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120.義兄という存在(1)(ガブリエラ)

初めてその子を見たとき、視線を外すことができなかった。


(なんて……美しい子なんだろう)


綺麗に輝く銀糸の長い髪を一つに纏め、少しきつめの薄い水色の瞳は、壊れそうなくらいに透き通っていた。


応接室に父に連れられて入ってきたその子は、着慣れない様子の服を纏い、我が家の豪華さに目をキョロキョロさせて驚いている。


――貴族の家に迷い込んだ、躾のなってない子供。


美しいと思うと同時に、なぜこんな子が我が家にいるのか不思議でならなかった。


弟の目は、その子に釘付けになっていた。

厳禁なものだ。

ぱっと見、少女のようにも見えたが、身に着けているものは男物なのだから、男子であることは疑いようもないのに。


「二人に折り入って話がある」


父が、その子の肩に両手をあてて、私たちの方を一人ずつ見つめた。母も、父の横で真剣な様子で佇んでいる。


(一体、何の話なんだろう。弟の従者でも雇ったという紹介かしら?)


両親の様子に少しの違和感を感じつつ、「はい、なんでしょうか」と微笑みながら返事を返した。


けれど、次に父から告げられた言葉に、頭の中が真っ白になった。


「この子は、今日から君たちの兄弟になる。名前をリンスティーという」


「え?」


「リンスティー、挨拶を」


「あ、はい。リンスティー、です。よろしく……」


彼は、ぎこちない礼をして、ぎこちない挨拶をする。

貴族には有り得ないその所作に、嫌な予感が胸に浮かんだ。


「年齢は十歳だ。おまえたちとは二つと五つ、年が離れている」


二つと五つ、年が離れている……十歳の子供。

なぜ今になるまで、彼の存在を黙っていたのだろう。


「この子はずっと、母親とトラヴェの市井で暮らしてきたんだ。けれど、最近になって、母親が亡くなり、こちらで引き取ることにした」


母親……? 

この子の母親は、母上ではないのだろうか?


慌てて母を見るが、彼女は静かに私たち二人をみつめるだけだった。

胸のざわつきが、さらにひどくなる。


「彼はまだ貴族の暮らしには慣れていない。そこで、従兄弟にあたるダンテ殿下が、彼の教育を自ら買って出てくれることになった。

二年の間は王城で暮らし、この屋敷と王城を行き来することになる。

その後は、この屋敷に戻り、私たちと一緒に暮らす予定だ。

互いに仲良くするよう、よろしく頼むよ」


「僕はラファエルです。よろしくお願いします、義姉さま!」


弟は五歳ながら、しっかりした口調と完璧な所作で挨拶し、彼の手を取った。


彼は戸惑いながら、「あ、えと。たぶん、きみのお義兄さんになると思う……」と小さく呟いた。


(この子が、自分の義兄?)


弟はよく分かってないのだろう。

これは――この子が、父の不貞の証であることを。


その後のことは、よく覚えていない。


頭に血が上り、生まれて初めてと言っていいほど、感情を爆発させた。

ありとあらゆる罵倒を浴びせ、あんなにも愛してやまなかった父に、汚い言葉をこれでもかと投げつけた。


自分の理想とする家族が、壊れた瞬間だった。



しばらくは塞ぎ込み、部屋を出なかった。

出たら、あの子がいる。

我が物顔で屋敷内をうろついているのだ。


――あの子は、本当の家族なんかじゃないのに。


引きこもる娘を見かねたのか、彼の部屋は離れの一室になり、食事も別々にとることになった。

といっても彼はほとんど王城で暮らすことになったため、今のところ屋敷で出くわすことは滅多にない。


その代わり、自分が登城したときは彼に出くわす確率が上がることになった。

自然とダンテ兄様の元へは足が遠のき、婚約者のジガルデ様とともに、カロン兄様――カロン殿下の元へ通うことが格段に増えた。


婚約者には散々、自分の気持ちをぶつけてしまった。

彼が困ってしまうのも、本当はわかっていた。けれども、他にはけ口がなかったのだ。

屋敷のみんなが、彼の味方だったから。


彼が屋敷に泊まるときは、わざわざ自分がいない時間に、彼も含めて“家族で”食事をしていると侍女から聞いた。


いつの間にか、“紛い物”の彼が家族の一員として扱われていた。

本当の家族であるはずの私が、腫れ物を扱うような存在になっていた。


あんまりではないか。


母ならわかってくれるはずだ。そう思って相談したが、

「あの子も複雑なのよ。兄妹で仲良くしてね」

と嗜められた。


弟は彼に懐き、父も彼にかまい、家族として馴染ませようと必死だった。


(馬鹿みたい)


