121.義兄になった自分(リンスティー)
母が亡くなった。
母が風邪をこじらせて体調を崩し、そこから流行り病にまでかかって、そのまま帰らぬ人となった。
天涯孤独。
まさに自分を指す言葉だ。
母は実家とは縁を切っており、自分は祖父母の顔すら知らない。
父に至っては、母の口から語られたことは一度もなかった。
母一人、子一人。
貧乏ではあったし、風が吹くたびに窓が揺れ、隙間風が入ってくるようなおんぼろアパートに住んでいたが、それを不自由だと思ったことはなかった。
近所の人たちは自分たち親子に優しく、母が倒れたときは、時折自分の食事の面倒を見てくれたりした。
父親がいないということで、からかってくる奴もいたが、何か言ってくるたびにボコボコにしてやった。
自分は女顔らしく、ぱっと見は弱そうに見られるらしいが、喧嘩では負けたことがなかった。
そのたびに、母からは
『手を出す前に、話し合うことを覚えなさい』
と言われていた。
一応守ろうとはしていたが、子供同士の喧嘩だ。結局最後は手が出た。
また、母はこうも言っていた。
『人に優しく。
困ってる人には手を差し伸べる。
見て見ぬふりはしない。
――助け合いの大切さを、いつも忘れないで』
これには自分も納得していた。
自分たち親子は、周りの優しさで生きてこれたのだから。
だからこそ、自分も周りに優しくありたい。
この思いはいつの間にか自分の中に根付いていた。
母が息を引き取った日。
話があると言って、意識が朦朧としているにもかかわらず、母はぽつりぽつりと、これからのことや自分の父親のことを語り始めた。
このとき、ああ、母はもう長くない、と母の冷たい手を握りながら悟った。
『あなたの父親に手紙を書いたの。私がいなくなったあと、あなたを助けてくれるようにと。だから、安心して』
自分がそれは誰かと尋ねる前に、母はそのまま意識を失った。
本当に最後の気力を振り絞って、このことを伝えたかったらしい。
母の亡骸は町の共同墓地に葬られた。
葬儀をする金はなく、なんなら花を買う金すらない。
その辺に咲いている綺麗な花をかき集めて、手向けた。
不思議と、涙は出なかった。
むしろ、これから一人でどうしようという不安のほうが大きかった。
母が言っていた、実際にいるかどうかもわからない父親が助けてくれる保証なんてどこにもない。
食うためには金が必要だ。
でも、まだ自分は十歳で、この田舎町に子供を雇う余裕のある働き口なんてどこにもなかった。
近所の人も、母を亡くした自分を気遣ってはくれるが、彼らも余裕があるわけではない。
誰かに引き取ってもらえないか、なんていう甘い考えは全く浮かばなかった。
ここから少し離れた場所に、孤児院があるとは聞いていた。
近所の人からはそこに身を寄せたほうがいいとも言われていたため、荷物をまとめて、さっさとそこへ移ろうと思った。
だけど、その翌日。
人生を一変させるような人物に、唐突に出会うことになるなんて、思ってもみなかった。
朝から荷造りをし、不要なものは近所に配って回った。
一人で大丈夫かと心配されたが、「大丈夫」と言わざるを得なかった。
悪友達にも「ここにいろよ」と引き留められたが、自分一人では家賃すら払えないのだ。
「またな」と言って、あっさり別れた。
挨拶回りが済んでアパートに戻ると、なぜか家の前がざわついていた。
田舎町なので、人だかりができることなんて滅多にない。
何か事件でもあったのかと人だかりに駆け寄ると、その中に、キラッキラした自分と同じくらいの年齢の子供がいた。
「あ、帰ってきた」
そのキラキラが言った。まるで、自分を待っていたかのような口ぶりだった。
着ている服はその辺のやつらと変わらないのに、なぜか彼が着ると、気品すら感じられる。
よく見れば、彼の周りには仲間と思われる、この辺では見かけない大人たちが何人も彼を囲んでいた。
(コイツ……貴族?)
