六.秀次の妻
豊臣秀次……秀次様の正室となった私は、夫婦ともども大坂城で生活することになった。
婚礼に参加するためにわざわざ大坂まで来てくれた母上が安土へ戻る日。私たちは別れを惜しんでいた。
「茶々、息災でな。秀次殿と仲良くするのだぞ」
目に涙を浮かべ、母上は私の手を握る。私も「はい」と答えて母上の手を握り返した。
生まれたときからずっと、母上はそばにいてくれた。小谷が落ちたときも、北ノ庄が落ちたときも、泣いている私たち姉妹を抱きしめてくれた。自分だって辛いはずなのに。母上はいつだって気高く、強かった。
「母上……長きにわたり大切に育てていただき、本当にありがとうございました」
私はそう感謝を口にした。前世での母には言えなかった言葉だ。
前世の母は私が大学に入ってすぐに病気で逝ってしまった。受験期のときからずっと闘病していたのに私は全く気付かず、それどころか受験のストレスで当たり散らしていた。そして大学に合格するのを待っていたかのように母は倒れ、そのままあっという間に逝ってしまったのだ。あまりにも急すぎるその出来事に私は理解が追いつかず、感謝もなにも伝えることがでしなかった。大学は母が残していてくれたお金とバイト代を使って通うことができたし
だからこそ。今、母上にこれまでの感謝を伝えられた。それが嬉しかった。
「礼を言うのは私のほうじゃ。あの日、そなたが自害を思いとどまらせてくれたからこそ、今の私がある。そなたたちの成長を見守り、こうしてそなたが嫁に行く姿を見ることができた……ありがとう、茶々」
「母上っ……」
こらえていた涙が溢れ出す。泣き顔は見せたくなかった、笑顔で別れたかったのに。
顔をそむける私を、母上が抱きしめてくれた。
「秀次様と末永く添い遂げよ。私のようにはなるでないぞ」
「……はい……はい、母上……!」
そのまま私たちは、侍女が呼びに来るまでずっと抱き合って別れを惜しんだ。
その日の夜。私は白い寝巻きを身につけ、2つ並んだ布団の上に座って秀次様を待っていた。婚礼が終わっても母上が安土へ帰るまでは母上と二人で寝ていたから、実質今日が夫婦の初夜になるのだ。
足音が近づいてくる。緊張して身体がこわばるのが自分でも分かった。実は、前世を含めても私は生娘――要するに男性経験ゼロの処女なのだ。前世でも私は誰ともお付き合いしたことがなかった。だから、正直言ってものすごく緊張している。大坂城にくる前にある程度勉強してきたけど、初めてなのだから緊張してしまうのは許してほしい。
襖が開いて秀次様が入ってくる。私は畳に手をついて礼をした。
「顔をあげよ、茶々」
穏やかな声が降ってきた。言われた通りに顔をあげると、秀次様は私の前にすとんと腰をおろす。
婚礼のときは並んで座っていたし、それ以降は秀次様も忙しく、私もずっと母上と過ごしていた。だから、こうして真っ正面から秀次様の顔を見るのは初めてだ。猿顔の秀吉の甥だというのに、それなりに整った顔をしていた。
「浅井長政が娘、茶々と申します。不束者ではございますが、よろしくお願いいたします」
改めて私はそう挨拶を述べた。秀次様は微笑んで頷く。
「政のためとはいえ、憎い『豊臣秀吉』の甥に嫁ぐのは辛かろう。されど、私はそなたを大切にする。安心してくれ」
「……ありがとうございます」
秀次様の声音に偽りは感じられない。穏やかな優しい笑顔に、私は素直に安心することができた。
翌日。私たちは夫婦となった挨拶をするために秀吉の元を訪れた。
「改めてご挨拶申し上げます、関白殿下。浅井長政が長女、茶々と申します。このたび秀次様と夫婦となり、恐れ多くも豊臣家に連ならせていただきました。よろしくお願い申し上げます」
そう頭を下げると、秀吉は相変わらず人のいい用に見せかけた笑顔を浮かべた。
「こちらこそよろしくお願いいたします。茶々様のようなお方が秀次と夫婦となってくださって、わしも嬉しく存じます」
「茶々とお呼びくださいませ。秀次様の妻となったからには、私は関白殿下の身内も同然にございます」
正直に言えば呼ばれたくはない。けれど、ドラマの影響だろうか。秀吉に「茶々様」と呼ばれるとどうにも違和感があってムズムズするのだ。それに、そういう私の気持ちを抜きにしても、秀吉にとって今の私は甥の嫁になったのだ。秀吉のほうが立場は上なのだ。
「そうですかな? ではお茶々と呼ばせてもらいましょう」
秀吉は素直にそう言った。そして秀次に目を向ける。
「秀次、お茶々を大切に労わるのだぞ。そなたはわしの後継ぎで、豊臣の血を繋いでいく役目があるのだからな。わしには子はできなんだ、そなたたち二人にはたくさんの子を儲けてもらわねば」
「はい、叔父上」」
前世――平成・令和の時代で言えば完全にセクハラ発言である。だけど、この時代なら当然の話なのだ。ドラマだから盛られていただろうけど、『江』は秀忠との間に男児をなかなか産めずに悩んでいたし、『初』も高次との間に子を成せないことを嘆き、その高次が側室との間に男児を儲けたことに対して怒っていた。そして秀吉は『茶々』との間に鶴松と秀頼が生まれたときに大喜びしていた。まあ、その秀頼の誕生が『秀次』の悲劇を招いたのだけど。
でも、今回歴史が大きく変わった。『秀次』の悲劇を招いた秀頼誕生は起こらない。秀頼を産んだ『茶々』は秀吉ではなく秀次様に嫁いだのだから。本当にこの先どうなるかは分からない。秀吉と秀次様が話しているのを聞きながら、私は今後のことを改めて考えたのだった。




