28話~冬歌青青~
12月のとある休日の朝。
ハルは目を擦りながら布団から起き上がると、部屋の障子を開けて窓の外を眺めた。
さすがに紅葉の季節はとうに過ぎ去っていたが、そこには秋晴れの延長のような穏やかで気持ちの良い青空が広がっていた。
暦の上ではすっかり冬本番となっているのだが、今年はおそらく暖冬の影響なのだろう……そこには雪が降る気配は微塵も感じられなかった。
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ハルが寝起き姿のまま居間に向かうと、そこでは母親と飼い猫が仲良く揃って電気こたつを囲んでいた。
上掛け布団を膝に懸け、今朝の朝刊の折込チラシをのんびりとチェックしている美雪。
その隣ではクロべぇがまるでアンモナイトの化石のような形状で寝息を立てている。猫はこたつで丸くなるという童謡があるが、あの歌は本当なのだ。
早速、ハルもそこに加わるようにしてこたつ布団を捲り上げると……先に挨拶をしてきたのは「本日の主役」の方からであった。
「おはよう、ハル」
「おはよっす」
「今日は良い天気ね。さっきニュースで観たんだけど、今年はやっぱり暖冬になる見込みらしいわよ」
「へぇ……それは良いのか悪いのか、どっちなんだろうな」
「除雪をしなくて済むから私はありがたいわ」
「俺はちょっとだけ調子が狂うけどな。だって……毎年『この日』は絶対に雪が降っていたから」
「……そうだったかしら?」
「ああ、俺の記憶では今まで『美雪の誕生日』に雪が降らなかったことはない」
「え……あっ、そっか。私、今日誕生日だったっけ?」
「おいおい……自分の誕生日を忘れてたのかよ」
「あはは、すっかりね。そろそろ年齢を数えるのも……嫌になってきたもの」
この日は美雪の誕生日であった。
ある程度の年齢を重ねてくると、女性にとっては誕生日を迎えるというのは実はあまり嬉しくないことなのかもしれない。
しかし、ハルにとってはそれは紛れもなく大切な一日であった。というのも……こういう特別なイベントでもなければ、母親に日頃の感謝や敬意を伝えることも憚られるからだ。
ここぞとばかりのタイミング。
ハルは寝巻き(厚手のスウェットパンツ)のポケットから一枚の封筒を取り出すと、それを美雪の目の前に差し出した。
「はい、コレ……誕生日プレゼント」
「え、なになに~!?」
美雪は興味深そうに目を輝かせると、ハルから差し出された若干シワになったその封筒を受け取った。
早速、カサコソと音を立てながら中身を取り出す。
封入されていたのは……、
「SNOW GRIFFON CARNIVAL」と記載された一枚のチケットだった──
その紙切れが一体何なのか、よく分からずに首を傾げる美雪。
ハルは照れ臭さを隠すようにぶっきらぼうに説明を始めた。
「来月……東京で開催される大きなフェスがあってさ……。実は俺たちのバンドが……それに出演することが決まったんだ。それ、チケットだから……まあ、観に来てくれよ……。スタッフの人にわがまま言って……『特等席』を用意して貰ったから」
チケットに記載されていた席番号は、ステージ中央の最前列、ちょうどボーカルの目の前の席であった。
美雪はチケットを見つめたまましばらく固まっていたが、しばらくすると……その目にじんわりと熱いものを浮かべ始めた。
そんな少し大袈裟ともいえるような母親の反応に、ハルは余計に照れ臭さを感じてしまい顔から火が出そうになった。
★
それからハルのスノグリ出演祝い(美雪の誕生日祝いも兼ねて)に親子二人がやってきたのは、商店街の方に新しくオープンしたというおしゃれなカフェであった。
今朝の朝刊に挟まっていたその店のチラシを見て「おめでたい日だから久しぶりに外食をしよう」と美雪の方から提案を持ちかけてきたのである。
少し肌寒いのを我慢して、アーケード内に設けられたテラス席に座る二人。
ハルはランチセットのドライカレープレートを、美雪は看板メニューでもあるベリーがたくさん乗ったパンケーキを、それぞれにオーダーした。
「こういうの、一度食べてみたかったんだよね」
美雪は憧れのパンケーキを前に無邪気な笑顔を浮かべると、まるでわんぱく少女のように意気揚々と食べ進めた……が、結局その半分も食べきれずに残してしまった。
勿論、味に不満があったわけではないが……どうやら途中で胃がもたれてしまったらしい。さほどボリュームのあるメニューでもなかったが、寄る年波には勝てないということだろうか。
仕方ないのでハルは自分が注文したドライカレーを食べ終えた後、美雪が残したパンケーキを彼女の代わりに全てたいらげた。ハルは甘いものがあまり好きではなかったが、その店のパンケーキは驚くほどに美味しかった。
★
カフェを出た後、二人は腹ごなしのために近所を散歩することにした。
二十四節気の大雪とは思えないほどのポカポカ陽気が差し込む昼下がり、他愛のない会話をしながら田舎道をひた歩く。
その道中では、ここぞとばかりに美雪がハルに対して様々な質問をぶつけてきた。
音楽のこと、バンドのこと、メンバーのこと、学校のこと、将来のこと、ガールフレンドはいるのか、女の子のファンはいるのか、などといった野暮な質問まで……。
ハルは面倒な質問に関してはのらりくらりとかわしていたが……思い返せば、こうして母親とゆっくり会話をするというのは実に久しぶりのことであった。
なぜならハルはバンド活動を始めてからというもの、平日は夜遅くまで練習、土日もライブやイベントのためにほとんど家にはいなかったからである。
たまにはこういう休日も悪くない……ハルはそんなことを考えながら、隣で楽しそうにおしゃべりしている母親と同じ歩幅を保ち続けた。
商店街の先にある曲がりくねった一本道を抜け、収穫時期を終えたぶどう農園を横目に進んでいくと、自販機とコイン精米機、それから野菜の無人販売所が並んでいる農道に出た。
そこからさらに歩みを進めていくと……二人はやがて大きな湖がある公園へと辿り着いた。
クワー!クワー!クワー!クワー!ガー!
