122.義兄という存在(2)(ガブリエラ)
とうとう、あの子は二年の教育を終え、王城から完全にシュターグの屋敷へ居を移すことになった。
彼が戻った日。
屋敷内はお祭り騒ぎになっていた。
彼は飲み込みがとても早いらしく、マナー教育はもちろん、魔法の素養も、遅れていた勉学でさえ、貴族として申し分ないレベルに達していた。
仕立ての良い服も完璧に着こなし、中性的な美貌は、この二年でぐっと大人びた。
私の味方である侍女たちでさえ、思わず見惚れるほど、彼は完璧な貴公子へと変貌していた。
(紛い物のくせに――)
彼を見た瞬間、胸に湧き上がったのは――圧倒的な劣等感だった。
自分は聡明だなんだと周りから持ち上げられているが、それは長年積み重ねてきた相応の努力の上に成り立っているものだ。
二年やそこらで軽々と身につけた彼に、嫉妬せずにはいられない。
しかも――
どれだけ装いを工夫しても凡庸にしか映らない自分の容姿を、所作の美しさで補う努力をしてきたというのに、彼は生まれながらにして美しさを持っていた。
「立派になって帰ってきたな、リンスティー」
「本当に、お疲れ様でした」
「お義兄様、今日はたくさんご馳走を用意したから、いっぱい食べてゆっくり休んでね!」
「ありがとうございます」
腰を折り、丁寧に礼をする彼から、私の視線は離れなかった。
「ガブリエラ」
父が口を開き、私の名を呼ぶ。
「おまえからも、ひと言」
――なんて残酷なことを言うのだろう。
こちらが避けていることなど、分かりきっているだろうに。
身体の前で組んでいた手のひらに爪を立て、なんとか感情を抑える。
ここで反発すれば、また私が爪弾きにされることは分かっていた。
(我慢しなさい、ガブリエラ)
私は、この“家族ごっこ”に、しばらくの間だけ付き合ってあげることにした。
いつも貼り付けている淑女としての笑みを浮かべ、薄く口を開く。
「……おかえりなさい。……お義兄様」
言った瞬間、後悔した。
目の前の義兄が、これでもかというほど目を見開き、
それから、これまで見たことのないほど砕けた表情で微笑んだ。
「ただいま、……ガブリエラ」
言わなければよかった。
絆されるのが、目に見えているではないか。
半分泣きそうになりながら、俯いて感情を隠す。
途端に、感極まった父に抱き締められた。
昔の私だったら、父様に愛されている喜びを、きっと隠しもしなかっただろう。
けれど、そんな私はもういない。
(これは、家族ごっこ。
わたくしは義兄が憎い。義兄を、憎まなければいけない――)
まるで呪文のように、心の中で唱え続けた。
その日の晩餐は、一切味がしなかった。
◇
時が経つにつれ、義兄への嫌悪も次第に薄れる。
けれど、それではいけないのだ。
過去の私が報われない。
私が大好きだった家族に、彼は不要。
そう、思い込まなければならなかった。
貴族主義の会合に顔を出し、カロン殿下を支持する。
カロン殿下の理想は、彼の築く世界から民主主義と弟であるダンテ殿下を排除すること。
私の理想は、義兄と、彼を生み出した原因となった学園の排除だ。
ジガルデ様は、そんな私を、カロン殿下と同じ強硬な貴族主義に転換したと思ったらしい。
彼と思想について話すことは、一切なくなった。
広い意味で同じ貴族主義と言われたらそうかもしれないが、実際、根本は決定的に違っていた。
私は本心では、別にラスカーダが民主主義に傾こうが、貴族主義に傾こうが、どちらでも良かったのだ。
それは時代の流れが決めること――
この主義主張は、カロン殿下にいくら説き伏せられても、変わることはなかった。
「おまえは、頑なに中立を貫くな。
でも、そんな意志の強さが好ましい」
殿下には、特にそのことを咎められることもなかった。
ゴールは違っても、通る過程は同じなのだ。
ダンテ殿下を排除すれば、必然的にリンスティーお義兄様は失墜する。
フォボロス学園を貴族主義に染め上げたなら、『身分差関係なく皆平等』の方針が根底から覆されることになるため、学園は実質崩壊する。
私たちは、常に利害の一致した共存関係にあった。
カロン殿下は王城で平民の血の混じる義兄のことを徹底的に無視したが、私は一緒に住んでいる手前、そういうわけにもいかなかった。
しかも――義兄は私が彼の排除に動いているとも知らずに、要らぬ優しさを、幾度となく見せつけてきたのだ。
例えば、私が熱を出したとき。
侍女が退屈しのぎにと、私が最近読みふけっている本を持ってくる。
私が侍らせている侍女たちに、そんな器用な気回しはできないことはわかっている。
問い詰めてみれば、義兄からの差し入れだという。
「気遣いは不要です」
ときっぱりと断ると、次は弟の名前を使ってくるのだ。
決して、自分がやったとは悟らせない。
私がお茶会でとあるご令嬢と仲違いをしてしまって落ち込んでいるとき、慰めのための花が部屋に届けられたりもした。