なんでこんな田舎町に貴族がいるのか、不思議だった。
トラヴェの領主が視察に来ることはたまにあったから、貴族を見たことがないわけではない。
けれど、目の前の人物は違った。
オーラというか――言葉では表せないほどの尊さを纏っていた。
そいつは自分を真っ直ぐ見つめ、形のいい口を開いた。
「君が僕のいとこ? 一緒に行く?」
(いとこ? 誰と勘違いしてんだ?)
自分に従兄弟がいるなんて、母からは一切聞いたことがなかった。
誰かと勘違いしているか……
新手の人買い。
(これは、ヤバいやつ)
じり、と後ずさりし、反射的に踵を返して全力で逃げた。
けれどすぐ、走っていたはずの足が、急にぴたりと止まった。
身体が硬直して動かない。
何が起きたのかわからず、頭が真っ白になる。
「お転婆なんだね。……ダメじゃないか。返事もせず逃げるなんて」
さっきの子供の声が、後ろから近付いてくるのがわかった。
けれど、その声がひどく恐ろしかった。
(逃げたいのに、身体が動かない)
――初めて、人を怖いと思った。
その子供は自分が動けないのをいいことに、顔を近づけ、ジロジロとこちらを眺めてくる。
「うん! いいね。気は強そうだ。教育しがいがあるよ」
「……おまえ、誰だ」
名乗りもせずによくわからないことを言われ、恐怖を忘れて問いかける。
すると、彼はキョトンとした顔をして、「そっか、わかんないか」と言った。
「私はダンテ・フォルグ・ラスカーダ。初めまして、いとこ殿」
(ラスカーダ?)
国の名前を姓に持つ者なんて、限られている。
それが直系王族を意味することくらい、十歳の自分にも理解できた。
慣れない敬語で、咄嗟に否定した。
「俺じゃありません。おそらく……人違いです」
こんな田舎町の小汚い自分が、こんなキラキラした王子の従兄弟である訳がない。王子というのは、気まぐれにこんな遊びをするものなのだろうか。
「いいや? 私は君を迎えに来たんだよ、『リンスティー』」
名前を呼ばれ、ハッと顔を上げて彼を見つめた。
「君の母上が、君のお父上であるシュターグ公爵に手紙を出した。本当は公爵がここに迎えに来るはずだったんだけどね……
こんな面白……珍しい機会は滅多にないと思って、その役目を代わってもらったんだよ」
食えない笑顔で告げられる内容に、自分の理解が追いつかない。
(シュターグ公爵? 母さんが手紙を書いたのは、父さんにじゃないのか?)
「リンスティー・『シュターグ』。君の養子縁組は整っている。私と一緒に来てもらおう。君の口から「はい」と聞くまで、拘束は解いてあげないよ」
「拘束って……」
「拘束魔法だよ」
彼はそう言うと、握りしめた両手を顔の前に掲げて見せた。
「キュッと強く握ると、君の身体はより強く拘束される。逆に手を開くと、魔法は解ける。
便利だよね。そのうち、君も覚えるといいよ。
というか、覚えてね。君は将来、私の側近か護衛として働くことになるんだから」
「魔法……?」
魔法というものの存在は、知識として知っていた。
でも、この辺で魔法を使う人間なんて一人もいないし、実際に魔法を目にするのもこれが初めてだった。
「うん、魔法。君にも溢れんばかりの魔力があるんだから、すぐに使えるようになるさ。
それで、一緒に来てくれるよね?
