺へ到着した。
青空の下、水の流れる音が心地よい。
しかし、三郎は楽の肩にしがみついたまま動かない。
「ほら、景色を見てみろよ。水の音も綺麗だぞ」
楽は三郎を抱いたまま、川の方へ向けた。
『うわぁ』
『景色が綺麗でちゅ』
『あっ』
『あそこ、何か飛んだでちゅ!』
「トンボだな」
『うわっ』
『こっち見てるでちゅ』
その時。
草むらからバッタがぴょんっと飛び出した。
『ぎゃああああ!!』
三郎は楽にしがみついた。
その慌てぶりに、楽は思わず吹き出す。
「大丈夫だよ」
楽はバッタをそっと捕まえ、草むらへ逃がした。
「誰が来たのかなって、見に来ただけだよ」
『ふぅ』
『心臓に悪いでちゅ』
「はははっ」
「人間みたいなこと言うなよ」
しばらくして。
「よし、魚釣りするか」
楽が釣り糸を垂らす。
三郎は少し離れた岩の上から、おそるおそる覗き込んだ。
『……魚は虫じゃないでちゅ』
川の中を、小さな魚が泳いでいた。
『あっ、お魚でちゅ?』
「そうだ、あれだ」
三郎は泳いでいる魚をじっと見つめる。
『綺麗でちゅ』
「じゃあ今度、魚がたくさんいるとこ見に行こうな」
『楽しみでちゅ!』
「そうだな」
その時だった。
ピクッ。
竿が大きくしなる。
「お、来た!」
楽がゆっくり引き上げると、一匹の魚が水面から跳ね上がった。
『おぉ……!』
『すごいでちゅ!』
「釣れた!」
三郎は目を輝かせた。
『初めて見たでちゅ!』
『魚ってこんなに元気なんでちゅね!』
「これも、ありがたく頂こう」
魚を素早く締めた。
『……』
三郎は、さっきまで跳ねていた魚をじっと見つめた。
『さっきまで、動いてたでちゅ』
「ああ」
『これが、命を頂くってことなんでちゅね』
楽は三郎を見る。
「そうだな」
三郎はもう一度魚を見つめ、小さく頷いた。
昼になる。
ジュージューと肉や魚、野菜の焼ける音が響く。
『いい匂いでちゅ……』
「食べるか?」
『食べられないでちゅ!』
「いただきます」
「うん、美味しい」
「三郎も食べられたらよかったのにな」
三郎を優しくなでた。
食事が終わり、片付けをしたあと、二人で川を眺めた。
『あっ、カエルでちゅ!』
『かわいいでちゅ!』
「虫じゃなければ平気なんだな」
「面白いな、三郎は」
『そうでちゅか?』
「うん、俺三郎とこんな風に過ごせて、毎日楽しいよ」
「ありがとな」
帰り道。
夕日が川をオレンジ色に染めていた。
一匹のトンボが二人の前をゆっくり飛んでいく。
三郎は少しだけ身構えた。
でも――逃げなかった。
『……虫は嫌いでちゅ』
「うん」
『でも』
『今日の外は楽しかったでちゅ』
『……また来てもいいでちゅ』
楽は三郎をそっと抱き寄せた。
「また行こうな」
三郎は少し照れくさそうに笑う。
『……今度は虫が少ない季節がいいでちゅ』
「それなら冬だな、約束だ」
二人は並んで夕焼けの道を歩いて帰った。
その夜。
楽のスマホが小さく鳴る。
《行動履歴を更新しました》
《自然体験を記録しました》
《新しい思い出を保存しました》
家に着くと、楽は通知を見て微笑んだ。
「今日は来てよかったな」
三郎も小さく頷いた。
『……そうでちゅね』
それから間もなく、三郎は静かな寝息を立て始めた。
楽はその寝顔を見つめ、小さく笑った。
「もう、データは十分集まったんだよな……」
楽の笑顔が、少しだけ消えた。
「……もうすぐ、こいつと、別れなきゃいけないのかな」