公園の湖には越冬のために集まった数えきれないほどの白鳥が優雅にのんびりと水面に浮かんでいた。
桟橋の柵に手を掛けながらその光景を眺めると、美雪がはしゃぎながら言った。
「ホラ見て!凄い白鳥の数だね~!」
「そうだな。でも……なんか違う種類の鳥も混ざってないか?」
「あれは多分……鴨じゃない?」
「へえ、鴨か。ガチョウはいないのかな?」
「さあ、どうかしら」
渡り鳥はオホーツク海やシベリアの寒冷地から日本へと飛来し、比較的に気温が暖かい場所にて冬を越す。そして春先になるとまた北へと戻っていくのである。
そんなひしめき合う鳥類の群れを観察しながら美雪は続けた。
「なんかさ~、こうして見るとコンサートに集まったお客さんみたいだね」
「この鳥たちが?」
「そう。みんなでカアカア鳴いて、ハルに向かって歓声を送っているの」
「……なんだそりゃ」
「ねえ、ハル。この鳥さんたちがお客さんだと思ってさ、今ここで歌ってみてよ?」
「え……?いやいや……こんな場所じゃ恥ずかしいから無理だって……」
「まったく、もう……ボーカルがいつまでも歌うのを恥ずかしがっててどうするのよー?」
「まあ……そう言われるとそうなんだけど。バンドで歌う時と普段の俺とでは……話が違うんだよ」
「どういうこと?」
「なんつーかさ……バンドのボーカルとしてステージに立つと、普段の自分とは違う『強い自分』になれる気がするんだよ。最強の鎧を纏った、無敵の姿になれるっつーのかな」
「ふーん。『強い自分』か……」
「ああ。だからさ……ステージ上では堂々と歌って、自信満々に振舞えるけど……そこから一歩降りてしまえば、俺は昔から変わらないガキのまんま。ちっぽけで、いつまで経っても心のどこかじゃ本当は自信を持てないような……そういう、どこにでも転がってる石ころみたいな存在なんだよ。……情けない話だけどな」
派手に染め上げた金髪を風に揺らしながら、その唇は素直な心中を吐露した。ステージ上でオーディエンスを前にしている時とは違い……母親を前にして強がる必要もない。
その横顔を隣で見つめていた美雪は穏やかに口元を緩めた。
「そっか……でも、それでいいと思うよ。いつだって強い自分でいなくたっていい」
──桟橋の上に少しだけ強い風が吹き抜けた。
暖冬であろうと、空は晴れ渡っていようと、この季節の北風はやはり冷たい。
それから美雪は少し黙り込んだ後……遠くを見つめながら続けた。
「ねえ、ハル……。もしこれからの人生でさ……すごく辛いこととか、苦しいことがあったら……その時は思いきり泣いたりしたっていいんだよ。ありのままの弱い自分を見せること……それもまた強さだと思うから」
不意に真面目なトーンで語り出した母の横顔を、今度はハルの方が見つめた。
そして、
「あのさ……」
と美雪が続けて何かを言いかけた時だった。
突然、湖に浮かんでいた白鳥の一羽が大きく翼をはためかせて飛び立った。
クワーー!!
バサバサバサッ!!
その大きな鳴き声と羽音に……美雪は途中まで開いていた口をつぐんだ。
とっさにハルが聞き返す。
「ん……?今、何か言おうとした?」
「……ううん、なんでもない」
「そっか」
「……うん。それよりも……来月のフェスでのライブ、楽しみにしてる!そこでようやくハルの歌声が聴けるんだもんね!ああ~ワクワクする~!」
「ああ、頑張るよ」
「最高のステージにしてよね、ロックスター」
桟橋のステージに立つ親子二人。
オーディエンスのように歓声を上げる水鳥の群れ。
オレンジとパープルに染まり始めた夕暮れの空が……その光景をどこまでも美しく包み込んでいた。




