七.夫婦の絆
秀次様と夫婦になってから一ヶ月が経とうとしていた。だが、あの初夜以降、私たちは夜を共にしていない。秀吉が関白になったとはいえまだ九州は完全に手中におさめられておらず、九州の最大勢力である島津との戦いのために色々と秀次様も忙しいらしいのだ。帰りも遅くすぐに寝てしまうため、新婚ほやほやにもかかわらず寂しい夫婦生活なのだった。
そんなある日、秀吉の正室であるおね様が私の元を訪れた。事前の連絡もない急な来訪だったため何も用意ができず、私はとりあえず急いで
「わざわざいらしてくださったのに、何のおもてなしもできず……申し訳ございません」
「私が何の連絡もせずに急に来たのだから、そなたが謝ることはない」
詫びる私におね様は微笑んだ。気遣いの言葉がありがたい。
「今日は、そなたたち夫婦のことが心配で参ったのじゃ」
「私たちのこと……ですか?」
「ああ。せっかく婚姻を結んだというに、ずっと二人で過ごせていないであろう? ただでさえお市様や妹君たちと離れて寂しいであろうし、秀次とも過ごす時間がないのはさらにと思うてな」
おね様の言葉に、私は何も言えずに曖昧な笑みを返した。
生まれてからずっと一緒にいた母上や初、江と離れたのは寂しい。侍女たちが一緒に来ているとはいえ、知らない人たちも周囲に増えて心細い気持ちはどうしてもあった。そして、せっかく夫婦になったにもかかわらず秀次様と過ごせる時間はほぼない。政略結婚とはいえ、どうにも寂しい気持ちは拭えなかった。
「秀吉に、今日は秀次を早くここに帰らせるよう言いつけておいた。今宵は夫婦水入らずゆっくり過ごすがよい」
「政所様……ありがとうございます」
「おねでよい。私には子がおらぬゆえ、秀次たちのことは我が子のように思うておる。秀次の妻となったそなたも、私には娘のようなものじゃ。秀吉に恨みもあるだろうから、母と思えとは言わぬ。だが、仲良くしてくれると嬉しい」
そう微笑むおね様。ここに初めて来たときから優しく接してくれたから、私も好意的な感情は持っていた。秀吉のことは確かにまだ憎い気持ちがあるが、北ノ庄からもう三年で多少は落ち着いてきている。それに、秀吉とおね様は別の人間なのだから。
「ありがとうございます。私も秀次様に嫁ぎ、豊臣家の人間になった身です。おね様とは仲良くしたく存じます」
その言葉に嘘偽りはない。それを理解してくれたのかは分からないけれど、私の言葉を聞いたおね様は少し安堵したような息を吐き、「そうか」とだけ返したのだった。
その日の夜、おね様の言う通り秀次様はいつもより早く帰ってきた。
「おかえりなさいませ、秀次様」
出迎えると、秀次様はいつもより少し元気そうな顔で笑顔を返してくれた。そのまま二人で夕食を摂り、縁側に並んで座る。
「昼におね様がおいでになられました」
「叔母上が?」
「はい。私を案じてくださったようで……初めて二人でゆっくりお話できましたが、おね様は本当にお優しい方ですね」
「……ああ。叔母上は本当に素晴らしい方だ。叔父上にはもったいないお方だと、よく母上が話していた」
秀次様は笑ってそう言う。そういえば、と私はふと湧いてきた疑問を投げかけた。
「そういえば、義母上様とはまだお会いできていませんが……今はどちらにいらっしゃるのですか?」
「母上も大坂城におられる。だが、そなたが信長公の姪だから自分とは身分が違うと仰って遠慮しているのだ。母上は農村で生まれ育ったからな、その辺りが気になってしまうらしい」
秀次様の母。つまり、秀吉の姉だ。ドラマではよくともという名で呼ばれているが、秀吉の姉ということは農民出身だ。あの『織田信長』の姪である私との間に身分差を感じてしまうのは仕方ないことだと思う。
「そなたにはあまり気持ちのいい話ではないだろうが、許してやってほしい。きっと時間が経てば話せるようになるであろう」
「……はい」
「茶々」
ふと、秀次様の声が真剣な色を帯びた。
「そなたには寂しい思いをさせてしまって申し訳ないと思っておる。政のために嫁がされたのに、こうして夫婦としての時間を過ごすこともままならなかった」
申し訳なさそうにそう言ってから、秀次様は少しだけ優しい表情になった。
「叔父上に願い出て、明日は休みを貰ってきた。今宵はゆっくりと、二人で色々な話をして過ごそうぞ」
「秀次様……」
嬉しかった。秀次様なりに、私と過ごす時間を作ろうとしてくれたのだ。自分が思っていた以上に寂しさがあったようで、嬉しくて笑顔がこぼれた。
その日の夜は二人で色々なことを話した。秀次様は和歌や古典を嗜んでいるようで、前世の大学時代日本文学を専攻していた私は今世で触れた知識も生かして秀次様と語り合うことができた。婚礼以来まだ少し残っていた壁がなくなった気がした。
天正十五年九月。秀吉が政庁兼邸宅として工事を進めていた聚楽第が完成し、秀次様と私もそこに移った。
そして、安土で暮らしていた母上と江もそこにやってきた。初はその直前に史実通り京極高次に嫁いだため不在だ。初に会えないのは残念だけれど、母上と江と会いやすくなったのは嬉しい。二人が到着したとの知らせを侍女から受けて、私は立ち上がった。
「お、お方様! 駆けてはなりませぬ!」
後ろで侍女が慌てて言いながら追いかけてくる。その指摘はもっともだとは分かっていたが、それよりも母上と江に会える嬉しさが勝った。
「母上! 江!」
ちょうど輿から降りてきた母上と江は、私の声に驚いた表情を浮かべた。そして嬉しそうな表情になるが、母上は私を――正しくは私の腹部を見て慌てて指摘してくる。
「茶々、駆けてはならぬ! 腹の子に障るぞ」
そう。現在、私は秀次様との第一子を宿していたのだった。




