29話~独奏者~
その日、東京には雪が降っていた。
無数のビルや看板広告、果てしなく続く信号機や歩道橋の上を白く染める淡い雪。
「都内では数年振りの降雪」だと大きなニュースとなっており、街の至る場所で人々がその貴重な冬の風物詩に胸を躍らせていた。
無言で空から降り注ぐ……美しい白雪に手をかざしながら。
5万人強の観客で埋めつくされたドーム会場の中は早くもお祭り騒ぎの混沌と狂熱に包まれていた。
『SNOW GRIFFON CARNIVAL』と描かれた大きなバックドロップ幕が吊るされたメインステージ。
そこには幻獣・グリフォンを模った大迫力のステージセットが組まれており、まるでハリウッド映画の撮影ばりのスケールで手が込まれていた。
天井高くまで伸びた芸術的なグリフォンの両翼、モニター用の巨大スクリーンを掴んでいる左右のかぎ爪、そして舞台上には炎・ガス・銀テープ等が噴射される演出用のギミックが随所に仕掛けられている。
そんなテーマパークのようなステージを目の前に、フェスの開幕を待ち構える観客達のボルテージは今まさに最高潮に達していた。
時が満ちると、会場の照明がパッと落ちた。
巨大なモニターに『13 SECONDS TIME BOMB』のロゴが映し出されると、ドーム内に地鳴りのような歓声が沸き上がる。
同時にシーケンサーによるSEが大きく鳴り響くと、ステージ上ではプロジェクションマッピングによる幻想的な演出がなされた。
ステージ一面に幾千もの雪の結晶が投影され、上空からスノーマシンが人口雪を降らし始める。
あっという間に──架空の白銀世界の中に誘われる数万の観客達。
オーディエンスは感嘆の声を上げると同時に一斉に手拍子を送り始めた。
満を持して……黒いN-3Bジャケットを身に纏った五人組がゆったりとした足並みでステージに登場した。
お揃いのエンジニアブーツの足音を鳴らしながら、それぞれの定位置につくバンドメンバー。
すると流れていたSEはリバースシンバルによる効果音で高揚感を限界まで引き上げてからピタリと鳴り止んだ。
次の瞬間、ステージ上のグランドピアノの前に立つフミにスポットライトが当てられた。
果てしない歓声が止むのを待たずに、フミは鍵盤の上で指を躍らせるような滑らかなタッチでそのイントロを奏で始めた。
不協和音をあえて重ねることによって叙情的な響きを含ませたコード、その上を駆け巡る主旋律。それはまるで……空から天使が舞い降りてくるような、どこまでも美しいピアノの音階だった。
そこにピックを口元に挟んだレイがゴールドトップの弦をつまみ始め、温かみのあるアルペジオを奏でる。
カナタが柔らかなフィルインからセンシティブなリズムを添えると、ミツナリがいつもより高めの位置に構えたベースで深みのある低音を付け加えていく。
バンドサウンドは一つの生命体のように脈を打ち、大いなる呼吸を始める。
やがて……ボーカリストの歌声がスピーカーを通してドーム全体に響き渡った。
ステージに現れた時からずっとである。
また、歌唱している最中もずっと……ハルはN-3Bジャケットのフードを頭に深く被って、顔を覆うようにしていた。
客席からはフードで隠されている彼の顔はほとんど見えずに……マイクに向かう口元だけが露出されている。
たとえば……その姿をモニター用のスクリーンが大きく抜いたとしても……フードの隙間から絶えず零れているものを確認するのはきっと難しいだろう。
それは演出のために……上空から降り続けている人口雪に紛れているのだから……。
ステージ上、凛として歌い続けるハル。
その滲んだ視界の中で、ほんの一瞬だけ目の前の景色が鮮明に映り込んだ。
来場者が手に付けている発光リストバンドが暗闇の中で無数の輝きを放っている。
それはいつか訪れたことがあるような……いや、いつかきっと見せたいと願っていたような……無限の光で描かれた美しい雪景色だった。
だが、なぜだろう……。
その眩い雪原の中、すぐ目の前にある一か所にだけ……光が灯っていない……。
これだけ光が溢れている素敵な空間の中でなぜ……どうして……。
その「特等席」にだけ光が灯らなかったのだろう──