そこまでして家族ごっこがしたいのだろうか。

私の本当の家族は、彼という異物がいない家族だ。


なんでうちに来たのだろうか。

母がいなくなったなら、そのままトラヴェの孤児院にでも身を寄せればよかったじゃないか。


彼を、生んだ母を、彼らの出自である平民という身分を――すべてを憎むことで、どうにか心を保っていた。

でないと、自分の心が持たなかった。


「ガブリエラ。彼がここへ来て数カ月が経った。君は、一度でもリンスティーと会話をしたか?」


ある日、父に問われた。


もちろん、答えは「いいえ」だった。

自分と彼は違う。半分平民の粗雑さが目立つ彼と会話など、身体が拒否してしまう。


父は、私の気持ちを尊重し、無理強いをすることはなかった。

ただ、悲しげな父の視線が、胸を抉った。


(私だって、わかってる)


自分一人が、頑なになっているだけ。

いつかは関わる必要が出てくる。


それなのに、未だに彼のことを「あの子」と呼び、義兄とは認めることができない自分を、私は守ろうとしていた。



「あ」


ある日、いつもより早くカロン殿下の元から屋敷に戻ったとき、庭で彼と出くわしてしまった。


いつもならお互いいない時間帯。

最悪のタイミングだった。


視界に入った彼は、以前よりも服に着られている感じもなく、背筋も伸び、ぱっと見は貴族の少年に見えた。


――家族の誰にも似ていないくせに。


彼の容姿は、母方の血を色濃く引いたものなのだろう。

父は自分と同じ焦げ茶の髪で、ヘーゼルの瞳をしている。

私は父の髪色と母の黒い瞳を、弟のラファエルは父とまったく同じ色を受け継いでいた。


色素の薄い彼の容姿は、この屋敷では完全に浮いていた。


なのに、彼の姿から目が離せなくなる。

憎たらしいほどに美しい。

まるで、自分が魅了魔法にでもかかったかのようだった。


しばらく二人して見つめ合ったあと、彼の方が視線を外し、こちらに向かって頭を下げた。


彼の動作の意味が、心底わからず、

「何をなさっているの」

と思わずこちらから声をかけてしまった。


おそらく、これが私たちの初めての会話になるだろう。


「姿を、見せてしまったから」


続く言葉はなかったが、彼が謝っているということは伝わってきた。


それが、余計に私の神経を逆撫でした。


「なぜ、あなたの姿を私が見たというだけで、あなたが謝る必要があるの?」


苛立ちを滲ませながら、静かに告げた。


このとき、使用人たちは出払っており、この場には私たち二人しかいなかった。

誰かがいれば、こんな不毛なやり取りをすることもなかったはずだ。

ただ、ついていなかった。


「おまえ、俺のこと嫌いだろうから。……視界に入れてしまって、ごめん」


――なんで……

なんで、この子が傷付いてるような顔をするの?


一気に頭に血が上った。

自分はここまで激しい感情を表に出す性格ではなかったはずだ。

なのに、この子のことになると、自分で自分が制御できなくなる。


「被害者面しないでっっっ!!!」


力の限り叫んだ。


すると、近くを通りかかった侍女が慌てて駆け寄ってきて、

「お嬢様、こちらに」

と私の手を引き、居室へと連れて行った。


視界から彼の姿が消えると、途端に気持ちが落ち着いた。


けれど――

連れて行かれる直前に見た、彼の驚いたような顔が、しばらくの間、頭から離れなかった。



初めて屋敷で言葉を交わしてから、しばらく経ったある日。


王城でカロン殿下と、ジガルデ様と一緒に廊下を歩いていたとき、向こうからダンテ兄様があの子を伴って歩いてくるのが見えた。


ジガルデ様はすぐに臣下の礼をとり、ダンテ兄様に頭を下げる。

けれどカロン殿下は私の手を取ると、すぐに反対方向へ歩き出し、その場を離れてくれた。


「紛い物が王城をうろついてること自体が不快だ。おまえも、嫌なら堂々と避けたらいい」


彼の気遣いが、私の心を打った。


ああ、あの子から堂々と逃げてもいいのだと、そのとき初めて思った。


けれども、人や状況にはタイミングというものがある。

そして、そのタイミングの悪さを、私は思い知らされることになる。




今日はジガルデ様がカロン殿下とそのまま王城に残るということで、

侍女とともに公爵家の馬車を待っていた。


そんなとき、ダンテ兄様が彼を連れて私の近くまでやってきたのだ。


(――なんて間の悪い)


