五.フラグ回避に向けて
豊臣秀次。秀吉の姉の息子、つまりは甥であり、次期後継者だった男だ。茶々が鶴松を産んだことでいったんは後継者から外れたけど、鶴松が夭逝したことで再度返り咲き関白になった。だけどその後秀頼が産まれて、秀吉に存在を疎まれて自害に追いやられている。
その歴史を思い出して、私はぞっとした。秀次のもとに嫁ぐなんて、どう考えても死亡フラグである。秀次が自害したあと、妻も子供も皆殺しにされているのだから。歴史どおりにいけば、私まで殺される未来が見える。
「茶々?」
ずっと黙っている私を心配したらしい母上の声が降る。
「いかがした? 顔色が悪いように見えるが……」
「い、いえ、大丈夫です」
母上の言葉に私は慌てて取り繕った。前世で知っていた史実では秀次は処刑されるのです――なんて言えるわけがないのだ。
「猿の身内に嫁ぐなんてお嫌なのでしょう?」
そう言ったのは江だ。
北ノ庄落城から三年経った今でも江は相変わらず秀吉への嫌悪が根深い。私や初がある程度は負の感情を隠して秀吉と接することができるようになったのと比べ、表情に嫌悪と憎悪が隠せていないのだ。
私はそんな妹をスルーし、母上に目を向けた。
「母上……母上はよいのですか?」
「何がじゃ?」
「秀吉と姻戚関係を結ぶことです。私が秀次様に嫁げば、秀吉は私の義理の叔父上となります。それでもよいのですか?」
「構わぬ。それで私と秀吉の繋がりが深くなるわけでもあるまいしな」
母上は穏やかに微笑んだ。この三年、少しずつではあるが秀吉への憎しみは和らいでいるようだ。北ノ庄が落ちた時と比べると、秀吉の名を出すときの表情から負の感情が消えているように思えるから。
「そもそも、そなたと秀次殿の婚姻は秀吉の私に対する配慮じゃ」
「母上への?」
「そうじゃ。そなたたちが嫁に行けば、私とはそう易々と会えなくなってしまうであろう?」
確かにそうだ。ドラマでも、『初』は嫁いだあとの登場回数が減っていたように思える。秀吉の側室になった『茶々』や、そもそも主人公である『江』とは住んでいる場所の距離が離れていた。私の前世――平成・令和の世のように、電車もバスも飛行機もない時代だ。
「されど、茶々と秀次殿が婚姻を結べば、少なくとも茶々は私のすぐそばにいる。ともに暮らさずとも、会いやすいであろうとのことじゃ。初と江の婚姻もある程度は私や秀吉に近しいあたりで考えていると申しておった。もちろん正室として嫁ぐことになるしな」
確かに理にかなっている。だけど、やっぱり将来のフラグのことを考えると素直に頷けなかった。
「母上……少しだけお時間をいただけませぬか? 色々と考えたいのです」
「もちろんじゃ。秀吉も、そなたが嫌がるのであれば無理強いはしないと申していた。ゆっくり考えるがよい」
「ありがとうございます」
その日の夜、自室に引き揚げた私は改めて考えた。
よく考えれば、私が秀次に嫁いだ時点で歴史は大幅に変わるのだ。『茶々』は秀吉の側室になることはなくなるのだから。『茶々』が秀吉の側室にならなければ当然鶴松や秀頼も生まれず、秀吉が秀次を疎み遠ざける理由はない。そうなれば秀次が自害に追いやられることも、妻子が皆殺しになることもないのではないだろうか。
「秀次殿はどのような御方じゃ?」
私は控えていた乳母にそう問いかけた。彼女がのちの大蔵卿局だということは分かっている。私が見ていたあのドラマとは違い、よねという名だった。
「はい。私も噂程度でしか存じ上げませぬが、非常に聡明で優秀な方だとのことです。武勇に秀で、教養豊かだとも聞いております」
「そうか……」
後世には、秀次のあまりいい話は残っていない。おそらく、秀頼を後継者にするための秀吉の行いを正当化するための印象操作によるものだろう。
ともあれ、人柄は悪くなさそうだ。それに、秀次に嫁ぐことで秀吉の側室になる未来は回避できそうだ。修正力とやらが働くかもしれないけれど、破滅フラグ回避のための第一歩になることだろう。豊臣家から離れられないのは少し痛いけれど、母上が秀吉の側室にさせられないように目を光らせやすいともいえる。よくよく考えてみれば、私にとってかなり有益な婚姻になるのではないか。
天正十四年。完成した大坂城で婚礼が執り行われた。私こと茶々と、豊臣秀次の婚姻だった。




