十三.異変、続く
江が大坂までやってきたのは、母上が亡くなってから半年が過ぎた頃。慶長九年のことだった。
「母上……遅くなって申し訳ございませぬ」
大坂城の一室にある母上の位牌に手を合わせ、江は言った。母上が身まかられたとき、江は竹千代を産んだばかりだった。その状態でさすがに江戸から大坂への旅をするのは身体に悪すぎるということで、母上の葬儀に来ることができなかったのだ。
「母上もあのときそなたが身重だったことは分かっておられた。そなたが無事に子を産んだことを、きっと喜んでくださっておられよう」
「……はい」
私の言葉に、江は小さく頷いた。その目に浮かぶ涙を拭い、また母上の位牌に手をあわせる。色々と報告したいことがあるのだろう。そんな妹を、私は黙って見つめていた。
「せっかく大坂まで来たのじゃ、完子に会うていくがよい」
私室に場所を移したあと。私は江にそう言い、完子を呼んだ。呼ばれてやってきた完子は江の顔を見ると嬉しそうな笑顔を浮かべ、ぱたぱたと駆け寄ってきて江の前に座り一礼した。
「母上! ご無沙汰をいたしました」
「息災そうで何よりじゃ、完子」
久々の再会に、江も嬉しそうだ。
「母上、父上と小吉たちは元気にしておられますか?」
「ああ、皆元気じゃ。千からは文を預かっておるゆえ、あとで読むとよい」
「ありがとうございます!」
江の言葉に完子は嬉しそうだ。だが、横で二人のやりとりを聞いていた私は、完子が継父である秀忠殿を「父上」と呼んでいることに気づいて複雑な気持ちになった。
実の父親である秀勝様が亡くなったとき、完子は四歳だった。父上を亡くした頃の私と初と同じくらいの年齢だ。私も初もうっすらとではあるが父上を覚えているが、完子は覚えていないのだろうか。覚えていないからこそ、秀忠殿を実の父親同然に慕っているのだろうか。そう思うと切ないが、言い換えれば完子が純粋に慕うほどに秀忠殿は完子を実子同然に大切にしているのだと言える。それは嬉しいけれどやはり切ない、複雑な心境だった。
私がそんな風に内心葛藤していることにはまったく気づかず、江と完子は楽しげに話している。久しぶりの再会なのだから母娘水入らずがいいだろうと思い、私は部屋を後にした。
「よね、子供たちはどうしておる?」
「亀姫様と秀政様は学問の時間ですが、千代姫様は万様とともに遊んでおられます」
「そうか。では、千代と万のところに行くとしよう」
よねとそう会話をかわし、私は千代と万がいる部屋へ向かう。途中、政務から戻ったらしい秀次様と行き会った。
「お疲れ様にございます、秀次様」
「おお、茶々。お江と話さなくてよいのか? せっかく久しぶりに会うたのであろう」
「私はもうじゅうぶん話しました。今は完子と過ごしておりますゆえ、母娘の時間を邪魔しないほうがよいかと思いまして」
「それもそうだな」
そう言って笑う秀次様。心なしか少し疲れたようにも見える。
「秀次様、本日の政務はもう終わられたのですか?」
「ああ」
「では、少しお休みになられませ。お顔の色がいつもよりよくありませぬ。お疲れがたまっておいでなのでしょう」
私の進言に、秀次様は目を瞬かせる。やがて苦く笑った。
「……やはりそなたにはお見通しのようだな。ここ最近政務が少し立て込んでおってな……睡眠時間を少し削っていたのだ」
「それはお身体に悪うございます。政に熱心なのは結構ですが、お身体を大事になされませ。秀次様は関白であると同時に私の夫であり、子供たちの父なのですよ」
「耳が痛いな」
「そうお思いなら、今すぐにでもお休みになられてください」
「そこまで言われては、休まぬわけにもいかぬな。少し横になるとするか」
そう会話をかわし、秀次様は私室へと向かう。
もう私たちもそこまで若くないのだから、少しは身体を労わることを覚えてほしいものだ。秀次様の背中を見送りながら、私はそう思った。
千代と万がいる部屋の扉を開けると、そこには亀がいた。
「そなた、今は学問の時間ではなかったのか?」
「少し早く終わったのです」
ここにいるのが不思議でそう訊くと、亀は答えて笑った。千代と万は遊び疲れたのか床に寝っ転がってすやすや寝ていて、その幼い寝顔に私は頬が緩むのを感じる。
「そう遠からず私は大坂を離れるのでしょう? ですから、今のうちにこの子たちと過ごす時間を作っておこうと思いまして。千代はまだしも、万と過ごす時間は今までもあまり少なかったので」
「……そうか」
亀の輿入れの日程はまだ決まっていないが、おそらくこの一年の間に行われるだろう。母上が身まかったこともあって伸びていたのだ。
「正室となるからにはそう簡単に屋敷を出ることもできませぬ」
「亀……」
「父上と母上とも、お話をする時間を持ちたいのです。……よろしいでしょうか」
少し不安げに、上目遣いで私を見てくる亀。
この子が嫁いだら、今までのようにそう簡単に会えなくなるのだ。それを考えると寂しくなる。それならこの子の言うように、今のうちに多くの時間を共に過ごしていこう。
「無論じゃ。されど、だからといって学問や作法の時間を疎かにするでないぞ」
「……はい」
少し図星だったのだろう、私からやや視線を逸らす亀。まったく仕方のない子だとため息をつきつつ、どうしようもない愛おしさが込み上げてくるのだった。