「やあ、ガブリエラ。ちょうど良かった。今日リンスティーは屋敷に帰る日なんだ。一緒に乗せて帰ってくれないか」


「申し訳ございませんが、わたくしは一人で考え事をしながら乗るのが好きなのです。ですから、残念ですが、次の馬車の到着をお待ちくださいませ」


ダンテ兄様からのお願いだけれども、間髪入れずにお断りさせてもらった。

私からは彼の顔は見えないが、きっと向こうもほっとしていることだろう。


けれど、お兄様は急に声を低くして言った。


「――君は断ってはいけない」


「これは、第二王子の私からの命令だ。彼と同乗し、帰宅すること。

侍女は後ろから追いかけるから、心配しなくても大丈夫だよ」


(やられた)


この従兄弟は、なかなか食えない性格をしている。

どちらかというと自分と性質が似ており、同族嫌悪にも似た感情を彼には抱いていた。


「……承知しました」


ほどなく馬車が到着した。待っている間、ダンテ兄様はひたすら喋り、私と彼は終始無言だった。

互いに喋る必要はない――そう思っているのだと思った。


馬車に乗り込む際、彼は綺麗な所作で私をエスコートしようとし、さっと手を差し伸べる。


「断るのはマナー違反だよ?」


手を取るのを躊躇う私に、ダンテが後ろから笑みを浮かべて告げる。

舌打ちしたくなる気持ちをグッとこらえ、仕方なく手を添えた。


手が触れ合った瞬間は一瞬だったが、今日は手袋をしていなかったため、彼の体温が直接伝わり、胸がざわついた。


私が奥に腰を下ろすと、彼は向かいに座る。姿勢が矯正されたのか、座り方からも粗雑さが消え、教育が順調であることを物語っていた。


馬車がゆっくりと動き出した。


私は窓の外に目を移し、なるべく彼の姿を視界に入れないようにしていた。けれど、向こうから視線を感じ、気配に気付く。


「……なんでしょうか」


見つめられていることに気付き、つい声を出してしまった。


「いや……」


言い淀む彼に、私は思わず強い口調で言い返した。


「黙ってないで、言いたいことがあるならおっしゃってください」


それでも、彼は気を悪くする様子もなく、予想外の言葉を口にした。


「……どうやったら、許してくれるんだろうと思って」


彼の放った言葉に、思わず目を見開く。


(この子、本気で言ってるの?)


「ずっと……怒ってるから。おまえが……ごめん。

俺、君がどうやったら怒らずに、話してくれるか、考えてた」


言葉を選びながら、とぎれとぎれで話す。

きっと、トラヴェ訛りを直そうと必死なんだろう。

――私が、怒ると思って。


一度、平民訛りが耳障りだと、言ってしまったことがあった。

彼と会話したのは、庭でばったり会ったあのときの一度きり。

けれど、会話ではなく、彼がいる場所で、棘のある言葉を私は吐き続けていた。


彼は、そんな私の悪意ある言葉に対して、一度も言い返したことはなかった。

この子は感情がないのかとすら思っていた。

けれども、彼はその棘を全て受け止め、なおかつ私に歩み寄ろうとすらしているのだ。


そして、それを私は綺麗に拒絶する。


「わたくしは、あなたと必要最低限の会話をすることは、今も今後もないと思っています」


心を許してはいけない。

彼を――決して許すな。

そんな呪いのような言葉が、頭の中を支配した。


この綺麗で純粋な存在を許したら、……家族を壊されて泣いたあの日の自分が、報われないではないか。


「そう……」


彼は綺麗な顔に少し悲しみを纏い、その薄い水色の目を静かに伏せた。


なぜいつも、彼が被害者のように見えるのだろうか。

被害者は、どう考えてもこちらなのに。


――「被害者面しないで」


気付けばまた、言ってしまった。


でも彼は、私の言葉に顔を上げて、こちらを真っ直ぐ見つめ、はっきりとした口調で言った。


「わかってる。本当の被害者は、君なんだ」


その言葉に、私の胸がドキリと跳ねた。

――なんで、そんなわかったように言うのだろう。


「加害者である俺が、こんなことを言うのはお門違いだ。

けれど……」


薄い水色の瞳が揺れる。


「俺は、自分に妹と弟がいると聞いて、とんでもなく嬉しかった」


震えるような声音だったが、そこには確かに喜びも混じっていた。

そんな感情が、彼の表情からもこぼれていた。


私たちは、半分しか血が繋がっていない。

彼には平民の血が流れ、私には由緒ある侯爵家である母の血が流れている。


そこには身分という決定的な違いがある。

けれども、身分を除けば――


(だめ、絆されないで)


その後、私は返事をせず、また外の景色へと視線を移した。


屋敷までの道のりが、果てしなく長く感じられた。

ただ気まずい沈黙だけが、馬車の中に流れていた。


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