――リンスティー」
有無を言わさない彼の物言いに、頷かざるを得なかったのもある。
ただ、このときの自分は、コイツは間違いなく自分にとって必要な人物なのだと本能で感じとっていた。
「――わかった」
自分の返答に、彼はそれまでの微笑を消し、大きく弧を描いた年相応の笑顔を向けた。
この日から俺の人生は、百八十度ひっくり返ることになる。
◇
「君には、妹と弟がいる。もちろん母親は違うけどね。
それから、私の他にもう一人従兄弟が……私の兄上なんだけどね。
こっちは君が関わることは無いと思うから、気にしないでいいよ」
「妹と弟?」
目を丸くして、隣に座るダンテ殿下に尋ねた。
今まで母以外の「身内」というものがいなかったので、自分に兄弟がいたことにまず驚いた。
「そう、妹と弟。君は私と同い年だから……妹のガブリエラは二つ、弟のラファエルとは五つ年が離れている。
二人ともとってもいい子だ。
君にもすぐに懐いてくれると思うよ」
「そうかな――」
妹に弟。
きっと、どんな子でも可愛いに違いない。
周りの友達には兄弟がいることが、昔からずっと羨ましかった。
母が仕事に出て、家に一人でいたとき、自分にも兄弟がいたら、寂しい思いをせずに済んだかもしれないと、もう何度も思っていた。
(仲良くなりたい)
自然と、胸が躍った。
そして、新しい家族に対面したとき。
自分の考えが甘かったのだと、嫌というほど思い知らされることになる。
◇
「出ていきなさい!
あんたなんか、本当の家族じゃない!」
浴びせられた強烈な言葉に、全身が凍りついた。
義妹からの第一声は、完璧なまでの拒絶だった。
でも、よく考えてみれば、自分を最初から優しく受け入れてくれた父や義母、義弟のほうが異常で、義妹の反応が正しいのだとすぐさま理解した。
「平民訛りの声が耳障りです。あの子を見えない場所に連れて行って」
「いつになったらあの子はマナーを覚えるのかしら」
「平民混じりの『紛い物』が屋敷にいることが耐えられないの」
自分は、平民の母から生まれた、いわゆる庶子だ。
義母と結婚する前に出来た子とはいえ、父の不貞の子であることに変わりはない。
王族の血が流れる父、由緒ある侯爵家から父に嫁いできた義母。
完璧な貴族の家であるシュターグ公爵家にとって、自分は汚点でしかない。
義妹が拒絶するのも当たり前だった。
普段であれば、たおやかな微笑を浮かべ、穏やかで理知的な淑女である義妹も、自分の前では苛烈なヒステリーを起こした。
すでにここへ引き取られて数カ月が経っているのに、未だに義妹とは、まともに会話をしたことがなかった。
「あの子は聡明な子だ。本当はわかっているんだよ。少し時間がかかると思うけど、どうか仲良くしてやって欲しい」
父にそう言われたものの、どうすればいいのか正直わからなかった。
たまに、向こうが自分の姿をじっと見つめていることがあるのは知っていた。自分としては話しかけたいと思っていたし、一度話してみれば意外と気が合うかもしれないのに、なんて甘いことも考えた。
けれど、彼女の口から出るのは棘のある言葉ばかり。
そして何も間違ったことは言っていないから、彼女の言葉は静かに自分の中で受け止めた。
義弟も空気を読んでいるのか、自分と姉を無理に近付けようとはしなかった。
そんなある日。
その日、たまたま馬車のタイミングがよく、いつもより早く屋敷に到着した。
庭を通り、離れの自室に戻ろうとしたそのとき――
「あ」
偶然にも、目の前に義妹が現れた。
どうやら彼女も、王城から早く帰宅したようだ。いつもの侍女はおらず、この場は二人きりになった。
二人、沈黙したまま、互いの視線を交わす。
彼女の真っ黒な目が、自分をじっと捉えている。
互いにここまで見つめ合ったのは、初めてのことだった。
それから、ふと気付き、咄嗟に頭を下げた。
(きっと、また不快に思わせてしまった……)
「何をなさっているの」