ここまで避けられ、蔑まれている相手に、それでも優しさを向けてくる義兄を、私は理解できなかった。
義兄に懐柔されてなるものか――
もはや、意地になっていた。
彼を許し、義妹として甘えてしまえば、どれだけ楽になるか。
そのことを考えない日はなかった。
そんなときは、決まって、カロン殿下のところへ出向いた。
彼は、平民の血の混じる義兄への嫌悪を、簡単に呼び起こしてくれる。
容易く自分を、『義兄を憎悪する私』へと戻してくれるのだ。
そのことがひどく心地よく、婚約者であるジガルデ様よりも、殿下に惹かれていくのは必然だった。
やがて、義兄はフォボロス学園へダンテ殿下とともに入学した。
殿下が特別寮に住むことになったため、側近候補の義兄も一緒に特別寮へ移り住むことになった。
屋敷に義兄がいない。
それは、色々な意味で私を安堵させた。
その間に、着々と貴族主義とコネクションを作り、カロン殿下に傾倒していく。
ある意味では平和で、生産性のある一年だった。
そして翌年、ダンテ殿下が隣国ザイアスへ留学することになり、義兄も同行することになった。
家族は寂しがったが、私は心の底から喜んだ。
これで、完全に彼の姿を見なくて済む――
そんな中、義兄より一つ上のジガルデ様が、フォボロス学園の名誉ある生徒会長に選ばれた。
彼はいつでも正しく、そして自分から見ても尊敬できる人だった。だからこそ――歪んだ私には眩しすぎた。
カロン殿下がフォボロス学園で実験的に自身の政策を試すため、ジガルデ様を禁術でマインドコントロールしろと命令を下したとき、私は何の躊躇いもなくそれを実行した。
カロン殿下への忠誠心と、私の醜い心が、ジガルデ様を廃人へと追い込んだのだ。
殿下の論見はうまくいったけれど、ここで思わぬ誤算があった。
ダンテ殿下が留学を半年で切り上げ、義兄とともにフォボロス学園へ舞い戻り、そのまま会長に就任してしまったという。
しかも、義兄は副会長として、生徒会役員へ同時に就任した。
父や家族は、名誉あることだと喜んだ。
「ガブリエラが来年学園に入学して、もしも生徒会役員になったら、兄妹で生徒会をすることになるんだ。
私も昔、兄上とともに生徒会をやったとき、それはそれは楽しかった」
父がそんなことを言った。
ジガルデ様を追い落としておいて何だが――自分が義兄とともに学園の生徒会役員として振る舞う姿を想像し、僅かに、心が弾んでしまった。
そんなことを、願ってはいけないのに。
義兄は、ラスカーダに戻ってきたと同時に、ダンテ殿下との賭けに負け、魔法誓約で卒業まで女装して学園に通わなければならなくなったことを、家族に真剣に相談していた。
馬鹿じゃないのか、何を考えてるんだ、あの王子は。
そう思ったが、ダンテ殿下は最初、義兄のことを女子と勘違いしてしばらく過ごしていたことを知っている。きっと嫌がらせのつもりだが、本心では、そのときの義兄を忘れられず拗らせているに違いない。
「わたくしの真似をすれば問題ないわ。それでダンテ殿下の御心を満たして差し上げなさい」
母は、呆れるでもなく、義兄の女装に完全に乗り気だった。
私は知っていた。
母は美しいものが好きなのだ。
母に似て平凡顔のラファエルと私では叶わなかった人形遊びを、義兄で実現しようとしていた。
「ガブリエラ、何かアドバイスが欲しい」
義兄が、珍しく私に頼み事をした。
珍しく、私も普通に返した。
「ダンテ殿下の横に並ぶのですから、まるで婚約者のように、堂々と振る舞われるのがよろしいのではないかと」
義兄はとても素直で、そして要領のいい彼は完璧な"お義姉様"として、学園に復学した。
学園外では女装を免除されているため、私たち家族が彼の女装姿を目にすることは無かったが、貴族主義のお茶会に顔を出すと、学園に通っているご令嬢たちからその噂を嫌というほど聞かされた。『副会長のリンスティーお姉様をお慕いしてる者が、男女問わず後を絶たない』と。
(馬鹿じゃないの。お義兄様は、平民の血が混じった『紛い物』なのに――)
私は、フォボロス学園に入学する気がすっかり失せていた。
義兄が通い、義兄を慕う者たちで構成される学園なんて、想像するだけで地獄でしかない。
それなのに、カロン殿下から入学を命じられた。彼はダンテ殿下を追い落とすため、学園を去ったジガルデ様に代わり、私を使おうとしているのは明白だった。
けれども。
「内部から、潰すほうが景色がいいだろう」
カロン殿下は、私の願望をしっかり覚えており、義兄に対する憎悪の感情を呼び起こしてくれたのだ。
――学園を、壊さなければ。
薄れかけていた、呪いの言葉が、再び自分の中に蘇った。
(理想の家族を壊した平民は、悪。平民と貴族が肩を並べる方針を掲げる学園も、悪)
この言葉を胸に、翌年、私はフォボロス学園へと入学した。