聞こえてきたのは、いつもの棘のある声ではなく、鈴が鳴るような、静かな声だった。
たぶん、向こうから話しかけられるのは、自分が記憶してる限り、初めてのことだ。
口を開いて、告げた。
「姿を、見せてしまったから」
本当なら、すぐにここから立ち去るのが正解だったんだろう。しかし、自分の欲――彼女と会話ができるかもしれないという淡い期待――を優先させてしまった。
「なぜ、あなたの姿を私が見たというだけで、あなたが謝る必要があるの?」
彼女の声に、苛立ちが滲み始めた。
(……ダメだ。やっぱり怒らせてしまった)
もう、何を言っても怒ってしまうだろう。
だから、せめて自分の正直な気持ちを話した。
「おまえ、俺のこと嫌いだろうから。……視界に入れてしまって、ごめん」
すると、義妹はみるみる顔を赤くし、それでいて悲しそうにして、力いっぱい叫んできた。
「被害者面しないでっっっ!!!」
――そのとおりだ。
何の反論もできないず、佇むしかなかった。
すぐに義妹の声を聞いてこの場に駆け付けてきた侍女が、彼女を別の場所へ連れていく。
(全部、うまくいかなかった)
こうして、自分と義妹の初めての会話は、あっという間に失敗に終わった。
◇
「ねえ、リンスティー。ガブリエラとは仲良くなれた?」
教育の合間にダンテが部屋に遊びに来て、自分としては聞かれたくないことをいきなり質問してきた。
「おまえ、わかってて聞いてるだろ。
全然だよ……
アイツ、俺のこと嫌がってるから、俺も自分からは話しかけてない」
普段、人がいる前ではダンテのことを「ダンテ殿下」と呼び、敬語を使い、彼の小姓のようなポジションで振る舞うようにしていた。
けれども、
「陛下の前とかじゃない限り、敬称も敬語も不要だよ。君は私の従兄弟であり、大事な相棒なんだから」
と、ダンテ本人に言われ、素直に従った。
教育が進むにつれて、人前ではそれなりの所作や言葉遣いができるようになったけれど、普段からそれを意識するのは肩が凝る。
だから、ダンテの傍で自然体でいられることが、今の自分にとっては屋敷にいるよりもずっと居心地がよかった。
「ふーん?
じゃあ、私がお節介ながら、機会を作ってあげるよ」
「は? やめろよ。余計なことすんなって」
「こういうのはね、早めに解決しておかないと、長引けば長引くほど、お互いに拗れるものなんだよ」
もう、とっくに拗れてしまっている気がする。
でも、もし――前に庭で会ったときのように、二人きりの場ができたら、今度こそ彼女を怒らせずに話せるのではないか、と、わずかな望みが心を揺り動かした。
「帰りの馬車は、ガブリエラと相席だ。ちゃんと手配しておいたから、心配しないで」
こちらの意見など、最初から聞くつもりはなかったらしい。
こうして義妹と相席して屋敷に帰ることになったのだが――やはり、結局怒らせてしまった。
「わたくしは、あなたと必要最低限の会話をすることは、今も今後もないと思っています」
そして、続けざまに、
「被害者面しないで」
だ。
(わかってる、自分は……被害者なんかじゃない。
本当の被害者は――)
「わかってる。本当の被害者は、君なんだ」
思っていることを、ありのままに伝えた。
こんなチャンス、もう二度とないかもしれないから。
「加害者である俺が、こんなことを言うのはお門違いだ。
けれど……」
義妹の真っ黒な瞳が、わずかに揺れた。
「俺は、自分に妹と弟がいると聞いて、とんでもなく嬉しかった――」
天涯孤独だと思っていたときに、自分にも半分だけでも血の繋がった家族がいたという事実は、どれだけ心を救ってくれたことか。
義妹は、きっと知らないだろう。
自分のことを嫌っていてもいい。
ただ、存在することだけは、どうか許してほしい。
彼女は顔を背け、窓の外の景色に目をやり、それきり口を閉ざしてしまった。
膝の上で手を握り、悔しさを逃す。
――いつか、歩み寄れる日が来たら。
そう願ってやまなかった。




